※空っぽの鞄を持ち意気揚々と出掛ける長男。
最近は色を英語で言えるようになった。




1.高校2年生の進路講義


母校である大阪朝高の2年生の前で、進路講義をしてきた。



話すときに少し意識したのは、



「今の私」



という将来像を提示するのではなく、



「過去の私」



という今の生徒らと何ら変わりない学生時代の等身大の私を通じて君たちの参考になればいいというスタンスで話した。



なので、過去の話に終始をして、今の司法書士の仕事ぶりや将来のことは少しだけ話すにとどめた。



私はと言えば、学生時代特に秀でるところがなく、いわゆるエリートでも優秀な学生でもなかった。



サッカーも万年補欠だったし、勉強も優等ではなかった。中学生以降は学級委員とかもほとんどしたことがない。



そして、なによりも要領が悪く、気の使い方が下手くそだったので、ものごとを継続したり、上手くこなすことが出来なかった。



それでも、ひとつだけ継続できたことがある。





それは「日記を書く」ことである。





これだけは16歳から27歳まで続けれた。



この日記を書くという行為で、自分自身と静かに向き合い、夢や目標はもちろん、日々の悩みや不安を書き連ねて、自分なりに1日の生活の中で「プチ総括」する時間を設けていた。



高校サッカー部時代から始めたその日記(サッカー日記)は、大学からは勉強日記になった。



学力のない私でも、行政書士や司法書士のような国家資格に挑戦するんだというテーマで。




・挫折や紆余曲折もあるだろうが必ず試験を突破する。

・独立をして経営を安定させ家庭を持つ。

・家と車を買う。親に月々仕送りもする。

・在日同胞社会の未来のために貢献する。




これが私が19歳の時に日記に書いた目標だった。



こんな風に言うとおこがましいけど、おそらく大半の目標は達成したと思う。



優れた能力があったわけではない私が、自分の掲げた目標を(多分そう簡単ではない目標)を達成出来たのは、



この日記のおかげである、というお話。



その心は、自分と向き合うことの大切さ。



そこが話の核となる部分。



何の変哲もない学生が、漫画家になりたいという夢を持ち続けながら、一方でリアルな社会を生き抜くために司法書士になるという現実的な目標を掲げて20代を過ごしてきたこと。





そして、人生のツールとして、自分と向き合うことの大切さ=日記を教えてくれたサッカー部の同級生の存在。




その出会いに感謝。




おそらくその子がいなかったら、今の私はいないと思う。




そんな話をしてきた。




学生たちに本意が届いたのかは分からないが。




でも今の私にとって大事なのはこれからの話。




夢や目標を掲げ日々走りながらも、子を育て、家庭を守り、どんな時代でも生き抜いていくこと。


 

大きな夢を叶えるために、また少しずつ動いていこうと思う。




そういえば日記は再開した。

スマホって便利。