新しい学問が生まれる条件
昨日(2月25日)は国公立大学の2次試験でしたね。
受験生の皆様、お疲れさまでした。
人間は「ズレている」動物である
突然ですが、人は何故「途方もないこと」「突拍子もないこと」を考えてしまうのでしょうか?
それは、人間は地球上で唯一「観念の世界」を持っているからです。
火山が噴火するのを見て「神がお怒りになられているんだ」と言ったり「神よ、お許しください」みたいなことを言うのも見慣れたシーンかもしれないですが、ある意味「突拍子もないこと」であり、意味不明な行動なわけです。
しかし、人類は「観念の世界」を持っているからこそ超越的存在を意識することが出来て、様々な学問の発達に寄与したわけです。
例えば、言語というには賛否両論かもしれませんが、いわゆる「音声コミュニケーション」をとれる動物は犬やサル、カラス、イルカなどたくさん存在しているわけです。
でもサルやイルカが学問を持っていないのは「観念の世界」を持っていない、論理的思考をするだけの神経回路が発達していないから、というわけです。
※サルも肉体的には人間の言葉を喋れるという研究もあるそうです。
これまでの研究では、猿の舌の構造が人間と異なるために喋ることができないとされていましたが、最近の研究でその定説が覆されました。猿の口と喉のすべての動きのモデルを作って検証した結果、猿が作れる音の幅は、理論上、人間の英語話者の女性と同じという計算になったのです。YouTubeの人気科学系チャンネル「SciShow」より、猿が人間の言葉を話す可能性に関する研究結果をご紹介します。
宗教とか聞くと胡散臭い、学問にとっては害だ、と思っていた時期もありましたが、
「それは今だから言えるに過ぎない」ということを定期的に思い出せるようにしたいですね。
錬金術にも共通するものがありますね。
錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現在の化学薬品の発見が多くなされており[3]、実験道具が発明された。17世紀後半になると錬金術師でもあった化学者のロバート・ボイルが四元素説を否定[4]、アントワーヌ・ラヴォアジェが著書で33の元素や「質量保存の法則」を発表するに至った[5]。これらの成果は現在の化学に引き継がれている[6][7]。歴史学者フランシス・イェイツは16世紀の錬金術が17世紀の自然科学を生み出した、と指摘した。
似非科学者としてのガレノス【権威主義は学問を蝕む】
ローマ帝国時代の大医学者として名をはせたガレノス(129年頃 - 200年頃)の医学論は、一部を除けば全くの出鱈目でした。しかし、当時の四元素説や宗教的思想に合致した考えだった、つまり当時の権力者(聖職者)にとって都合がいい理論であったということもあってか、ガレノスの著書はルネサンス期に至るまで医学の集大成とされてきました。
彼の On the Elements According to Hippocrates は、ヒポクラテスの四体液説を叙述している。四体液説は人体が血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁から成るとする説で[3]、それらは古代の四大元素によって定義付けられ、かつ四季とも対応関係を持つとされた。彼はこの原理を基にして理論を創出した。しかし、それらは純粋に独創的なものというよりも、ヒポクラテスの人体理論の上に構築されたものと見なしうるものである。
信じられない話かもしれませんが、脳出血で倒れた第2次世界大戦中のアメリカ大統領ルーズベルトの治療にも、ガレノスの時代から行われていた瀉血(血液を抜き取る治療法)が試行されたそうです。
当日の彼の血圧は300/190mmHg。最高血圧は1年前から200mmHgを超えていた。主治医はなぜ血圧を下げなかったのだろう。
答えは2つある。まず、当時はよい降圧剤が存在しなかったこと。その上、「高血圧は治療対象とはならない」というのが医学の常識であったことだ。
決してガレノスが悪いわけではありませんが、ガレノスの権威がある意味妨げとなり、解剖学などの研究は1000年以上に渡り停滞することになったわけです。
「途方もないこと」「突拍子もないこと」
話は少し変わりますが、自然科学は人類共通の理解である一方で、社会科学には「真理」というものが存在しません。
「真理に到達なんてできるわけがない」
「真理と聞くと宗教を連想する、胡散臭い」
と感じる方が多いかなと僕は勝手に思っていますが、「真理について考えることが出来る」ことが様々な学問の基になり、人間が道徳的な生き方を選択できるようになった、というのは紛れもない事実だとも思います。
「宇宙の果て」や「死後の世界」について思い悩むような動物は地球上では人類しかいないでしょう。そう考えると人類は地球上で「どこかズレた状態」「浮いている」ともいえるわけです。
さらに言ってみれば「人は他の動物より優れている」なんてのも結果論でしかないですよね。
数百年後~数千年後には全く違う状況になることも考えられるわけです。