ひなまつり、ひな人形、夢見るシャンソン人形、紫式部、大河ドラマ、光る君へ、弘田三枝子、森昌子、福岡県 柳川市、佐賀県 唐津市、京都市、下賀茂神社、ひな段飾り、フランス、歌謡曲、洋楽。

にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲・好きなアルバムへ  

 
 

歴音11.ぼんぼりの灯は照らす(私のお人形・1)



「ひなまつり」の季節 真っ盛り!
今回のコラムは、昨年のコラム「ぼんぼりの灯は照らす」を加筆修正して掲載させていただきます。

「私のお人形」シリーズの第1回です。
連載は 4~5回の予定です。


◇「ひなまつり」は、ドラマがいっぱい!

昨年あたりまでの コロナ禍の「ひなまつり」では、田舎のお爺ちゃん、おばあちゃんの家に飾ってある「ひな段飾り」を、遠方に暮らす孫たちが見に行くことができず、せっかく飾ってあっても、孫たちと一緒に過ごすことができないという「ひなまつり」が続いていましたね。

コロナ禍でも、いちるの望みを込めて、孫たちのために、毎年「ひな段飾り」を飾っていた祖父母ですが、「コロナ禍で孫に会えない ひなまつり」というブログ内容を、この数年 たくさん目にしました。
祖父母たちにとっても、「ひなまつり」は、孫たちと過ごせる楽しい期間となっていますね。

「ひなまつり」は親子だけのイベントではありません。
祖父母も含めた、家族のイベントだと実感しますね。

さて、今年の「ひなまつり」は、コロナ禍の前のような状況に戻っているのかどうか…?

今年も、飾ってあるよ…!
おいで!

「ひなまつり」は、祖父母と孫のドラマが、いっぱい!

* * *

コロナ禍の頃の「ひなまつり」では、コロナの影響で、3月に休校となっていた地域も多く、3月3日の朝に両親を仕事に送り出し、子供たちだけで自宅で留守番をしている家庭も多くありました。

ブログでも、パパやママが休暇をとれない中、たくさんの子供たちが、留守番をしながら、家で「ひなまつり」の人形をせっせと作っているという内容のブログをたくさん見ました。

ステイホームの中、男の子も、「今日はママの日だね」と言って、見よう見まねで「ひな人形づくり」をするという内容もありました。

私の記憶に残っているブログ内容をご紹介します。

あるママが、平日の3月3日のお昼に、子供たちの昼食をつくるため、仕事場から 急いでいったん自宅に戻り、昼食をつくるのです。
そして その時に、子供が手作りした「ひな人形」を見て、感動し 元気をもらって、仕事場に戻って行くという内容でした。

ママはママで、昼食として子供に与える普通のインスタントラーメンの上に、お内裏様の絵柄がついた「かまぼこ」を2枚…、チャーハンの上に錦糸玉子を少しだけ乗せ…、ひとときの小さな「ひなまつり」の光景です。
ささやかではあっても、何とも、心の温まる「ひなまつり」の光景を感じました。

この時期は、ネット上のブログにも、子供たちが手づくりした「ひな人形」のオンパレードですね。
子供たちの手づくり人形といい、ママたちの行動といい、見たり読んだりしていて、思わず涙ぐみそうになります。
パパたちには、ちょっとマネできないのかもしれませんね。

「ひなまつり」は、母と子のドラマも、いっぱい!


◇ひなまつりの歴史「桃・もも」

「歴音fun」ですので、ここからは、少し歴史を…。

今現代は、「街おこし」などのビジネス的要素も加わってはいますが、「ひなまつり」は基本的に、各家庭で、女の子の成長と幸せを願う大切な行事ですね。

* * *

コラム「歴音4.豆のうた ~ どうぞマメに!」のところで、「新暦」と「旧暦」の関係性について書きましたが、「ひなまつり」のお祝いの「3月3日」は、実は旧暦の3月3日をあらわしています。
ですから、旧暦でいう今年2024年の3月3日は、実は、新暦でいう2024年4月11日にあたります。

「ひなまつり」のことを「桃の節句(もものせっく)」とも呼びますが、食べる「桃」の実の収穫期は、新暦の6月から9月あたりの時期ですので、この場合の「桃」は桃の花の開花時期という意味です。
桃の花の開花時期は、新暦の3月中旬から4月にかけてですので、旧暦の「3月3日」頃の時期と符合しますね。

節分の「豆まき」のコラムの際にも書きましたが、邪気や魔物を追い払うのに、飛鳥時代頃までは、「柊(ひいらぎ)の枝」ではなく、「桃の枝」を使っていました。
「桃」には、ふしぎな霊力が宿り、邪気を追い払うと信じられていました。
「桃」は、祈祷においての利用はもちろん、その実は、薬としても重用され、皇室の特別な管理のもとで育てられていました。
健康維持、治療、長寿の妙薬として、「桃」は、まさに王様のような植物・食物だったのです。

* * *

さて、日本では、大陸から漢字がもたらされる以前は、もちろん、しっかりとした文字を持たず、ほぼ「言葉」しか存在していませんでしたが、非常に数の多い状況をあらわす言葉として、日本には「もも」という言葉がありました。

前述の植物・食物である「桃」をあらわす漢字の「桃」が伝来した際に、この「もも」という言葉と組み合わされます。
まさに、たくさんの霊力をそなえた植物の実…それが「桃(もも)」なのです。

「百歳(ひゃくさい)」「百年(ひゃくねん)」を、時に、「ももとせ」と読む場合がありますが、この「もも」こそが、植物の「桃」をさし、不老長寿や永遠の年月を意味するのだろうと思います。

「桃」と「もも」が、どれほど霊力を持ち、願いを込めた、おめでたい用語であるかが、わかりますね。
「祝」や「賀」に似た意味あいをも感じます。


◇ひなまつりの歴史「巳・へび」

さて、旧暦の3月3日(新暦の4月上旬)は、日本の五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のひとつの「上巳(じょうし・じょうみ)」の日にあたります。

もともと、平安時代よりも前から、この日に、貴族の上流社会の中で、「上巳の節句」と呼ばれる行事が行われていました。
巳(へび)が脱皮し成長するように、生まれかわりを願う、厄払いの意味あいの祭礼が行われていたようです。


◇ひなまつりの歴史「人のかたち」

日本各地には、古代から続く、紙で作られた、人間の形をした型紙などを川に流す祭礼が、今でも一部の地域に残っていますね。

人間の「けがれ」を封じ込めた、その紙の「人の形(人形)」を川や海に流し、さまざまな災いや厄をお祓いする意味あいです。

地域によっては、「ひな人形」を川に流す「流しびな」の風習が、今も残っていたりもします。
つまり、実際の人間の身代わりとして「人形」があったわけです。

歴史の中では、生き物の霊魂がよりつく対象物を「形代(かたしろ)」と呼びますが、人間の霊魂の場合の対象物が「人形」となります。
「流しびな」の風習は、まさに形代としての人形の典型的な例ですね。

* * *

現代でもよく使う言い方に、「ひながた(雛型)」がありますね。
この「雛(ひな)」とは、もちろん「おひなさま」の「ひな」に由来しています。

江戸時代あたりまでは、女性の出産は非常に危険を伴うもので、母子が命を落とすことはめずらしいことではありませんでした。
出産時に、母子の枕元に、人の形をした紙の型紙を置き、邪気に対して、実際の人間の身代わりとしたのです。

前述の、紙の「人の形(人形)」を川や海に流し、さまざまな災いや厄をお祓いする意味あいに似た行為です。

現代人であっても、病気や災害など、お人形さんが自分の身代わりになってくれるのであれば、とてもありがたいことですね。

* * *

実は今、日本各地の神社や、街おこしのイベントとして、「流しびな」が続々と復活しています。
東京浅草の隅田川や、人形の街として知られる埼玉県さいたま市の岩槻(いわつき)なども有名です。

3月3日に限らず、日本各地で復活していますので、どうぞお近くの「流しびな」行事をご確認の上、お出かけください。

* * *

下記映像は、昔から有名な、京都の下賀茂神社の「流しびな」の光景です。
この神社の風景は、まさに、平安時代の子供たちの「ドールハウスごっこ」の光景そのものだと感じます。
さすがに、京都は、古式にのっとり、男性が向かって右側です。
2023年3月3日の映像です。

 

このように、厄払いとしての「もも」、「桃」、「巳(へび)」、「人形」などの要素が、見事に組み合わされ、今のような「桃の節句」「ひなまつり」に進化していったと思われます。

とはいえ、古代から江戸時代まで歴史が進まないと、今のような「ひな段飾り」は登場してきません。

どのように進化したのか…。
ここから書いていきます。


◇ドールハウスごっこ

もともと、平安時代より前からだろうと思いますが、貴族の子供たちは、天皇の住まいである御所のような建物の模型に、さまざまな装飾を飾りつけ、そこに人形を配置し、楽しく遊んで過ごしたのだそうです。
今現代の「ドールハウスごっこ」をイメージさせます。

子供たちは、いつの時代も、何かの風景を想像しながら、人形や道具、おもちゃなどを使って、仮想空間で遊ぶのが大好き!

今でも、女の子たちは、家の模型や、台所の模型などで、人形を動かしながら、それぞれの台詞をしゃべりながら、ミニドラマ「ままごと」を楽しんでいますよね。
「ままごと」とは、漢字で「飯事」と書きますが、「まねごと(真似ごと)」から派生した言葉です。
つまりは、ママの炊事の真似ごと… 女の子たちの仮想空間の遊びですね。

娘たちは、普段のママの言葉を そのまま しゃべっていますよ!

* * *

佐賀県の唐津市には「ひいな遊び」「ひいな祭り」と呼ばれる風習が残っています。
九州北部は、今の天皇家につながる、古代の一族「宇佐族」(「因幡の白うさぎ」のうさぎのモデル?)が暮らした地域ですね。

下記映像には、御殿の屋敷に人形が飾られたものが登場します。
もともとは、段飾りではなく、御殿や屋敷の模型とお人形がセットで作られ、それを、子供たちが遊ぶものであったということだと思います。
「ひいな」という呼称については、後ほど書きます。

2018年(平成30)のテレビニュースです。

 

 

こちらは、同じ九州北部の福岡県柳川市の「さげもん」です。
一般的にいう「つるしびな」です。
「さげもん」…これほど たくさん吊りさげんでも!
おまけに 水上パレードまで… 壮大な、ひいな遊び!

 

こうして考えてみますと、「ひなまつり」は、必ずしも、階段状の「ひな段飾り」がなければいけないということではないともいえます。

今も、各家庭の自由な発想で いいのかもしれませんね。
そもそも、子供たちの「お人形あそび」「ドールハウスごっこ」「ままごと」なのですから…。


◇ひいな

さて、「おひなさま」の「ひな」とは、平安時代のかわいいを意味する「ひいな」という言葉が「ひな」に変化したとも、実は、「ひな」「ひいな」「ひひな」など、さまざまな呼び方があったなど、いろいろな説があります。

今現代は、多くの女性たちが、子供他たちや、子犬、子猫を見た時に叫びますね。
「かわいい~!」
いい歳のおっちゃんに向かって言う「かわいい~」は、また少し違う意味…。

実は、この「かわいい」は、哀れや可愛そうを意味する「かはゆし」「かははゆし(顔 映ゆし:火照った顔の意味)」から派生した言葉という説があります。
ただ、そうなると現代の、子供や子犬に向けた「かわいい」とは少し意味がちがうかもしれません。
子供たちが、恥ずかしさで赤らめた顔が、なんとも かわいいと感じる場合もないわけではありませんが…。

おっちゃんに向けた「かわいい」は、まんざら、哀れ感が漂います…。

あくまで個人的見解ですが、現代の「かわいい」は、「かはゆし」と「ひいな」の合体用語ではなかろうかとも感じます。
「顔 映ゆし」の「ひいな」たちは、なんとも かわいい…。

* * *

かわいいを意味する「ひいな」ですが、「ひいな」や「ひな」は、女の子たちが遊びで使う、小さな人形自体を意味していたともいわれています。

平安時代には、「雛遊び(ひいなあそび・ひなあそび)」という表現が、すでに登場しています。
「ひな人形を使った遊び」という意味なのか、「かわいい遊び」という意味なのかは、よくわかりません。
ただ、そこには、ドールハウスごっこを想像させる、小さな女の子たちの遊びが存在していたのは確かだと思います。

平安時代は、文学的な新しい日本語用語が、文学者たちを中心に、たくさん作られた時代です。
両方の意味あいを込めた「雛遊び(ひいなあそび・ひなあそび)」という、かわいい用語なのかもしれません。


◇まひろ(紫式部)の、ひいなちゃん

今年のNHKの大河ドラマ「光る君へ」の主人公は、源氏物語の作者の紫式部(むらさき しきぶ)ですね。
「紫式部日記」の中の一文に、次のような記述があります。

「小さき御台、御皿ども、御箸の台、洲浜なども、雛遊び(ひいなあそび)の具と見ゆ。」

(現代風に訳します)
小さな御膳用の台も、器も、箸置きも、(御膳を飾る)置物も、子供たちの「ひいな遊び」の道具のように見えますね。

つまり、子供たちが遊ぶ「ドールハウスごっこ」で使われていた、小さな家具や食器などのように見えますと言っています。

紫式部が、すでに「雛遊び(ひいなあそび)」という用語を使っていることからも、すでにそうした一般的に通じる言葉と、そうした遊びが存在していたことになります。

* * *

こうした表現が、歴史史料の中に登場した時は、歴史研究家たちは、皮肉を込めた悪意なのか、まったくの良心からの善意なのか、どちらかを、まずは つきとめようとします。

悪意となれば、「ドールハウスの食器のような粗末な品物たちね。なんて小さな屋敷なの、この家は…。何よ、このテーブルの上の飾りは…センスないわね」という意味あいを込めているとなります。
それぞれの貴族や武家の女性たちの間にある、ライバル関係が表現されることも、しばしば…。

ですが、この紫式部の文章は、まったく逆の善意に満ちたほうの表現であるのは、間違いないだろうと感じます。
この一文だけを見ても、明らかに第三者が読むことを前提に、表現も まさに執筆業にたずさわる者の表現ですね。

* * *

紫式部の この一文のくだりは、藤原道長と倫子(ともこ・りんし)の間の娘である藤原彰子(あきこ:一条天皇の皇后)が息子の敦成親王(あつひら しんのう:後の御一条天皇)を生み、その敦成親王が生まれてからの「50日のお祝い」行事として、紫式部などの従者である「女房」たちが、「御前(おもの)」と呼ばれる、実際に赤ちゃんが食べるわけではない(?) 小さな「御膳」を運んで行くときの様子を記したものです。

お祝い行事ではありますが、紫式部が「ひいな遊びの道具のように見えます」と記していますので、当時の幼児たちが 実際に使う食器であった可能性もないわけではありません。

紫式部は、道長の娘の彰子(あきこ)の「女房」をつとめていました。
「女房」とは、お世話係、教育指導係、相談役のような、その人物にとって 非常に大切で親密な存在です。
紫式部は、自身の子はもちろん、道長と倫子の子も、お世話していたのです。

おそらく、大河ドラマにも登場してくるだろうとは思います。
この「ひいな遊び」のような場面は、ドラマ内に登場するでしょうか… ぜひ 見たい!
この時代に、「ひな段飾り」は、まだ ありません。

* * *

この「紫式部日記」をもとに、後の鎌倉時代初期に作られた絵巻物の「紫式部日記絵巻」の中に、このシーンと思われる「御前(おもの)」と紫式部と思われる人物が描かれています。
平安時代の直後の鎌倉時代の絵巻物ですので、おそらくは、実際の風景に限りなく近い描写であろうと思われます。
この絵巻物は国宝ではありますが、この「御前(おもの)」の絵は… さすがの まひろちゃんでも…。


◇段飾りは男性発想?

さて、話しを歴史に戻します。

貴族の子供たちの「ドールハウスごっこ(お人形遊び)」は、戦国時代が終わり、平安時代以来の安定期の江戸時代になり、「人形」の歴史的な精神性や、武家のステータス(社会的地位の象徴)と結びつき、今のような、日本文化の香りがただよう「ひなまつり」の風習として武士階級に広がっていったとも考えられます。

さすがに、子供たちのドールハウスのままでは、武家のステータスは表現しにくいですが、豪華絢爛な段飾りとなると、大人の男性たちの鑑賞と、自慢や見栄にも つなげられますね。

重臣たちの、こんな言葉が聞こえてきそうです。
「殿の家の ひな段飾りは、さすがに立派ですな~。金(きん)を ふんだんに使っておられる。京の都の有名職人の作であられますか。姫様方のお着物も、それはお美しい…」とか なんとか。

今も昔も、男性たちは、「出世の階段」が大好き!
ピラミッド状の階層社会が大好き!
「持ち上げ」「持ち上げられ」が大好き!
ひょっとしたら「段飾り」とは、男性の発想なのかもしれませんね!

* * *

一方、女性たちは、長い戦国時代が終わり、江戸時代になり、文化を愉しむ ゆとりが出てきたとも いえるかもしれません。
「お人形を飾って愉しむ」という感覚は、平和な時代でしか培われてこないのかもしれませんね。

「私たちは、とにかく、かわいく、美しく… 愛よ! 男たちとは、見るところが違うのよ」。

* * *

江戸時代の社会に「ひなまつり」の行事が広がるとともに、「上巳の節句」は女子、「端午の節句」は男子にと、しっかり分けられていきます。
これも、男性社会の統治意識のあらわれかも…。

武家屋敷の座敷や玄関に飾りやすく、立派で見栄えのいい、大型の七段の「ひな段飾り」が登場してきます。
後に、段の数は増えていきます。

古式にならった関連した食べ物、飲み物などに加えて、さまざまな内容が、ひなまつりの行事に加わっていきます。

子供たちには、ひなあられ、菱餅(ひしもち)…。
大人たちには、白酒…。
二日酔いには、はまぐりのお吸い物…?

* * *

もともと「菱形(ひしがた)」のような四角を含む図形は、源氏の名門武家の家紋などに使われた図形ですので、角型系の家紋は、名門の証ともいえます。

信州の山に五竜岳(ごりゅうだけ)という山があり、春にあらわれる「菱形」の雪形は、武田信玄の武田家の家紋にちなみ「武田菱(たけだびし)」、「武田の御菱(ごりょう)」と呼ばれています。
つまり、戦国時代に、この山は、源氏の超名門・武田氏の領地だったのです。

実は、江戸時代に「ごりゅうざん(後立山:立山の後ろにある山)」と呼ばれていた山は、今の五竜岳ではなく、今の鹿島槍ヶ岳のことでした。
明治時代になってから、「ごりゅうざん(後立山)」の名称を廃し、武田家にちなんだ「五竜岳」と、本来「ごりゅうざん(後立山)」名だった山を「鹿島槍ヶ岳」という山名にしたようです。
政治的、ビジネス的な匂いがしますが、ひし形の男の大人たちは勝手です!

今も、五竜岳の山肌には、春になると、「武田菱(たけだびし)」、「武田の御菱(ごりょう)」が、はっきり見えますよ!
さて、その雪形が、菱餅に見えるかどうか…?

実は、菱餅も、ひな段飾りといっしょで、江戸時代から「段重ね」が増えていきました。
今の主流は、三色三段重ね!
いつかは、五段、七段の菱餅も… ハンバーガーか?


◇子供も、大人も、お祭り気分

3月3日のひなまつり… 子供たちをさしおいて、白酒、甘酒、ちらし寿司…、いつのまにやら、大人も楽しさいっぱいです。

「殿のおはからいじゃ、みなで春を楽しもうぞ! 大人は白酒をもて…」とか なんとか。

もはや、子供も、大人も楽しめる、日本の一大イベントとなり、武士階級だけでなく、裕福な庶民にも広がっていきました。

* * *

大もとの人形の祭礼は、お祓いの意味あいの強いものでしたが、お金持ちの武家とはいっても、豪華な ひな人形を川に流す「流しびな」などできませんね。

さまざまな事情や現実の中、時代を経る中で、より多くの人たちが楽しめる「ひなまつり」の内容に変化していったように思います。

今でもそうですが、嫁入り道具のひとつとして、他家に嫁ぐ花嫁に「ひな段飾り」を持たせることがあります。
その一族の本家で代々引き継がれていく「ひな人形」もありますね。
「この ひな人形を見ると、先代の殿のご夫婦を思い出す…」。

* * *

なにより、「ひな人形」は、親が娘にたくす思いや願いを込めやすく、娘たちも大喜び!

大人たちは、集まって、お酒や料理、お菓子を楽しみながら、それぞれの夫婦や娘の話し、自身の子供の頃の思い出話しなどで盛り上がる…、これが日本中に「ひなまつり文化」が広まっていった要因かと思います。

コラム冒頭で、祖父母と孫の話しを書きましたが、「ひなまつり」の時だけは、いつも怖いおじいちゃんが、なにか優しい…。

* * *

大人になって、ひな人形を見た時、きっと多くの方が、自身の幼少期や家族のことを思い出されることと思います。
祖父母のことを思い出す方も、きっと多いことでしょう。

「ひなまつり」は、日本の人形文化と製作技術の発展だけでなく、多くの日本人どうしが、「生きがい」や「考え方」、「家族文化」を共有する「雛型(ひながた)」として 大きく貢献してくれている気がしますね。


◇ひな段飾りの様式(お内裏様)

実は、「お内裏(だいり)様」とは、男雛と女雛の両方をさすものです。

童謡「うれしい ひなまつり」の歌詞の「お内裏様とおひなさま」は、厳密には違っています。
厳密に言うと、お内裏様は夫婦のことで、男雛は男人形、女雛は女人形です。

「内裏(だいり)」とは、平安京(今の京都市中央部)にある皇居の敷地「大内裏(だいだいり)」の中の、塀で囲まれた、天皇が政務する場所や、日常生活を行う重要なエリア(場所)のことです。
場所という意味では、「御所(ごしょ)」、「禁裏(きんり)」と呼ぶ場合もあります。

ですから、「お内裏様」、「御所様」、「禁裏様」というように、「様」がつくと、それは場所ではなく、特定の人物を意味することになります。

* * *

江戸時代に生まれた「ひな段飾り」は、もともと天皇皇后両陛下の結婚式を表現したものです。
ですから、最上段にいる夫妻のお人形は、おふたりで「お内裏様」となります。

大型の七段飾りの場合は、「15人飾り」と呼ばれ、桜と橘(たちばな)の樹木を、御所と同じように、ひな壇に飾り、三人官女(侍女)、五人囃子(音楽隊)、二人の随臣(ずいじん・武器を持った右大臣と左大臣)、三人の仕丁(じちょう・従者)が、お内裏様の各下段に、順番に並びます。
そして、最下部に、多くの嫁入り道具などが並べられます。

天皇皇后両陛下、側近の侍女、音楽隊、政治家と軍人、従者たち、重要な品々という順番で上から並んでいます。

* * *

さて、数年前に、男雛と女雛の「お内裏様」の本物の姿を、天皇皇后両陛下の「即位の礼」で見ることができましたね。
皇后陛下や女性皇族の方々は、髪型の「おすべらかし」や、十二単(じゅうにひとえ)の御着物を着ておられました。
テレビや映画の時代劇ドラマの中の「なんちゃって十二単」ではありません。
お人形の「おひなさま」の姿といっしょでしたね。

ひな人形たちの、華やかで素敵な衣装は、決して想像物ではなく、現実に人間が着ていた着物なのです。


◇ひな段飾りの様式(左と右)

さて、ひな段飾りは、東日本と西日本で、男雛(おびな)と女雛(めびな)の並び方が逆であったりするのは、よく知られていますね。

日本の古来からのしきたりでは、向かって(自分から見て)右側が上位の立ち位置ですので、古式に従えば、男雛が右側です。
関西の「京雛(きょうびな)」では、男雛が右側です。

* * *

明治維新により、天皇陛下が東京にお移りになりました。
当時の明治政府は、西欧列強に追いつけ追い越せの政策もあり、西洋の習慣をどんどん取り入れていきましたね。
貴族は、洋服やドレスを着るようになり、西洋式の食事、マナーが行われるようになりました。

西洋では、基本的に、上位の人間が向かって(自分から見て)左側に立ちます。
今の映画の配役テロップも同じです。同クラスの俳優の場合は、いつも もめますね。

そうしたこともあり、「関東雛」では、向かって左側が男雛となっていきました。

数年前の、令和の新天皇の即位関連行事では、外国の賓客をたくさん招待する国際的な儀式・行事がたくさん行われました。
ですから、天皇陛下も、向かって(自分から見て)左側にお立ちになりましたね。
ちなみに、明治天皇夫妻の場合、古式のとおり、明治天皇は向かって右側でした。

おそらく今は、祭礼や儀式、行事によって、使い分けられているのではなかろうかと思います。
詳しくは承知しておりませんが、京都はいろいろ許さないかも…。

* * *

京都御所の大内裏には、「紫宸殿(ししんでん)」という中心となる重要な建物があり、建物前には向かって右側に桜(紫宸殿から見て「左近桜」)、左側に橘(たちばな / 紫宸殿から見て「右近橘」)の樹木が植えてあります。

ひな段飾りも、これと同じに飾りますので、「左近桜」は、向かって右側に飾るのです。
ついつい左右を勘違いしてしまいますね。

* * *

政治家と軍人である「大臣」の並び方も、前述の樹木と同じです。
右大臣は、ひな段の向かって左側で、左大臣は向かって右側です。

ようするに、左右の大臣の席も、左右の樹木の場所も、右か左かは、大臣たちの奥におられる天皇陛下の席(ひな段の最上段)からから見て、右側に見えるのか、左側に見えるのかによって、呼び方が決まります。

右大臣が武力のある若武者を意味し、左大臣は知性や学識のある老武者(政治家)です。
両者は、いわゆる皇室の防衛警護と政務の役目です。

左大臣(政治家)は、右大臣(軍人)よりも格上です。
「文民統治(軍のトップに政治家をおく)」という思想は、洋の東西を問わず、貴族文化の思想の流れともいえますね。
たいていの「ひな段飾り人形」では、左大臣は年寄りの表情をしていますから、すぐにわかります。

* * *

江戸時代までのトップ級の武将や公家たちには、左大臣、右大臣、左大将、右大将などの官位が与えられていました。
「右大将」は、実は、「征夷大将軍」よりも格上です。
形式上では、「将軍」の上に、いく人もの「格上」がいました。

一応、格は「大臣」や「大将」が上ですが、政治の実権は、武力を自由にできる「将軍さま」が握っていましたね。
「ひな段に、きな臭い将軍など上っては いかん!大臣になってからじゃ!」

「左大臣(政治家)」になれたのは、基本的に五摂家(近衛・鷹司・一条・二条・九条、ようするに藤原家)で、源頼朝、織田信長、徳川将軍らは、右大臣や右大将(右近衛大将)です。
たいがいの武人は「右」です。
ようするに武人(軍人)たちは「右」です。
「右」と「左」は、今でも、似たような意味あいを持っていますね。

右大臣の信長が「右府様(うふさま)」と呼ばれていたのはそのためです。
家康の「内府様」という有名な呼称は、「内大臣」だった時代のことです。
右でも、左でもない、「内」です。
「内」の裏におられるのが…。

今の現代人からすると、ややこしい肩書ですが、江戸時代までの武家では、とんでもなく重要な意味あいで、何人(なんびと)たりとも絶対に逸脱してはいけない日本の社会ルールでした。

* * *

童謡「うれしい ひなまつり」の歌詞の中に、「赤いお顔の右大臣」というものが出てきますね。
実は、酒に酔って、赤い顔をした大臣の武者は、本当は、若い「右大臣」のほうではなく、年をとった「左大臣」のことです。
後で書きますが、作詞者が、右と左を勘違いしていました。

この歌詞内容の過ち… 江戸時代までだったら、許されたでしょうか?
切腹ものかも…。

* * *

ご自宅で、ひな段飾りを飾る際、「お内裏様」夫婦の左右の並べ方は、各家庭の自由でいいのかもしれません。

「うちは関西だから古式のとおりに」とか、「わが家は、実際の夫婦のチカラ関係にあわせて」とか、「ひなまつりくらいは、ご主人を立てましょう」でも、いいかと思います。
あれ、うちの結婚式はどうだったっけ?

微妙な話しは置いておいて、小さな女の子たちでも、大人の女性たちでも、この日に、何か夢や希望を抱いたり、厄払いでホッとできたり、一瞬でも親からの愛情を思い出せれば、それでいいのかもしれませんね。

「ひなまつり」…、それは愛や夢を感じる日!
「ひなちゃんの日」、「ひいなちゃんの日」です。

「私も、昔は、ひいなちゃん…」

日本中の「ひいなちゃん」たちは歌いましょう。
♪今日は、私も、晴れ姿…。


◇うれしい ひなまつり

童謡「うれしい ひまなつり」は、1936年(昭和11年)に発表されたもので、作詞は、サトウハチローです。

この歌詞は、古くから、いくつかの誤りが指摘されていますね。
サトウハチローも、作詞した時点で誤認していたと語っていたそうです。

歌詞の「お内裏様とおひな様」…、前述しましたが、「お内裏様」は男雛(天皇)と女雛(皇后)の両方を示すもので、両者を区別して表現するものでは、本来ないものです。

歌詞の「赤いお顔の右大臣」…、赤い顔の年をとったほうの武者は、本当は左大臣です。

歴史マニアや歴史ファン、日本文化に精通している人でもなければ、ついつい間違えてしまいますね。
すでに、歌詞が定着しすぎて、変更も簡単ではありません。

* * *

この歌の歌詞は、ひな段飾りの華やかな光景と、その段の前にちょこんと座るかわいい着物の女の子が、目に浮かんでくる、それは素晴らしい歌詞ですね。

この歌詞だからこそ、世の中に定着した童謡だと思います。
内容に間違いがあるとしても、歌詞を変えたくない気がします。

この歌詞は、ひな段(壇)の前に座って、姉がお嫁入りをし、妹が「次は自分だ」という思いを強く歌った内容です。
「ひなまつり(結婚式)」や「お内裏様(夫婦)」へのあこがれや夢、期待と不安が語られていますね。
子供から見た 大人の酔っぱらった こっけいな姿も描かれています。
そして、「晴れ着」を着た時の、女性のうれしさが にじみ出たような歌詞ですね。

歌詞内容の間違いエピソードとともに、素晴らしい童謡を残していくのも、「学べる うれしい ひなまつり」かもしれませんね。

童謡「うれしい ひなまつり」
♪あかりをつけましょ、ぼんぼりに。お花をあげましょ、桃の花…。
♪おだいり様と、おひな様、二人並んで、すまし顔…。

まさに、その光景が目に浮かぶ歌詞です。
この歌を聴いただけで、どうして、こんなに うれしい気持ちになれるのか…。

この童謡は、日本の「ひなまつり」には、なくてはならない存在ですね。

♪うれしい ひなまつり

 

ののちゃん
♪うれしい ひなまつり

 


◇お人形ソング

ここからは、人形をテーマにした古い名曲たちを少しだけ…。

人形の曲には、女性の思いがつまってます。
男性は、「ひなまつり」に、彼女たちの叫びを聴かずして、いつ聴く!

* * *

両親からしたら、もう少し、飾っておいて いいんだよ…。
えッ! もう持っていちゃうの…!

森 昌子
♪雛ものがたり(1986・昭和61)

 

* * *

下記の楽曲「花嫁人形」は、1923年(大正12)に作られた楽曲です。
もはや、婚礼業者や歴史マニアならともかく、歌詞の古い用語をしっかり理解できる方も少なくなりました。

女性たちにとって、この人形姿は永遠の姿なのかもしれません。
父親にとっては、いつまでも手放したくない お人形…。

ここは、倍賞千恵子さんの歌唱で…
♪花嫁人形

 

* * *

下記作品は、あまりにも 哀しすぎる人形の歌詞。
人形は、誰かに命を預けている…。
歌詞は、さすがの「なかにし礼」さん。
今 思うと、弘田三枝子さんの人生を感じます。

歌手たちと、ヒット曲の出会いは、あまりにも不思議…運命(さだめ)?
彼女が暮らした家は…。
ある意味、テレビ画面の中の歌手たちは、みな 何かの「お人形」なのかも?

弘田三枝子
♪人形の家(1969・昭和44)

 

* * *

私は、「人形ソング」と言って思い出す邦楽が「人形の家」であるなら、洋楽は この楽曲です。
フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」!

1965年(昭和40)にフランスで発表されてから、世界中で大ヒット。
当時から今現在まで、多くの歌手に歌い続けられていますね。

とはいえ、最初の、この女性アイドル歌手のかわいい歌唱を超えるカバーソングに、私は出会ったことがありません。
つたない歌唱力ではありますが、まさに音楽曲として完成されています。
多くの歌手が挑戦しましたが、この若いギャルと、サウンドやアレンジには、なかなか太刀打ちできない気がします。

時折、無性に聴きたくなる~ズ・ボンボン!
何やねん! rose bonbon(ルーズ ボンボン) って? 欲しいわ~!
それにしても、見事な邦題と歌手名!…ギャル部分は本名の一部。
私は個人的に、今のマクロン大統領の顔を見るたびに、このメロディが頭をよぎります。
いい意味です。

70年代の日本では、「フランス人形」の大ブームが起こり、ガラスケース入りの超巨大な「フランス人形」が、各家庭に鎮座していましたね。
でっかい派手な帽子で金髪、中世の豪華衣装!
小型冷蔵庫級の大きさでした… どこに置くんだ!?

今の若い世代の方々はイメージできるでしょうか…、このようなお顔のフランス人形です。
まるで、お人形が歌ってます…。

私… 若い頃、この楽曲の冒頭の音を吹きたくて、フルートを欲しかった!
でも、学校の縦笛で我慢しました。
フランス人形のような、女性フルート奏者の方々… 今、いかがですか!

それにしても、女性人形たちに教えてあげたい!
愛や恋は、決して歌の中だけではないよと…。

フランス・ギャル
♪夢見るシャンソン人形(1965・昭和40)

 

ここからは、カバー演奏を少しだけ…

ジェニファー
♪夢見るシャンソン人形(2013・平成25)

 

Thùy Dung
♪夢見るシャンソン人形

 

ギターで弾きたい!
♪夢見るシャンソン人形

 

いろいろな「シャンソン人形」演奏がありますが、やはり、日本のひな人形にあわせるのなら これかな…。
♪夢見るシャンソン人形

 

他にも、「お人形ソング」を、連載の中でご紹介します。


◇私の中の「ぼんぼりの灯」

「ひな人形」は、女性たちにとって、玩具としての愛着だけではないはずです。

思い出があり、夢があり、希望があり、愛があり、まさに過去・現在・未来の歳月が、その中にあるのだろうと感じます。

ひな段飾りのように階段状に飾られていようと いまいと、それは関係ないのだろうと思います。

そして、女性の目には、ひな人形の中に、自分や大切な人が映っているのかもしれません。

* * *

昭和の時代に、リカちゃん人形の大ブーム、フランス人形の大ブームなどが、女性の間でおきました。
1970年代、多くの家庭の玄関や応接間に、大型のガラスケース入りの「フランス人形」がたくさんありました。
昭和時代の和室に、あまりにも不似合いな大型フランス人形がたくさんあったのです。
これをけん引したのは、大人の主婦層でした。
少女たちでは ありません。
戦争を体験した女性たちでした。

少し前の、「ゆるキャラ」の大ブームを支えていたのも、中年主婦層でしたね。
子供たちではありません。

さまざまな人形キャラたちを、たえず、目につくところに置いておく、身に着けておくという行動も、男性の行動ではありませんね。

洋服などのファッションでは、男性は、自身が着たい服を着ることが多いのに対し、女性は、自分が着たいとう理由だけではありませんね。
自分に似合う服、自分が周囲から魅力的に見える服、自分がそれを着て楽しめるのかどうか、そして、その服の中に夢があるのか…を気にしますね。

こうした意識の違いは、それぞれ「性」の違う人間が、「人形」を見るのに、決定的に影響する気がします。

* * *

5月の男の子の行事「端午の節句」には、夫婦としての愛の「お内裏様」は存在しません。
あるのは、武器(道具)と夢、空に向かう野望かもしれません。
「愛」を感じさせるものが、ほぼ存在しません。

女性たちが、「ひな人形」や「ひな段飾り」を見た時に、意義や定義、目標、闘志、野望をイメージしているとは思えません。

男性たちは、男性が見たいものを、「ひな人形」の中に見出せないのかもしれませんね。

男性たちは、「ひな人形」の中に、「ひなまつり」を見ることができないのかもしれません。
あるいは、女性たちの「心」を見ようとしてこなかったのかもしれません。

人は、森の個々の木ばかりを見ようとすると、森全体のことがまったく理解できませんね。
私は、「ひなまつり」を通じて、女性たちの「大きな森」の存在を感じます。

「ひな人形」は何かの世界への入口なのかもしれません。

* * *

私は、勝手に、ひな段に飾られた「ぼんぼり」が照明器具だとばかり思い込んでいたのかもしれません。

この歳になり、私の中の、ひな段飾りの「ぼんぼり」に、やっと「灯り」が灯った気がします。

私は、「ひなまつり」とは、日本の多くの家庭の「ぼんぼり」に、しっかりと「灯り」をともし、そのやさしく揺らぐ「灯り」が、人の心に しっかりと光を照らし、「いにしえ」や「愛」の世界へと導いてくれるものだろうとも感じます。

私たちは、そんな「灯り」の歴史を途絶えさせてはいけないのだろうと思います。
その「灯り」は、これからも、私たちの先をしっかり照らしてくれるのだと信じています。


◇もしも…

おひなさま…、それは、命のない人形ではないのかもしれません。
それは、あの人…、いつかの私…。

家の中には、家族やペットたちだけではなく、物置や納戸に、しっかり彼らがいてくれるのです。
一年に一度、そこから出てくる彼らです。

もしも、明日が「ひなまつり」なら…
「おひなさま」よ、そばにいて…、なぐさめて…。

♪愛する人よ、そばにいて…、なぐさめて…

子供たちには、ひなまつりの日が、下記の映像のように見えているのかもしれません。
♪今日の日を想い出に、そっと残しましょう…
♪心の窓辺に、灯り ともしましょう…

わらべ
♪もしも明日が(1983・昭和58)

 

家の中に、街の中に、「やさしい灯り」が灯る日… それが 3月3日!
世の中の「おひなさま」たちは、みな きっと喜んでいます。

うれしいな!
うれひいな!
ひなまつり!

* * *

2024.3.1 天乃みそ汁

Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.

にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲・好きなアルバムへ