稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№127(昭和63年2月25日)

2020年08月08日 | 長井長正範士の遺文


〇文武両道の文については既に№27でその習い始めは文も武も同じ段階をふんでいく事を申し上げ、又、№75では、私の家内が、数字は国語なり、国語は剣道なりと述べたのを発表いたしましたが、今を去る昭和59年7月18日に、№以外に半紙1枚に書きまして、皆さんの一部の方に差し上げましたものを、この№の中に入れて貰って、われわれもそれを読みたい、というご意向であることを承りまして、ここに改めて最近の私の感じています事などを含めて再録させて頂きたいと思います。了とせられよ。

〇さて戦前の“剣道は体得だ。百錬自得しかない。” と言って余り詳しい説明をされなかった。そして稽古に参加する者は自ら苦しみを買うて出て、人が一日何本稽古したから、自分はそれ以上稽古せねばと大いに努力修行したものでありますが、それはそれで大変よかったし、何事も真剣味を帯び、本当の鍛錬は己れに克つ剣道で最高でありましたが、戦後時代ががらりと変り、今やインスタント時代、情報過多時代となり、日本人は日本の事だけを考えているだけでよかった時代はとっくに過ぎ去り、地球は狭くなり、今や世界の中の日本の国、日本人はどうあらねばならぬかという大変むづかしい時代に突入し、今後益々国単位、いや亜細亜、ヨーロッパの関係から世界に眼を向けなければならないこの時代に、ただ「稽古をせよ」だけでは皆がついて来ないのであります。これには先ず指導者は何事も筋道の通った理論ずけが必要であり、“なる程”と理解し、納得しなければ、ついて来ない時代である事を目覚めなければなりません。之がため、今迄、再三にわたり、その時代、時代に応じた指導のあり方を研究して、未熟乍らも発表して参りましたが、尚、私の尊敬する多くの先生方のお智恵を拝借し、述べて行きたいと思います。

◎五十音図について申し上げます
ア行は生きものの感嘆詞です
アとか、エとか、これは全部の動物に共通です。犬や猫はア行の言葉で大体わかります。犬や猫は人間のペットとして密接に交流していますから、アイウエオの五字を主に使えばよろしい。例えばコラァーと怒鳴る時は、アにアクセントを強くしなければ通じません。然し野生の動物なら五字も使っていません。このうち一つか二つで充分間に合っている。小鳥はチィチィチィとチだけでやっています。人間にはチと聞こえますが、実際は、チではなく、イであります。ライオンはウォーと言うだけで、すべてわかっているのです。ウとオですべて解決しています。そこにアクセントさえつければ、すべてのコミュニケーションが出来ています。だから、ア行は生きものの共通語だと思います。

カ行は固いものばかり集まっています。
例えば、科、樫、干、幹、岩、木、棋、毅、釘、栗、堅、剣、結、骨、鋼、殻など、古い辞典を見ますというと、カキクケコという字にはどんなものがあるか、より出すと、いずれも固いものがカ行であることがわかります。一度見て下さい。

サ行は霊的なもの、不思議なものが集まっている。
サは人間では理解できないような、スピードで解決する人間の理解できない現象がある。作物が生長する。人間が大きくなる。これらは不思議でしようがない。これをサと言います。いわゆる神様的な神わざであります。だからサは神様だということです。シは死で生長の最終段階で黄泉の国のことです。スは為で、為るも動作、セも施こす動作、ソも動作、素は動作のモトです。そして「蘇」はよみがえるのです。これは全部辞典にでています。みな霊的要素を持っています。続く。
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