昨日は十五夜だった。一昨日、テレビで
「仲秋の名月は今日で満月は明日です(*^^*)」
と報道されていた。
職場近くの和菓子屋で親戚の法事に持って行くお供えを買うと、女将が
「今日はお月様見えるかしら?」
と言った。
「すっかり忘れていました。月見だんご一パック下さい。」
と慌てて追加した。
「昨日テレビで言ってたのにで、もう忘れていたわ。」
最近物忘れが酷くなった。ココロノクスリが原因かも知れないが年齢の為かも知れない。
「今日は誰も帰って来ない。」
私と仏壇の前の写真立ての中で笑っている息子だけである。仏壇に月見だんごを供えながら息子に話しかけた。
「今日は十五夜だよ。小芋の炊いたのはないけど月見だんごは買って来たわ。食べてね。」
息子は小芋の炊いたのが大好きだったが、今日は小芋すら買っていなかった。ズボラになったものだ。
返事は返って来ない。
解っていても喋り続ける。
「今日はお月様見えるかな?」
窓を開けて雨戸を開けるとぼんやりとまあるいお月様が見えた。
「あっ、お月様が見えるよ。暫く開けておくね。」
私は窓から月を眺めた。きっと息子も眺めているに違いない。息子は6年前の今日は生きていた。確かにこの世に存在したのだ。
「お母さんが気がつかないだけで、今も側にいるよね?」
そう思っている。子供を亡くしたお母さん達は皆そう思っていると思う。
「以前みたいに話が出来たらいいのに。」
そんな風に思うが、息子の声が聞こえて話が出来たから、ココロノクスリを飲む様になったのだから仕方がない。でも、そのクスリは3ヶ月して自分で止めた。
「もう大丈夫ですから、クスリは要りません。」
その時は主治医にそう言って通院も止めた。ココロノクスリを飲まなくても生活していける様になった。
息子が亡くなって、
「しっかりしなくては。病気になっている場合じゃない。」
それから1年位は病むこともなく、忙しく過ごした。
その代償に息子の声も聞こえなくなり、気配すら感じなくなった。
それが良かったのか悪かったのか今は解らない。
「人からどんな風に見えても、息子と会話出来た頃の方が幸せだったかも知れない。」
と霞んだ月を眺めながら私は考えた。