小樽のパパの子育て日記

日々のできごとを徒然なるままに2006年から書いて17年目になりました。
ヤプログから2019年9月に引越し。

小学校のPTA文集

2020年12月03日 05時01分33秒 | 雑感
昭和52年度小樽市立潮見台小学校PTA文集に掲載されたたかばあの随筆が面白い。


文中「彼女の息は、真っ白く、凍ったような重たい空気を押しやるように出てる。」なんて描写は、鮮やかで妙妙たるものだ。





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ライバル礼子ちゃん

中学2年生の頃のことだと思う。
地区の合唱コンクールのために、学校代表のメンバーに選ばれて早朝練習があった。
時期は11月のころで、庭には霜柱が立ち、寒い朝のこと。
私は時間に遅れては大変と走って音楽室に駆け込んだ。
そしたら、教室にまだ2、3人しかいなくて、ちょっと拍子抜けした感じであった。
でもやれやれと安心して、自分のパートのところに座って本を広げた。
と続いて礼子ちゃんが私のようにハァハァと息を弾ませて走り込んできた。
私の隣に座ってからも、彼女の息は、真っ白く、凍ったような重たい空気を押しやるように出てる。
お互いに話をすると、そのたびに息は白く交互に出て、やがて次々と入ってきた人たちの呼吸で教室内の空気は動き、先生もいらして練習が始まった。
ドミソミドの音をアーアーアーアーアーと口を開けて発声練習だ。
皆姿勢を正し、アーアーと言うと、その度にフーフーと白い息が出る。
そして、その息は口の前に出てから横に流れる。
太陽の当たっている窓の方へかすかに流れるのだ。
突然私の隣にいた礼子ちゃんが
「ねえ、席替わる?」と言い出した。
「なんで?」と、とっさのことで、どうしたのかと思っていたら、
「だって私の息があなたの顔にかかるでしょう。いやじゃない」
と言った。
私はびっくりした。
この時の光景はなぜか今になっても鮮明に思い出される。
その時はすぐ、
「礼子ちゃんにはかなわない」と思った。
礼子ちゃんと私は成績のことで、何となくライバル意識があって、周りの人も「体育の方ではあなたの方が優れているから総合力では上よ」
というような言い方をして、ますます相手を意識するということもあった。
しかし、このことがあってから、礼子ちゃんの細やかで優しい相手への心遣いに、しみじみ感心して、礼子ちゃんと対抗するというより「彼女から学ぶ」
という気持ちに変わった。
それにしても13、14歳で自然に出る息が他人にかかるのを気にして迷惑ではないか、と思い届いたことに今でも感心する。
人の話を遮ってつばを飛ばして自己の言い分を言って気にしない大人の多い中で忘れ得ぬ思い出であり、教えられることであった。

北かぜこがらし ふいてきて
ふゆがくるよと ふえをふく
ひゅうるるひゅうと ふえをふく
北かぜこがらし ふいてきて
みじかいふゆの ひがくれる
保育絵本より
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自分たちが小学生だった40数年前、PTA文集なるものが毎年作られていたことに驚く。
父母、教師から原稿を集め、ガリ版を刷り、時間をかけて作られた一冊一冊。
今ならデータをメールで集め、コピペして、レイアウトして、ホイだろうが、当時そうはいかなかっただろう。

PTA活動というものが過去から連綿と紡がれていることに思いを馳せ、PTA活動に勤しみ、我々を育んだ戦前生まれのすべての母親たちに、改めて感謝と敬意を表したい。



小学生のときの文集(2011年08月14日) 



追記
文集表紙、版画で描かれた潮見台小学校の古い木造校舎が懐かしい。
今も残る踏切側の坂から登ると、校舎の角には旗掲揚台と職員玄関があったと思う。
2階がちょうど図書室だった。
1階角に児童クラブの教室があり、低学年時は夕方までそこで過ごした。
12月のこの時期は、家までの道が暗く長くて心細かったっけな。
電柱の明かりを数えながら、あとちょっと、あとちょっと、と歩いていたっけな。



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