稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

【思い出】お母んの春菊のおひたし弁当

2019年10月12日 | 食べ物の話など
中学校の時は弁当を毎日持っていった。
お腹の空く年頃で、朝食べて、昼はお袋の弁当を食べて、
授業が終わったら学食でパンかうどん食べて部活して、お腹ぺこぺこで帰宅していた。

当時の小遣いは月に300円。
パンは小さい物でも10円、素うどん(かけうどん)は30円で、
いつも慢性的な金欠でお腹が空いていた記憶がある。

何より昼食の弁当が楽しみで、前の晩の残り物中心の弁当でも、
育ち盛りの私にとっては昼食の時間が何より待ち遠しい毎日だった。

その頃の弁当箱は市販のアルマイトの弁当箱で、
ご飯とおかずが簡単な仕切りで仕切られた普通のもの。
しかし市販の弁当箱ではかなり大き目の弁当箱だった。

私は小さい頃から野菜が嫌いで、特に春菊(菊菜)のように、
少し香りのある野菜はほとんど食べないことが多かった。
晩御飯に出てきても食べないでいて母親に叱られることが多い。


(Wikipediaよりお借りした春菊の画像)


(クラシルからお借りした春菊のおひたし画像)

弁当にも野菜の煮付けなどが時々入るが、まあ我慢して食べていた。
ある日、楽しみの弁当箱を開けたら、おかず入れの3分の1が春菊のおひたしだ。
反抗期だった私は「こんなもん食えるか」とそのまま残して帰った。
叱られるかも知れないと思っていたのに何も言われない。

翌日、弁当箱を開けたら、おかず入れの半分が春菊のおひたしだった。
頭にきて、その日も春菊のおひたしを残して持ち帰った。
やはり母親は何も言わない。

その翌日、弁当箱を開けたら、おかず入れの全部が春菊のおひたしだった。
春菊の緑とご飯の白のコントラストは衝撃的で、生涯で一番驚いた弁当だろう。

いつも友人たちと一緒に食べる弁当だったがその日は一人で食べた。
誰にも見られたくなかったのだ。春菊は我慢して全部食べた。

無条件全面降伏である。家に帰って母に詫びた。
「これからは残しませんので普通の弁当に戻して欲しい」と。

晩年の母に聞いてみたら「憶えてへんなあ」と言う。
私にとっては忘れられない衝撃的な事件だったのに。
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