介護職の意義と価値

「こみち、〇〇さんが呼んでいるよ!」


その日、こみちは休憩を終えてフロアーに戻って来ました。

時間は午後の1時になろうとする頃。

〇〇さんとは、要介護5と認定された利用者で、施設内にいる利用者の中では平均的な介助を要する人。

要介護5と言うと、もっとも介護を必要とするランクになりますが、こみちの勤務している介護施設では介護度だけでは実際の介護負担は判断できません。

事実、この〇〇さんも食事の度に離床しますし、いっしょにカラオケも歌います。

食事や排せつ、入浴は全面的に介助が必要ですが、他の利用者と比べて難易度が高い人ではありません。

なぜなら、軽く触れただけで皮膚が剥がれてしまう病気を抱えている人や、ストーマを装着している人、5分前のことも覚えていない認知機能がかなり低下した人など、いろんな方が入所されているからです。

さて、教えられて〇〇さんの部屋を訪れると、すでにベッドに横たわり眠っているように見えました。

どうしようかなぁと思いながら、利用者の寝顔を眺めていると、ゆっくりと目が開いて「こみちか?」と尋ねられます。

「そうです。〇〇さん、どうしましたか?」

割と聞き取れる時もありますが、不明瞭な時はモゴモゴと話していることしか分かりません。

「何ですか? (大が)出たの?」

利用者の身体に鼻先を近づけてみれば便臭がします。

「今、準備してきますね!」

首もとまで布団を掛けられた利用者の肩をポンポンと叩いて、一度、部屋を立ち去ることを伝えました。

排せつ交換に必要な道具や備品を乗せたワゴンは、フロアの一角の汚物室に置いてあります。

洗浄用のボトルの他、おしぼりも追加してワゴンを利用者の所まで押して行きました。

「何? 排せつなの?」

利用者が呼んでいると教えてくれた介護士が声を掛けます。

「多分。臭うから…」

「そうなの?」

介護の仕事は、知らないふりもできます。

かもしれないと過剰に心配することもできます。

それは、介護士としてのスキルにも関係しますが、どこまでケアしたいと思うかで介護士の負担度合いはかなり変化します。

正直言えば、利用者が呼んでいると教えてくれた時点で、その介護士はなぜ呼んでいたのか分かったはずです。

部屋が臭っていますし、ベッドに横たわって呼んだのですから。

「〇〇さん、お待たせ! 布団をめくりますよ」

ワゴンを所定の場所に止めたら、いつもの手順で排せつ交換を始めます。

オムツを開けば、そこには行き場を無くすほどの量です。

「いっぱい出ましたね! 教えてくれてありがとうございます」

量だけでなく、質によっても手間が異なります。

概ねの除去を終えて、今度は洗浄作業に移ります。

「できそうか? 大丈夫か?」

「冷たくないですか?」

「へぇ〜」

「冷たくないでしょう??」

排せつ介助を終えた後、衣類を再び着せていると、「いくらだ?」と目をつぶったままの利用者が言い出すします。

「いくら? お金なんていらないですよ!」

「そうはいかないよ。大変だっただろう?」

「アハハ、〇〇さん。こみちは〇〇さんのお世話好きなんですよ」

「エエ?」

「本当ですよ。〇〇さん、いつも優しく接してくれるでしょう? 感謝しています」

お世辞とかではありません。

介護の仕事を始めて分かったのは、利用者がいるから仕事を続けられるのです。

どんな利用者も、本当に優しい人ばかりで、こみちが失敗しても我慢してくれたり、少し上手くなったと誉めてくれたり、介護士として成長できたのも利用者との良い出会いがあったからなのです。

「今度、寿司を食べに連れて行ってやるよ」

「本当ですか? 〇〇さん、嬉しいです!」

「そうか、そうか」

〇〇さんは、認知機能が低下していて、気持ちはバリバリと働いていた頃に戻っているのでしょうか。

以前住んでいた街の話や、海外渡航の話が自然と出てきたりします。

そして、連れて行ってあげると誘ってくれた「お寿司屋」さん。

彼の記憶のどこかに残っている思い出なのでしょう。

そんな会話を聞かせてもらえる時が、こみちは嬉しいのです。

介護度って何だ?


まだ介護の仕事をしていなかった頃、介護度で介助負担が異なることを知りました。

しかしながら、要介護1と言われる人と要介護5の人で、何も変わる所がありません。

もちろん、介助の度合い範囲は変わりますが、利用者というかその人自身の本質は「介護度」と無関係です。

ある70代後半の利用者に「〇〇さんっていくつになったの?」と聞けば、「58歳よ」と答えます。

それは本当に利用者によっても違いますし、別の日に聞けばまた違い年齢を答えるでしょう。

どれが正解ということはできませんが、こみちの場合はその人自身を見ています。

ただできないこともあるので、それを手助けしているというイメージです。

歯磨きできない時は、こみちの手が利用者の手になるだけです。

その意味では、「してあげている」とか、「嫌なことをするのが介護」という感覚ではありません。

「排せつなんてできるのだろうか?」と心配しているのに、今では苦に感じるよりも、手間が掛かったりして申し訳なかったと思うくらいです。

その意味では、別の部署で、一日中排せつ介助だけをしている掛かりの人がいます。

交代制だと思うのですが、こみちとしては機械的な作業としてオムツ交換するのは好きではありません。

交換作業は数分のことですが、その間に利用者とたわいない会話をして、コミュニケーションをするのが楽しいからです。

もちろん、その後に離床して席に案内し、飲み物を用意したり、オヤツと届けたりと支援が繋がっていきます。

通常は、排せつ介助の後すぐに食事介助とはなりませんが、「美味しそうですね」などと話すことが好きなのです。

もしも、利用者とそんな会話もなかったら、こみちは介護士の仕事が続いていないでしょう。

そのあたりは、異業種と大きく異なる部分で、利用者との信頼関係が築ける喜びがあります。

しかしながら、利用者は高齢者。さらにいろんな病を抱えている場合もあって、今年の桜が最後になるかも知れません。

介護士は、本当に利用者の人生に関わることができる貴重な仕事です。

他の介護士も同じように考えているとは限りませんし、介護理念は人それぞれです。

その意味では、こみちとは合わない介護士もいますが、それだって利用者が満足ならそれでいいことでしょう。

利用者に魅力的な人が多いから、介護士は奥が深い仕事なのだと思います。