稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.85(昭和62年9月5日)

2019年11月20日 | 長井長正範士の遺文


○小川忠太郎先先生が、昨年京都大会の国士舘同窓会の時お話頂いたことを皆
さんにお話致しましたが、これを記録に残しておくため、念のために下記に『
これなら絶対安心だという構え、次に相手をおがむんだ』と仰った。

即ち、構えが出来ていない。この構えなら絶対安心だという構えであること。
平常心を失わない心構えが大切である。それから相手を拝む。これは最高であ
る。これには敵がない。この合掌の精神を世界に広める。それから変化してゆ
くのである。

以上が去年のお話であった。今年は時間が無かったので、申しわけなかったが、
先生に三分以内でお話頂きたいとお願いしたところ、気持ちよく了解して頂き、
ひとことも話されず、ただ黙って両手を合わせて拝まれ、次に胸に手(片手)
を当てられた。それでおしまい。先生は剣道をここまで昇華されている。剣道
の深遠なること百の言より優る。おそれいった次第である。われわれのたたき
合いの剣道は浅い、大いに反省すべきである。

○或る晴れた秋の店先で、という題で、私がまだ、タネの苗の園芸店をやって
いた昭和30年初期(当時はまだ私の道場「長正館」を建てる前)大阪錬武会な
るものを結成、機関誌を発行しておりました。その第5号に、次のような懐か
しい作文を載せたのがあり、まだ幼稚な頃のことが思い出されて恥ずかしいで
すが、書いておきます。

客「おっさん、お前えらいたたきあい(剣道のこと)強いらしいなあー、どれ
ぐらい、いくねん」。私「いやー、下手な横好きで、あきまへんわ」客「いや
いや、かくしてもあかん、皆いうとんでー、だいぶん強いらしいなー、五段ぐ
らい、いくんか」私「もうちょっとなー」(これはもう少し上やということを
意味していうたつもりやったが)

客「そらせやろ、五段ちゅうたら大したもんやさかいなー、まあそれ以上聞か
んとこ。せやかて四段ちゅうても、えらいもんや、そうか、俺ら四~五人かか
っても屁ともないやろ、まあ、しっかりやり」と言って帰った。

再び秋が訪れて、くだんの客がやってきた。客「お前うそいうたなー、おれ、
字読めんさかい知らなんだけんど、七段やてなー、おれびっくりしたんや、い
っぺんいうてこましたろと思うて今日まで辛棒してたんや、われ、せっしょや
で」

私「えらいすんまへん、別に何段であっても、タネ屋の商売には変わりおまへ
ん、かえって剣道強いというような顔したら、お客さんは寄りつきまへんわな、
それこそ損やがな」客「そやそや、それでええねん、しかし、そんな強いこと
を知って、おれ、お前とこのタネ買うて、うかうか生えんやないかいなーと言
えんな、どつかされるさかいなー」

私「いいえーめっそうもない、わたしの一番こわいのはお客さんだっせー、い
や、ほんまに、手も足も出んさかいなー、今までどうり、どうそよろしう可愛
がっとくなはれ、剣道も、あんたの好きなパチンコもいっしょだっせー、好き
やからやめられしまへんねん、そんでよろしねん、ただやってたら気も晴れま
んね、さかいなー、段みたいなものあるさかい変にくらべられまんねん」客「
そうか、それいうてくれて俺も安心や、どれ、タネもろうて帰るとしようか」
客は帰った。

剣の道はきびしい。
店先で剣道の話の出るのは、まだまだ修養が足らないからだ。
いつになったら本当のタネ屋のおっさんになれるのであろうか。終り
以上で結んである。
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