日本では、文化財にいくつの分類があるかご存知ですか?
文化財の分類は、8種類あります。
(1)有形文化財
(2)無形文化財
(2)史跡
(3)名勝
(4)天然記念物
(5)有形民俗文化財
(6)無形民俗文化財
(7)文化的景観
文化的景観は最近加わったジャンルでして、日本の風土を代表する景観について指定されているもので、特に話題になったのは東京都葛飾区の「葛飾柴又の文化的景観」ですね。
また、世界遺産となった「長崎の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産は重要文化的景観に選定された風景が多いです。
そして8種類目が
(8)伝統的建造物群
です。
重要伝統的建造物群保存地区は現在、120ヶ所近くの町並みが選定されています。
私もそのうちの十数か所を訪問していますが、紹介するのは今回が初めてです。
その最初に取り上げるのは、岩手県胆沢郡金ヶ崎町にある「金ヶ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区」です。
なぜここを紹介しようと思ったのか?
伝統的建造物というと独特な古民家が多数残されて、古風な街並みが残っている…
そんなイメージがありますが、ここは特に民家よりその屋敷割り、石積み、生垣や屋敷林などの風景がとても印象に残ったからです。
それでは下の写真からご覧ください。
諏訪小路沿いにある細目家の生垣
この写真は金ヶ崎城下町へ入る街路「諏訪小路」沿いに今もお住まいの「細目家」の生垣です。
一目見て、普通に見かける生垣と違うことがお分かりかと思います。
それもそのはず、生垣の形が瓦屋根を乗せた築地塀のように手入れされているのです。
昔からこうなるように手入れしているそうなんです。
このお宅は今でも住民がいらっしゃるので入ることはできませんが、生垣が城の入口「桝形」のように配置されていて、奥が見通せないようにもなっています。
この町は武家町で、それぞれの武家屋敷はしっかりと防御を意識していて、それぞれが小さなお城のようになっているのです。
こんな町並みが現在まで受け継がれている、それ自体が尊いではないですか。
金ヶ崎町諏訪小路地区マップ(赤字と矢印は撮影場所・方向)
金ヶ崎町諏訪小路地区の地図を示しました。
町の東を南流する北上川とそれに合流する支流・宿内川の断崖に面して「金ヶ崎城」がありました。
ここ岩手県金ヶ崎町のほとんどは当時、仙台藩の領地だったそうで、仙台藩主伊達家は上級かつ大身の家臣には仙台城下に加えて知行地にも屋敷を与え、領知させていました。
一国一城の制度の元、そのような知行地の屋敷地は「城」と呼ばず、「要害」と呼ばれていたそうです。
そのため金ヶ崎城は「金ヶ崎要害」とも呼ばれていました。
その城下町が「金ヶ崎町城内諏訪小路地区」だったのです。
城下町の西には南北に奥州街道が通っています。
奥州街道から町に入る通りが、北からの諏訪小路、西からの表小路、南からの達小路、そして東へ抜ける裏小路、となります。
それでは、町の北「諏訪小路」から散策してみましょう。
諏訪小路の様子
町に入ってすぐ、小路の左右に並ぶ生垣が目に入ってきました。
この町の武家屋敷には門がないことが多いです。代わりに生垣で導入路を作っています。
それが城の枡形のようになっているのです。
この町を印象付ける独特の景観です。
旧坂本家侍住宅
そして、城下にある武家屋敷は本来、茅葺の家でした。
上の写真の坂本家、今も住民がいることが多い地区内の住居にあって、一般公開されているお宅です。
茅葺で土壁の家なんて、武家屋敷というより農家のような造りですね。
実は、屋敷地の裏には畑があるのがこの地区では一般的で、出仕がないときは畑仕事をする「半士半農」の生活が普通だったようです。
時代劇の中で見る江戸の武士とは一風違った、地方の武家の生活がここには生々しく残されているのです。
裏小路
上の写真は諏訪小路に続く裏小路の様子です。
秋風が冷たく感じられるようになる丁度今頃と同じ時期に訪ねたので、紅葉が進んで静かな雰囲気がまたいい感じでした。
金ヶ崎要害
金ヶ崎要害にも足を向けました。
お城の跡らしい遺構は何も残っていませんでしたが、最も東側の北上川に面した断崖からは雄大な北上川の流れを眺められました。
旧大沼家侍住宅(片平丁)
さらに南側に続く小路は地区内を東西に抜ける片平丁と呼ばれる道で、ここにも一般公開されている住宅があります。
それが上の写真の大沼家です。
馬屋と主屋が残されています。
旧大沼家侍住宅(片平丁)主屋
旧大沼家侍住宅(片平丁)主屋内
内部も武家屋敷という雰囲気はあまりなく、一般的な農家のようでした。
達小路(東から)
そして達小路。
この辺りは住居こそ新しくても、屋敷割は近世当初のままという家が多いです。
普通は道に面して門があるものですが、この地区では上の写真のように、全くありません。
その代わり生垣の切れ目が門の代わりになっています。
そして、背の高い常緑樹が目立ちます。
これが、防風のためスギやヒバ、マツを植えた「エグネ」と呼ばれる屋敷林です。
この地区の景観を際立たせているもう一つの要素です。
表小路(東から)
表小路までくれば、もうエグネが並木を形成しているようです。
紅葉の時期だったので、緑に赤がとても映えてました。
表小路沿いの邸宅
上の写真は一般公開されているお宅ではありませんが、屋敷と庭、生垣にエグネが見事に調和して残っているお屋敷があったので撮影させていただきました。
みちのくに残された、街道沿いの静かな城下町、また訪れたいです。
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金ヶ崎町城内諏訪小路(平成13年6月・重要伝統的建造物群保存地区選定 岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根)
金ヶ崎町城内諏訪小路地区は岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根の一部、武家屋敷群の残る金ヶ崎要害の城下町です。金ヶ崎町内の一部地域は江戸時代、仙台藩伊達氏の領地であり、寛政21(1644)年から伊達氏の大身家臣・大町定頼が入封され、以後大町氏が明治維新まで治世に当たりました。
現在の金ヶ崎西根は大町氏の屋敷「金ヶ崎要害」の城下町として整備され、城内諏訪小路地区は武家地となりました。東は北上川とその支流・宿内川に面し要害が置かれ、西は南北に走る奥州街道に面します。北と南は田園地帯に接しており、それらとは屋敷林をもって明確に区切られています。地区内は、近世に成立した街路構成がそのまま残され屋敷割もそのままです。屋敷地は小路に面して生垣や石垣で区画され、主屋と小路の間は庭が設けられてカキやサルスベリなどの庭木が植えられるとともにスギやマツなどの木々が屋敷林を構成しています。
このような近世からの街路景観が保存されており、大変貴重な街並みとなっています。
参考文献:
「「環境の世紀」における東北の伝建地区 ―旧仙台藩要害・金ヶ崎城内諏訪小路地区―」伊藤邦明、大沼正寛、『月刊文化財』平成13年5月号、第一法規出版(2001)
「新選定の文化財 重要伝統的建造物群保存地区の選定」、『月刊文化財』平成13年5月号、第一法規出版(2001)
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