「ヴェネンシア」
というものがある。小さなカップを先っちょにつけたおよそ全長90cmぐらいの弾力性にとんだ柄杓(ひしゃく)のようなものだ。テイスターたちが、グラスを片手に、その柄杓をつかって、プレゼンテーション用の樽から、派手なアクションでワインをくみ出し、片手に持ったグラスに注ぎたしているのを、どこかで見たことがあるかもしれない。
そのヴェネンシアをつかうテイスターのことを、
「ヴェネンシアドール」
という。元来、ボデガで樽内のシェリーの試飲をするときに、サンプルをとるのが仕事だったが、現在はシェリーのプロモーションで大活躍。腰ぐらいの位置に持った何個もの試飲グラス(カタビノ)に、1メートルもの高いところからシェリーを注ぐのは、シェリーを空気に触れさせて、香りをたてるためだ。
以前は、セミクジラの髭と、銀のカップを使用していたが、捕鯨禁止などで現在は、グラスファイバーと、円筒形のステンレス製のカップ(約50cc)に変わってしまった。サンルーカル・デ・バラメダでは竹製を使用。表面のフロールをできるだけいためないで、フロールの下のワインをくみ出すため、細長くしてある。
さて、どのような形であれ2000年以上にもわたり、うんと手間ひまかけられ、つくり続けられたシェリー。その貯蔵こそが、シェリーが、ほかのワインと、ちと異なるところだ。樽を下段に置き、その上に4~5段の樽を積み上げていく、これが、
「ソレラシステム」
という、シェリーこだわりの熟成方法だ。一番古い最下段のワインを出荷し、その減った分だけを、その上の段のワインで満たす、てなぐあいで、毎年繰り返される。フィノは、とりわけ新鮮さを保つために、定期的にカラにされ、リリースするまでに5年はかかる。
そんな一番下の樽を「ソレラ」、その上の樽すべてを「クリアデラ」と呼んでいる。その樽に、2つ握りこぶしのスペースを残して、空けておくと、ワインが空気に触れて、液面に「フロール」と呼びならわされている白い酵母の皮膜ができる。カビ状のものだが、これがシェリー特有の香りと、味わいを生みだすのだ。
オリ(澱)引きされた後、熟練されたテイスターによって、フィノ、ないしはオロロソとに大別される。たとえば、やさしくデリケートなものはフィノに、ボディがしっかりとしたものはオロロソといったぐあいだ。
それに、フロールの繁殖が活発になると、空気はフィノの表面にくっつき、色はゴールド、ヴァニラのような香りを発するようになる。これが、アモンティリャードである。アルコール度数も高め、辛口ではあるが、口当たりはソフト。
それと、オロロソだが、樽のなかで、ブランデーを加える。そうすると、フロールをうみだす力がなくなる。そうして、ほかのワインと同じように、熟成させる。色は黄褐色になり、モスカテルや、ペドロ・ヒメネスとブレンドすることで、辛口にもなり、甘口にもなる。
熟成されたワインは、ブレンドされたり、アルコール度数を調整した後、瓶詰めされることになる。そのときに、「ソレラ」から全部は抜き取らず、少なくとも3/4は残しておき、その抜いた分と同量の次の年の熟成途上のシェリーを、クリアデラから、順次移し変えて補充していくわけだ。それは、上から下の段の樽だけではなく、同じ列のとなりの樽にも同量ずつ移し変えていく。
こうして新たに補充された若いヴィンテージのワインと、熟成したワインがブレンドされ、つねにその個性や、持ち味を均質に保つようになり、安定したシェリーができるわけだ。
このシェリー特有の味わいをつくる「ソレラシステム」とは、正式にはスペイン語で、
「エル・システマ・デ・クリアデラ・イ・ソレラ」。
「ソレラ」とは床・地面のことで、「ソレラ」と呼ばれる樽が地面に近い部分、つまり組み上げた樽の一番下にあるので、この名前がつけられた。最高級・ソレラシステムでは、100年以上も前のシェリーが含まれることもあるという。
★ 参考図書;「シェリー、ポート、マデイラの本」著作: 明比 淑子
★ 「シェリー酒」著作:中瀬 航也(ヴェネンシアドール) PHPエル新書刊
♪ リリー・クラウス、モーツァルトのピアノ・ソナタを弾く ♪
昨今の演奏スタイルとして、クラウスのような、典雅なモーツァルトというものは、もうはやらないらしい。だからといって、かの女の演奏の素晴らしさはいうまでもないことだが…。
クラウスの演奏に聴き慣れているためか、残念ながら、今でもなかなかほかの演奏者のものを受け入れられないでいる。モーツアルトのピアノ・ソナタは、どれもこれも名曲ぞろいなんだが、やはり、簡素なだけに、モーツアルトをひくのは、むずかしいのだろうか。
ところで、ピアノ・ソナタと銘打ってソナタ形式のないあの有名な第11番「トルコ行進曲」は、モーツァルトのピアノ・ソナタのなかでも最も有名な曲であって、とりわけ単独で演奏されることの多い第3楽章は、演奏者によって趣が大分異なる。クラウスの演奏は、まさしく絶品。
クラウスの演奏は、モーツァルトの音符を正確にバランスよく、響かせることにあるのではなくて、モーツァルトが書いた「心のドラマ」を再現しようというものだ。だからこそ、モーツァルトがこの音楽にこめた深い感情が、かの女の演奏からはヒシヒシと伝わってくるといえる。