なぜ、介護職を辞めたくなるのか?

介護現場を再確認すると


中高年になってから介護士として働くと、介護現場は異業種と随分異なる職業だと感じます。

その1つが、全体主義を尊重していることでしょう。

もちろん、介護士には、事前に与えられたスケジュールが存在します。一般的な介護施設なら、朝昼晩の食事を提供することは必須項目です。

食事を提供するとなれば、お茶を作ったりおしぼりを配ったりと、食事に付随した仕事がいくつもあります。

1人すべてをするのは大変ですが、何人かで分ければ効率的にこなせます。

一方、利用者である高齢者ですが、性格も人それぞれなので、「待っていてください!」と言って承知してくれる人もいますが、何を言っても我が道をゆく人もいます。

1つの作業が3分で終わることもあれば、場合によっては倍以上の10分掛かることもあるわけです。

だからと言って、介護士が命令口調になってしまうと、一部の利用者は動いてくれるかもしれませんが、理解できない利用者は反発を強めるでしょう。

さらに利用者を押さえ込もうとすると、介護現場における不祥事に発展します。

どんな介護士でも、最初は頑張ろうと思って入職するでしょう。

しかし、介護は技術的な側面の他、精神的な側面も求められます。さらに、精神的な側面は、介護をどんな仕事として捉えているのかで大きく異なります。

生産性を追求できない「精神的な介護」


ロボットが行う作業のように、あらかじめプログラミングされた動作を正確かつスピーディーに繰り返すだけでは、介護的ケアにはなりません。

しかし、100名の利用者を数名の介護士だけで排泄介助するとなれば、いたわりや寄り添いの心よりも効率的な作業が求められます。

つまり、精神的な介護といっても、施設によってはそれを前面に押し出すことが難しく、次から次に目の前の仕事をこなすしかなくなってしまうことがあるでしょう。

「おじいさんやおばあさんが好き!」

そんな動機で介護士になった人は、機械的な繰り返し作業が続けば、「介護は自分に合っていないのかも?」と考えるかもしれません。

実は、施設選びの段階で、自分の求める介護と求められている介護に差があり過ぎると、いつしか職場に対する不満が募り、離職してしまうでしょう。

その意味では、施設選びは長く働くうえでも重視しなければいけません。

仮に、激務の介護施設でなかったとしても、利用者本人がトイレを希望しているのに、記録表を見て「行ったでしょ!」とケアを拒絶する職場は、誰のための介護なのかと感じるはずです。

確かに、頻尿の利用者は、一日中トイレを行き来しています。一人で行けるならそれほど深刻ではありませんが、介助が必要な利用者なら介護負担はそれなりに大きくなります。

「行ったでしょ!」と言ってしまいたくなる介護士の気持ちも分かりますが、こればかりは効率性では語れません。

同じようなケースで、服薬させたい介護士に「飲まない!」と拒絶する利用者がいます。

介護的なアプローチは、なぜ拒絶するのかを聞き出すことです。

介護士を信用していないのかもしれませんし、服薬で体調を崩してしまうと心配なのかもしれません。

そんな背景を無視して、「飲みなさい!」と無理やり口に入れる施設はもちろんないでしょう。

しかし、程度問題として、必要なアプローチを取らずに結果だけを急いでしまう介護現場は出てくるはずです。

1つには、アプローチの方法が不明確で、利用者との距離を縮められていないケース。

もう1つは、アプローチの重要性を知らず、小手先で結果を出そうとするケース。

他にもいろいろと考えられますが、それだけ介護現場で働く介護士たちに余裕がないのです。

精神的な介護は、個々の利用者の考え方や生き方を理解するだけでなく、憧れや想いまで含めて対応しなければなりません。

「好きなヨーグルトなので食べてください!」

そんな声かけをされて、「食べます!」と答える利用者は、とてもシンプルに物事を考える人でしょう。

気になる人は、「誰が好きだと言ったのか?」と食いついてきます。

つまり、好きな食べ物かもしれないが、勝手に判断しないで欲しい訳です。

まして、不機嫌になると「ヨーグルト」を出して機嫌取りされると、誰だって面白くないでしょう。

完全にアプローチ方法を誤っています。

介護が難しいのは、大きな問題にならないから良いのではなく、すぐに結果が出なくても必要になる一手があるということ。

どんな一手なのかは、利用者と介護士との関係や施設の後押しがなくては分かりません。

特に介護経験の浅い介護士は、理想の介護が実現できないジレンマがあります。

先輩介護士に聞けば、「無理!」と即答されるかもしれません。

問題は、その先輩介護士自身も精神的な介護に気付いていないこともあるのです。

なぜなら、精神的な介護はさまざまな事柄から影響を受けて生み出されるものなので、長く働いていても考えようとしなければその存在にさえ気づいていないからです。

中高年の転職組が介護士になると、若い先輩介護士の言葉や態度に時より疑問が生まれます。

「そこまでしなくてもいい!」

誰がそれを判断したのでしょうか?

こみちが利用者と話していて思うのは、彼らはみんな「人生の先輩たち」だということ。

思考がループしていることもありますが、一方で長く生きてこそ達した考え方でもあります。

「今、欲しい!」

明日なんて分からないから。

高齢者になると何でも急ぎたがる人がいます。

少し待てばいいのにと言っても聞き入れられません。なぜなら、「待つこと」はとてもストレスで精神的にも大変だからです。

さらに、これから10年先をイメージするよりも、明日や明後日など近い未来をイメージする傾向が強くなります。

「これをしたら健康に良いから!」

そんな言葉に意味を持たないのは、今から健康になるというよりも、今の健康状態をどれだけ維持できるかを考えているからです。

もちろん、そんな言葉がすべてに当てはまるわけではありません。大切なのは、それだけ精神的な介護が大変だと知ることです。

しかし、多くの介護士がジレンマを克服するより前に、職場に見切りをつけてしまいます。

意外と給料や休みに不満があって辞めるよりも、施設での介護方針に戸惑うケースが多いでしょう。