山口県下関市・六連島灯台を訪ねた記録ー   六連島灯台、やっと重要文化財に指定答申   | 名宝を訪ねる ~日本の宝 『文化財』~

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去る10月16日、文化庁の文化審議会文化財分科会が、国宝・重要文化財の指定について文部科学大臣に答申しました。

 

その報道を目にして、とても驚きました。

 

今回の答申において、目玉はおそらく京都東山の八坂神社社殿が国宝に指定されること、でしょう。

 

しかしそれより驚いたのが、まず

 

戦後に築造された土木構造物が2件も重要文化財に初めて指定されること。

 

そして、

 

日本でも最初期に築かれた現役の4ヶ所の灯台が指定されること。

 

でした。

 

特に灯台では

「ここはいずれ指定されるんじゃないかな…。」

と思っていた灯台が入っていたので、自分の鑑定眼(?)に自信がついてしまいました。

 

というわけで、今回は六連島灯台(山口県下関市)を紹介します。

 

 

 

 

しかし訪ねたのも、もう20年近く前になるんで、やっと指定されたか、という思いです。

 

六連島は、下関市の沖合、響灘に浮かぶ小島です。

沖合の島なので釣り場として有名だそうです。

 

しかし釣りが好きな人でもない限り、およそ知る人も少ないのではないかと思います。

 

当時の記録は写真だけなので、以下は記憶を頼りに書いています。

ほとんど忘れてしまいましたが…。

 

 

 

 

その当時は1日4便、島に渡る定期船が運航していて、下関市内の渡船場から小さな渡船に乗ったのを覚えています。

およそ20分で島に到着します。

 

六連島灯台と響灘

 

小さな島で大きな道はありません。そもそも公道がなく、道という道はすべて私道だそうで。

小学生くらいの子供たちが、ナンバーのない軽トラックをおもちゃ代わりに運転して遊んでいたことにショックを受けました。

私有地内だから問題ないんだそうです。

定期船の船着き場の隣には漁港があり、灯台へは簡易舗装された歩道を歩いて行ったと思います。

 

沖合に貨物船が通るのが見通せました。

今も海上交通の要所なんです。

 

 

六連島灯台

 

今回指定が決まった灯台は、いずれも現役です。

六連島灯台も、当時すでに無人でしたが、現役だったと覚えてます。

 

六連島灯台(近景)

 

そもそも六連島を訪ねたのは、この島にある“雲母玄武岩”という天然記念物の鉱物を見に行くのがメインでした。

 

六連島は“溶岩台地”の島です。すなわち、火山島だったんです。

 

それで玄武岩があっても不思議ではないのですが、世界でも数か所でしか発見されていないという雲母玄武岩。

しかも日本での産地はこの六連島のみ、という話だったので、とても期待しながら訪問しました。

 

しかし、雲母玄武岩は風化が進み、肝心の“ガスが抜けた痕跡の数ミリの穴の中に雲母の結晶が見える”状態は観察できませんでした。

 

一方、六連島灯台は伊豆の神子元島灯台と近い時代の建造と聞いていたので、必ず重要文化財に指定されるだろうと思って、雲母玄武岩と合わせて訪問しました。

 

角度を変えて

 

そしてこの度の指定答申を迎えました。

 

ちょっと思い入れ度が違います。

 

反対側から見た六連島灯台

 

小さな島にある、人知れず活躍する最古級の灯台。

 

にわかに注目されて、さぞかし自分でも驚いていることでしょう。

 

 

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六連島灯台(令和2年10月・重要文化財指定答申 山口県下関市六連島)

 

六連島灯台は山口県下関市の西方、響灘に浮かぶ小島、六連島にある灯台です。

慶応3(1867)年、幕府とイギリスとの間で結ばれた大坂条約によって建設された灯台で、事業を引き継いだ明治政府によって明治3(1870)年に建設が開始され、明治4(1872)年に点灯しました。今回指定が答申された4基の灯台は、イギリス出身のリチャード・ヘンリー・ブラントンがすべて設計し、六連島灯台もその1基です。彼は日本国内の初期の灯台の多くを設計しており、「灯台の父」とも呼ばれています。

 

 

 

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