「帰りたいの…」

 介護って何だ!?

今回が初めてではありません。

利用者の中には、「帰宅願望」を超えて、「生きる意欲」を失うほどの「自暴自棄」があります。

施設での暮らしは、安全という意味では基準を満たしていますが、人間として生きる意欲を満たせるかとなると、その答えは賛否両論です。

現役介護士として感じるのは、利用者のほとんどが「物語に登場するようなおじいちゃんやおばあちゃん」ではないこと。

その証拠に彼らに年齢を聞いた時、半分くらいの人が40代とか60代とか、実際の年齢とは異なる答えをします。

また、話ができる利用者でも、同じ質問を繰り返したり、以前話した話題をもう一度言ったり、そこには高齢者特有の癖があります。

感じるのは、「時の流れ」が段々と緩やかになり、それに従って目や耳から入ってくる情報も減ってしまいます。

中にはテレビを観たり、小説などを読んだりしている利用者もいますが、それだってある時期を過ぎると見られなくなるでしょう。

若者たちは、3年間の高校時代や、4年間の大学時代を過ごします。

人生の大きな出会いが詰まった時期とも言えますが、高齢者にとっては全く異なる時間の長さとも言えるでしょう。

「サクラ、咲いて来たよ」

3月を過ぎて4月を迎える頃、施設周辺の川辺にサクラ色が広がります。

歩ける利用者は徒歩で、車イスを使う利用者は介護士が押しながら、春の暖かな陽気に誘われてサクラ見物をします。

初めて出会った時は、冗談を言いながら歩いて来た人が、翌年には車イス、そしてさらに翌年は空から一緒に眺めることも珍しくありません。

今年見たサクラを来年も見えるとは限らない中で、彼らの毎日が続くのです。

「帰りたい…」

そう考えると、この一言にも大きな意味があります。

「帰れるわけないでしょ!」

それはなんでも身も蓋もない言葉です。

でも、帰って一人で暮らすことができず、子どもも家庭があり受け入れられない状況があって施設に来たのでしょう。

残念ですが、選択肢は限られていて、施設で「お迎え」が来るのを待っているようなものです。

介護士としては、そんな現実とは異なる視点で利用者と接し彼らの日常を支えます。

わがままを言うことや、意地になって分かってくれないこともあります。

でも、彼らにしてみれば、「生きている」という実感でもあるのです。

大人しく、言われるままに座っている利用者もいますが、少しくらいあれこれと介護士に要求して、自分らしさを保とうとする姿は、懸命に生きている姿にも見えます。

今日も一緒に館内を散歩しました。

ゆっくりと時間をかけて、でもその10分、15分がいつもとは異なる特別な出来事です。

「また、連れて行ってね」

帰ると、利用者の多くが似たような言葉を言います。

「また行きましょう」

介護士としてできるのはそれくらいです。

でも、限られた中でできることをすれば、そこでまた彼らも「小さな幸せ」や「小さな希望」を見つけられるでしょう。

介護士になっていなかったら、そんなことも考えませんでした。

できるかなぁと思う人には、ぜひ介護現場を見て欲しいです。

決して楽とは言えませんが、小さな幸せを感じられる出来事に溢れています。