擬洋風建築といわれる建物をご存知でしょうか?
西洋風のデザインを取り入れたように見えるけど、実は和風建築の技術で建てられている建物のことで、明治の初め頃に盛んに立てられました。
その実は明治日本の近代化の流れの中で、寺社や住宅の建築を担っていた日本の在地の大工棟梁が西洋の意匠を見よう見まねで取り入れていった中で生まれた建築なのです。
「西洋の物まね建築」と見られてやや低く評価されていた時代もありましたが、今は西洋風を積極的に取り込もうとした日本人の意欲の高さを評価する流れにあり、ついに擬洋風建築の中から国宝が指定されました。
その国宝に指定された建物が、この旧開智学校校舎です。訪ねたのは昨年ですが、今回はこちらの建物を紹介します。
旧開智学校(正面から)
歴史の教科書などで写真をご覧になったことがある方も多いことと思います。
白亜の壁と中央にそびえるライトブルーの八角尖塔が印象的です。
明治維新から10年もたたないうちに西洋風の意匠を取り入れて建てられたこの建物、近代学校建築としても最初期のもので、まさに“近代学校建築の嚆矢”だと思います。
外観(左側面から)
その塔と建物四隅や腰壁の角石積風に仕上げられたデザインなどから、洋風な印象を受けます。
しかし屋根が瓦葺きなことや、正面のテラスの軒先が唐破風づくりなこと、そして壁は漆喰塗であるなど、和風の要素も各所に見られます。
そして小屋組はクイーンポストトラスを模したとされていますが、和風小屋組みも使用されているそうです。
建築の技術は寺社建築の延長なんです。
八角尖塔(太鼓楼)
この建物を建てた棟梁、立石清重さんは、東京で当時の西洋風の建築をスケッチしたり日誌に残したりしていたそうです。
非常に熱心にこの建物に取り組んだんですね。
それら建築時の記録が大量に残されている点も、今回の国宝指定につながったようです。
「開智学校」の校名額
上の写真の校名額、有名な話ですが、当時の東京日日新聞の表紙がモチーフとなっているそうです。
正面のベランダ
ベランダがあるところなどは洋風ですが、手すりに雲の彫刻があったり、ベランダの下に龍の彫刻があったりするところは和風ですね。
階段
この建物はその建設費の約7割を松本全住民からの寄付で賄ったそうです。
当時の松本住民が学校に掛ける期待の高さがうかがえます。
教室の扉
階段や教室の扉は洋風に仕上げられています。
ただ、扉の木目、すごくくっきりとしているんです。
当時の木がこれほどいい状態で残っているなんて…と思ったら、
実はペンキを重ね塗りして描かれているものなんだそうです。
それは漆喰塗の技術を応用したんだとか。
教室の扉
教室の扉にも翼のある竜の彫刻が。
近くの寺院が解体された時に出たものを転用しているとか。
教室
教室の風景は現代と似ているように思います。
それもそのはず、この建物、この当時すでに科目ごとの教室があり、児童が教室移動して各授業を受ける形をとっていたそうです。
教室も、廊下を中央にして左右に配置され、児童の動線を意識していました。
講堂
2階には講堂があります。照明がシャンデリアで、柱や手すりもモダンな感じです。
講堂のシャンデリアと彫刻
講堂の窓
講堂の窓も色ガラスが填められています。
おっしゃれ~~~!!で、荘厳な感じです。
建物裏の扉
近代化の最初からこんなにモダンで、かつ機能的な学校建築を建てた松本の風土、尊敬に値します。
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旧開智学校校舎(令和元年9月・国宝指定 長野県松本市開智2)
明治9(1876)年、松本市の中央部を流れる女鳥羽川沿いに建てられた学校建築。和風建築に西洋風のモチーフを取り入れた擬洋風建築の代表的な建物とされています。
中央の風見鶏がついた八角尖塔(太鼓楼)やベランダ、天使や雲をモチーフとして取り入れた彫刻など一見、西洋風です。しかし、瓦葺の屋根や軒蛇腹、漆喰の壁など和風の技術もあちこちに見られます。特に屋根の軒に見られる軒蛇腹や、外壁の腰回りや隅の石積み風に造られたデザインは西洋的でありながら、実は漆喰で作られています。
このように旧開智学校校舎は擬洋風建築の特徴をよく備えているうえ、学校校舎としても完成度が高く、それが現在まで保存されてきたこと、建築当初の図面や資料もよく保存されていることから国宝に指定されました。
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