残された者の悲しみ | 草木萌動 Sou Moku Hou Dou

草木萌動 Sou Moku Hou Dou

茨城県のカウンセリングルームです。筑西市、水戸市、つくば。セッション情報、心と身体の健康と成長について書いています。
旧)水戸カウンセリングスペース

こんにちは。

 

カウンセラーのみずがきです。

 

先日恩師が亡くなった話を書きました。

 

生と死の超越

 

今日は「残された者の悲しみ」についてです。

 

 

 

 

 

 

 

昨日書いたように

 

子供は親に守られて安心します。

 

親の眼差しが子供を守ります。

 

そして

 

私たちは

 

子供時代だけではなく

 

大切な人の眼差しを生涯必要とします。

 

 

 

 

 

 

 

 

大切な人が亡くなると

 

私たちはその眼差しを失います。

 

その眼差しとは

 

私のことを理解してくれている

 

というものです。

 

大切な人が亡くなると

 

私のことを理解してくれている人がいなくなります。

 

死別だけではなく

 

二度と会うことのない別れも同様かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大切な人と別れると

 

人は守護を失います。

 

理解してくれていた

 

守ってくれていた

 

そういう人がいなくなった。

 

まるで

 

地球上でひとりになってしまった感じです。

 

 

 

 

その人が道を照らしてくれ

 

その道から外れても

 

光が見えるから戻れる。

 

その光が消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

残された者は

 

深い悲しみの中に入っていきます。

 

別れを認めたくない気持ちもあります。

 

夢で会えたらと思います。

 

この先どう生きていったらいいんだろう?

 

 

 

 

 

 

私たちが地球に来たときは

 

どのように生きるかわかりませんでした。

 

しかし

 

子供の頃は親が道を示してくれ

 

大人になると

 

親の示す道から外れ

 

自分の道を探していきます。

 

 

 

道を照らしてくれる存在に出会うと

 

自分に理解を示してくれる存在に出会うと

 

その人についていきます。

 

しかし、いずれ別れは来ます。

 

別の人を探しても同じことが起こります。

 

自分の道を見つけていかなければなりません。

 

 

 

 

 

もちろん

 

日常の喧騒の中では

 

自分の道とか

 

自分の人生をどう生きるかなど

 

考えることはありません。

 

 

 

喧騒から離れ

 

心のうちを見ると

 

ぽっかりと穴が空いています。

 

 

 

寂しさを背負いながら

 

自分に与えられた生をどう生きるか

 

考えていかなければなりません。

 

自分の人生が終わるとき

 

後悔のないように。

 

自分を生きた

 

と思えるように。

 

 

時の輪 カウンセリングとセミナー情報です。

 

 このブログを他の人にも見て欲しいと思ったらクリックしてください。

        私の思いがたくさんの人に伝わりますように。