介護現場で起こる「介護」の複数解釈

「介護」のゴールは同じでも


介護に携わる仕事を続けていくには、「介護」をどのように理解し、自身の中で解釈できるかがポイントになってきます。

「介護」とは何かを考えるから難しいことになるので、先ずは人の生き方が「十人十色」だということを確認しておきましょう。

つまり、生き方の理想さえも決して同じではありません。

さらに、加齢や障がいによって日常生活のどんな場面で支援が必要なのかも異なります。

そんな大前提を蔑ろにして、「介護」の理想像だけを追い続けても、目指すべき「介護」にはたどりつけないと思うのです。

介護現場で「介護」を考えることになった!?


こみちの勤める老健で、ここ最近、介護事故が頻発しています。

多くは利用者の転倒や転落の類いで、個々の介助方法を見直したり、全体ミーティングで支援方法の統一化などが検討され始めました。

しかし、先にも触れましたが、「介護」を考えるには無数に存在している人生観を受け止めることが必要です。

もっと言えば、介護施設という決められた枠内で提供できる「介護」にどれだけの振り幅があるでしょうか。

限られた人数の介護士がスケジュールに沿って支援する以上、ある程度の「括り」はやむを得ません。

その括りが大きなものになればなるほど、個々の人生観とはかけ離れてしまいます。

さらに言えば、人は本当に「食事、排泄、入浴」だけで満たされた毎日を過ごせるのでしょうか。

介護士たちは、どうしてもこの「3大介護」をベースに支援しようとします。

逆を言えば、「3大介護」があるからこそ、介護の仕事ができるのかも知れません。

こみちの施設に、法律家だった人物が入所しました。

軽度ではありますが、認知機能が低下しているので、時折意味不明な持論でまくし立てます。

結局は目の前の「飲み物」を飲むか否かに過ぎません。

それでも、本人としてはもっと大きな世界観から「飲み物」を見ているのです。

そんな時に、「飲んでください!」という声掛けは、根本的な解決策にはなりません。

仮に、自宅復帰を目指す老健ではなく終の住処としての施設であれば、根本的な解決策よりも事実として実行されたことに趣きを置くこともあるでしょう。

実際、スケジュールに沿って支援する方が、個別ケアよりも簡単ですし、それこそ「3大介護」を提供していれば良いと考える介護士もいるかも知れません。

少し話を戻すと、こみちの施設で介護支援の方法を見直します。

しかし、「3大介護」から抜け出した介護を想定するのか、それとも「3大介護」をより効率的に行う方法を検討するのかで、考えるべきこともその際に必要な課題も大きく異なります。

もちろん、「3大介護」から抜け出した介護を想定した方が困難で、本音としては今のメンバーだけでは難しいと思います。

それでも、それぞれの介護士同士が切磋琢磨して上を目指すというのであれば、互いの欠点や未熟さについても指摘しなければいけなくなるでしょう。

なぜなら、介護は決して同じ内容ではなく、利用者によって自在に変化させるべきものだからです。

介護士の思い込みや、都合などはどうでもよくて、利用者のことをどれだけ優先的に考えられるかになってくるでしょう。

若い女性介護士が男性利用者に対して、「孫とお爺ちゃん」の関係を使うことがあります。

利用者は、いいよる介護士に戸惑いながらも、仕方ないなぁという表情で従うのですが、もしもそれが唯一のアプローチ方法だったらどうでしょうか。

すべての利用者が、「仕方ないなぁ」と思うかは疑問です。

つまり、今まで1つの方法に頼って来た介護士が、新たな介護方法を身につけることがどれほど大変かを少し触れておきましょう。

介護士としてのスタイルは、その人が持っていた素質に大きく影響されます。

理屈っぽい人は、技術から入るかも知れません。

感覚を大切にする人は、コミュニケーションを重んじるでしょう。

いずれにしても、自身が身につけたアプローチ方法があるわけです。

ところが、それを一旦封印し、全く異なるアプローチ方法を見出すとなれば、「アプローチを作り出し」ことから始めなければいけません。

「アプローチを作り出す」には、もっと広い意味での「介護」を考えることにも繋がります。

さらに言えば、その先に見える幅広い「人生観」にも目を向けなければいけないとなると、介護士以前に個としての自分を振り返り、盛り下げる中で人としての幅を広げることも必要です。

それは、スケジュールありきの介護支援とは、根本的に異なります。

お茶を出すにしても、「何時に出す」ということではなく、会話のきっかけやポイントで使うなど、動作ではなく物事の背景にまで目を配る必要があります。

現実的な話として、施設内の介護士すべてが、そんな介護支援をマスターすることは難しいはずです。

ある意味で、介護施設はそれを目指すべきでしょうが、そこに至るまでのプロセスから個々の介護士が学ぶだけでも凄いことです。

勉強会や研修を実施しても、ここまで踏み込んだ内容にすることはできないでしょう。

なぜかと言うと、そこまで介護の領域を広げてしまうと、集取がつかなくなるだけでなく、開催した目的すら見失ってしまうからです。

介護が一筋縄では克服できないからこそ、介護の在り方を個々の介護士が考えることに意味があるのでしょう。