この記事は2016年3月10日の記事を
加筆修正したものです。




葬式や法事などのときに

当たり前のように使われている

数珠などは、


実は、バラモン教から

きたものだったということを知り、

これまたビックリしました。




そもそも、お釈迦様は

弟子たちが出家する時には、



「財を何も持たずに出家する」



ただ生きる為に必要な、


「袈裟を3着、茶碗、爪楊枝」


だけを弟子達に与えていたといいます。




袈裟(けさ)の3着のうち、
 
 

1着は着る為に

1着は寝床などの場所に敷く為に

1着は洗い替えの為に
 
 
 
茶碗を持たせていたのは

托鉢(たくはつ)と言って、


お釈迦様の教えを説いた相手に

お礼に茶碗の中に食べ物を

分け与えてもらう為に持っていたもので、


爪楊枝は、

今で言うところの歯磨き用として

持たせていたもの。



お釈迦様が生きていた頃の話では

現在みたいにお寺などがなかった為に、

毎日、外のどこにでも寝てたという。




ただ

毎日生きる為に必要なものだけを持ち、

それ以外のものは何も持たず

教えを広め、お礼に食べ物を頂く

という生活をしていたんだと思います。



ということを知った上で

今の日本に広まっている

仏教というものを見てみると、


お金儲けの事にしか

仏教というものが

使われていないんじゃないのか❓



という疑問が出てきたんです。



だから

そもそもの



「お釈迦様の教えって何だったんだろう❓」
 
 
 
ということを調べたくなった

ってことなんです。




日本では



お葬式をするにも

お墓を作るにも

戒名を付けてもらうにも

焼場に行くにも

納骨するにも



全て「お金」がかかるようになっています。



それは

今の現実世界が

資本主義社会という概念で

成り立っているので、

当然といえば当然ですが。




それを

感謝のお礼という意味で

お坊さん、僧侶の方々にお金を

気持ちとして渡すのであれば

まだ話は分かりますが、


実際に人に聞いた話によると、

日本では

お坊さんや僧侶の方々が、



「○○ぐらいください」
              ↑↑
        (お金の金額)



と言うそうなんです。



こういう話を聞いて、

そもそも

お金儲けの為に

日本に仏教というものが

広まっているのかな❓


と、思っちゃったりもする訳です。



全ての方がそうだとは思いませんし

一人一人、何を信じるのかは

自由だと思うので、


日本の仏教というものが

悪いとも思いませんが、



お釈迦様の教えのように

もともとの教えを知らず、

今までの当たり前の中だけで

生きているだけでは、



「自分が生きていく中で
   本当に必要な物事にお金を使っているのか❓」



ということが

分かりにくくなっちゃうんじゃないか

と思います。



自分の行動も含め

今あなたが選択している物事自体が、

長期的な人生で見てみた時に

現実的に必要なものごとなのか

そうじゃないのかを

じっくり考えてみる必要も

あると思いますね。





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