歌川国貞「豊歳五節句遊・七夕」(国立国会図書館所蔵)

 

 

 

 

 

 

 

すめらぎいやさか

 

拙ブログにご来訪賜り感謝を申し上げます。

九州地方で発生した豪雨により犠牲となられた御霊に衷心よりお悔やみもうしあげます。またこれ以上被害が大きくならないよう祈ります。

 

 

節句(せっく)は、わが国の暦の一つで、伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日。日本の文化・風習。節供(せっく)、古くは節日(せちにち)ともいいます。

意外知られていませんが、新暦では3月3日・5月5日・7月7日は同じ曜日となり今年は火曜日にあたります。

稲作を中心に生活を営んできた日本人にとって、四季の移り変わりはとても大切なものでした。春に籾を蒔いてから秋の収穫を終え、新しい年を迎えるまでの季節の節目ごとに田の神さまをお迎えし農作業の無事や五穀豊穣を祈りました。それが今日に伝わる、五節句やお正月などに代表される年中行事です。
私たちの祖先は、生命(いのち)は神さまや祖先から授かったものと捉えていました。
そして、家族が毎日健康でいられることを神さまのご加護と考えてきました。そして節句には、特別なお供え物をして日頃のご加護に感謝し、これからも家族が健康でいられるよう祈りました。桃の節句に飾る雛人形や、端午の節句に立てる鯉のぼりは、そんな家族の祈りを形にしたものといえます。
往古の昔にはたくさんの節句がありましたが、現代に伝わる五節句は、江戸時代に幕府がそれまでの節句をもとに公的な祝日として制定したものです。五節句には、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日のように奇数の重なる日が選ばれています。ただし一月一日(元旦)は特別な日と考え、替わりに一月七日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れています。また、これらはお正月の七草、三月の上巳(じょうし)の桃、五月の端午の菖蒲、七月の七夕の竹、そして九月の重陽の菊と、必ず季節の草や木に彩られるのが特徴です。

七夕(しちせき)の節句は、七夕(たなばた)祭りのことです。願い事を書いた短冊を結んだ竹や笹が飾られる風景は、夏の風物詩となっています。七夕は、彦星と織姫が年に一度だけ天の川に橋をかけて会うことを許された日という星祭の伝説で親しまれています。こうした習俗は、奈良時代に唐(シナ)から日本に入ってきたものです。

 

日本では、古来お盆に祖先の御霊(みたま)をお迎えする前に、棚機津女(たなばたつめ)と呼ばれる乙女が、人里離れた水辺の機屋(はたや)に籠って神さまをおまつりし、それが終わった日に、禊(みそぎ)をする行事がありました。そこに唐(シナ)から星祭と乞巧奠(きっこうでん、技能や芸能の上達願うお祭り)の風習が入ってきて、七夕という節句行事へと変化してきました。七夕の次の日に笹竹を川や海に流す「七夕流し」は、心身の穢れを流すというお祓いの意味が込められています。
また、棚機津女は、『日本書紀』は、瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)の妃となる木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を、「神代下第九段一書第六」において、「かの先立つる浪穂の上に、八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉も、もゆらに、機織る少女」というように棚機津女として描かれています。


七夕伝説自体は、シナ・日本だけでなく、朝鮮半島・東南アジアの国々に広く分布していますが、アジアの七夕伝説は、大水で流されて二人が離ればなれになったり、水はよくないものとする傾向が強いのです。それに対し、日本の農村の七夕では、雨が降ると穢れ(けがれ)を祓うという意味で、水をよいものと捉えてきたのです。
この行事は、ちょうど稲の成長期である、旧暦のこの時期(八月)は、稲作にとって雨の欲しい時期でもあるため、七夕は「水神祭」であるとも考えられ、神社等で雨乞いの行事も行われたのです。日本の伝統、気候、風土に基づいた「雨乞い」の儀式でもあったのです。

このように、農耕民族であるわが国では、七夕は棚機津女の流れを引いて、水に関わる農耕儀礼として、さらに、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」「七日盆(なぬかぼん)」という祖先の精霊迎えの祓え(はらえ)の行事や、胡瓜や茄子を神の乗り物の馬や牛の形にして供え、田畑の収穫を神々に感謝する庶民の祭りがこれに加わり、日本独特の七夕行事が生まれたのです。
七夕に水と関係がある行事が多く行われるのはその名残といえます。たとえば青森県の「ねぶた祭」などはもともと形代に災難とのかかわりを移し水に流す行事であったといわれています。またこの日は七回水浴びをすると良いとも伝えられています。

 

人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはなりません。

日本の伝統や文化を知るほど日本の素晴らしさがわかります。七夕(しちせき)の節句がそれを教えてくれています。

 

 

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