上皇陛下ご在位の稲刈り

 

 

 

 

 

昭和天皇 ご在位の田植え

 

 

天皇彌榮(すめらぎいやさか)

拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。

 

謹んでお伝えいたします。

畏くも天皇陛下におかせられましては21日、宮城(皇居)内の生物学研究所脇の水田で、恒例の稲刈りをあそばされた。

 開襟シャツにズボン、長靴姿の陛下は鎌を手に腰をかがめあそばされ、春に陛下がお手植えあそばされたもち米「マンゲツモチ」うるち米「ニホンマサリ}の稲100株を刈り取られた。

宮城の稲作は昭和天皇が始めた恒例行事で、陛下は上皇陛下から引き継がれた。稲の一部は伊勢神宮に奉納されるほか、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る2月の「祈年祭」など宮中祭祀(さいし)に使われるという。

 

昭和天皇は昭和2年、陛下自身で稲作を始められました。

国家の統治者が水田に足を踏み入れ、米作りをされる例は他国にはありません。なぜそうされるのでしょうか。そこにどのような精神的、文明論的意味があるのでしょうか。

我國は太古の昔より、豊葦原瑞穂國、豊葦原之千秋長五百秋之水穂國と呼ばれてきました。豊かな葦原と瑞々しく美しい稲穂が実る国、という意味です。
 

皇祖天照大御神は天孫降臨の際、
 

一、天壌無窮の神勅  『豊かな葦原の水(瑞)穂の國は皇孫のしらしめす國です。天つ神の日嗣(ひつぎ)である皇孫と御國は天壌無窮に榮ます。』
 

二、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅  鏡をお授けになり、『この鏡を私とおもって、常に側において斎祭(いつきまつり)なさい』
 

三、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅  皇孫に稲穂をお授けになり、『大切に育て継承しなさい』
 

と、三大神勅を下されました。

 

皇孫であられる、畏くも天皇陛下所知めす皇國は、水穂の瑞々しい穂の國であり、稲穂を神鏡と同じく、天照大御神からの授かりとして大切にし、稲作を継承していけば、いつまでも豊かな稲穂の実りのある國なのです。

日本書紀では天照大御神が自ら神田を営み、機を織られ、新嘗の祭りを行ったとあります。
これこそが我國のお国柄を現しています。

世界には君主制の国が少なくとも20カ国以上あるようですが、長靴をはいて水田に足を踏み入れ、田植えをし、鎌を手に稲刈りをなさるのは、日本の天皇陛下以外には聞きません。

 

現在の稲作は、地域によって異なりますが、五月の連休に田植え、九月上旬には刈り入れます。これは、殆どが兼業農家のためと、台風がくる前に収穫しようとするためです。 そのため日本の神社の田祭の時期と今の稲作サイクルがずれてしまって、神々に対しての感謝の実感がわかなくなってきています。なんのための祭か忘れてしまっている感じがあります。つまり、人間の都合で稲作直を早め縮めているわけです。さらに、先祖伝来の田畑を欲得の為手放し、誠に申し訳ない事をしているようです。日本人の伝統的な思いでは、古事記や日本書記にでてくるように、田んぼも、土も水も稲も神々です。神の子として誠に申し訳ない事をしているようです。

神々に対しての畏れを忘れてしまったのが現世の臣民であります。

畏くも天皇陛下は「祭祀王」「祈る王」だとされます。
昭和天皇の大御歌(おおみうた)に、

 

わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々

 

畏くも天皇陛下は臣人が見ないところで日々、祭りを行い、「国平らかに、民安かれ」とひたすら公正無私の祈りを 捧げておられるのです。

そして、皇祖以来の伝統を継承されておられるのです。

戦後、権利、人権などを誇張し、日本人としての自覚を忘れ、皇祖、先祖、先人よりの御教えを忘れ、豊葦原の瑞穂の国を汚し、変わってしまったのは我々臣民ではないでしょうか。

畏くも、天皇陛下にあらせられましては、皇祖以来の伝統を護り、臣民を護るお姿は神代の昔から普遍なのです。

 畏くも、  天皇陛下は、皇居の神田で、稲種まき、お田植え、御収穫をされています。  誠に神勅の隨々(まにまに)です。  天皇陛下のお田植えは誠に尊いお姿です・・・

 

 

 

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