ある男性利用者の想いを受けて

男性と女性の決定的な違い「特有のプライド」とは?


ある集団に参加するような場面は、誰にでもあることです。

お決まりの流れと言えば、「自己紹介」が挙げられるでしょう。

もちろん、男性と女性という明確な「差」を語るには、元となるデータが不足しています。

しかし、こみちが出会った男性利用者の多くが、「特有のプライド」を持っているように感じます。

例えば、女性介護士にはその「プライド」を出さないのかも知れませんし、仮に出したとしても女性は男性の「クセ」を無意識に扱えるのかも知れません。

男性であるこみちにすれば、「特有のプライド」がとても目につくのです。

こみちは40代です。もう50代と言ってもいい年齢です。

利用者の多くは、70代後半から90代で、言うなれば「親世代」に当たります。

利用者からすると、「子ども」に世話してもらっている感覚なので、仕事上の関係でも「親心」が出てしまいます。

女性利用者とは異なり、男性利用者の場合、「親の威厳」を示したくなるのでしょう。

言われたことを「ハイハイ」と聞くのでは、自身のプライドが保てなくなるのもあるはずです。

こみちが考える「自分らしさ」とは?


あるテレビ番組で、日本で作られた「日本風のお菓子」を海外の人に食してもらっていました。

いろんな国の人が、「美味しい」とか「少し辛い」とか、お国柄もさることながら、反応の違いに関心しました。

特にこみちが着目したのは、「男性」の反応です。

ヨーロッパ諸国の男性たちは、単純に「味を評価するのではなく」、「何をすればもっと美味しくなるか」を語り出しました。

例えば日本の70代以降の男性で、「料理」をするのが得意な人は何割くらいいるでしょうか。

もっと言えば、「自分なりの楽しみ方」や「生き方」を持っている人がどれくらいでしょうか。

ちょうど、今の利用者たちは「団塊の世代」や、それよりも前の世代で、会社や家族のために頑張って働いてきた人たちではないでしょうか。

時代背景に目を向けると、「自分らしさ」よりも「社会で生き抜く」ことを選ばざる得ない人々でもあります。

「ハ〜イ。〇〇さん!」

そんな声掛けをしてきた介護士に、従うことは容易ではありません。

「なぜ、今なんだ!?」

ちょっと言いたくなるのです。

面白いもので、女性の利用者にはほとんど見掛けない反応です。

時代的にも「耐え忍んできた」世代なので我慢強い人が多いのかも知れません。

「こみちさんは、男性だから!」

入職当時、よく「男」であることを会話の中に聞きました。

こみち自身が意識したことがないほど、「男なのに…」と言っては恐縮されたのです。

確かにこみちの父親も利用者世代で、料理はできましたが、母親のいる時は台所に立ちませんでした。

こみちが立つことも快く思っていません。

しかし、こみちは料理が好きですし、一般的な料理ならそれなりに作れます。

レシピを調べれば、ちょっと洒落たデザートだって作れるでしょう。

それほど、世代による「自分らしさ」の意識は異なるのです。

例えば、Youtube では、いろんな動画が閲覧できますが、そこに登場する人々は「いい意味で個性的」です。

バイクに乗るこみちにすれば、「他人がバイクで走っている動画を見たいものだろうか?」と思うのです。

それは、バイクで走ることが当たり前過ぎて、他人から興味を持ってもらえるとは思わなかったからです。

しかしながら、今では多くのバイク動画がありますし、こみちもいろんな方の動画を見て楽しんでいます。

多分そこには、雑誌のレビューや写真を見て、「このバイクに乗りたい!」と夢みていたこみち世代ですが、今ならいろんな試乗動画を見比べて、プロではなく「素人目線の感覚」を手軽に知ることができます。

YouTube で何が変わったのかというと、「自分らしさ」が当たり前となり、社会や仕事はそのためにあることでしょう。

人気のYouTuber は、「遊びの天才」なのです。

でも、大人が「遊びの天才」になるのは簡単ではありません。

なぜって、「自分らしさ」が伴うからです。

こみちだけかも知れませんが、今の中高年は「団塊の世代」に育てられた世代で、「個性」よりも「協調性」が重視されました。

それはきっと、親世代がそうやって生きて来たからです。

そこで、「遊びの天才」になれるほど、「自分らしさ」を極めるのは簡単ではないことも分かります。

「イヤイヤ」の時期


子どもの成長過程には、理由なく親の言葉に「拒絶」を示す時期があります。

「なぜ?」と言われれば、明確な理由はありません。でも、すんなり従うのは嫌なのです。

ある意味で、男性利用者が男性介護士に示す行動は、それと似ているのかも知れません。

「オレの生き様はそんなに安くないぞ!」

どれだけ相手の言い分が分かっても、「ハイ」とは言いたくなくて、「ちょい足し」したくなるのです。

「こうしましょう!」

「イヤイヤ、コレをしてから…」

結果は同じでも、何か言うことが「自分らしさ」になっているのかも知れません。

ある意味では、介護士に「面倒をみてもらっている」と言う感覚に馴染めないのかも知れません。

言い換えれば、それを直す必要はなく、むしろ介護士が理解することで、「その方法でいきましょう!」と相手を尊重すればいいのです。

こみちにすれば、利用者なのだから、そこは承知してくれていると誤解していました。

しかし、利用者となっても男性の場合には、「自分らしさ」という「特有のプライド」が抜けません。

面倒とは捉えずに、「付き合い方」を見つけることで、介護士と利用者の関係を友好にできるはずです。

「そんなところで自分をアピールするの?」

こみちにすれば、そんな感覚もあったのですが、利用者となり、自分らしさが制限されることで、余計に「特有のプライド」となって現れたのでしょう。

凄さを見つけて、しっかりと褒めることがポイントです。

ザックリとではなく、具体的であるほどいいでしょう。

そこは親と子のような関係性であり、さらにトライアンドエラーも有効です。

押すのではなく、引き込む感じが分かりやすいでしょうか。