ネットの記事でこの本を知り、すぐ図書館で予約したのですが、半年順番を待ちました。
超楽しみにしていました!
≪孤独死≫。
これからの日本が抱える、大問題だと思います。
自分がそうなるかもしれないし、自分の大事な人がそうなるかもしれない。
この問題にかかわらない人が皆無といっていいくらいでしょう。
今までの私は、この問題を考えたとき、以下が原因だと思っていました。
① 高齢化。
人の寿命が長くなったおかけで、適度なところで亡くならなくなったので(適度ってなに?どこ?)、よぼよぼになっても生きていられる老人が多くなった。
② 核家族化、非婚化。
大家族家庭が少なくなり、家族がいればよかったのにね、とか、その日だけでも家に誰かいたら助かったのにね~、とか、悔やまれるケースがあると思う。
③ 生活習慣病とか日頃の不摂生によるもの。
若いからって油断せず、定期的に医者にかかってたらよかったのにね~、なんてことをよく聞く気がするから。
だいたいこの3つに集約されるんじゃないの?と、思ってましたが、浅はかでしたね。
もっともっと現代日本には深い闇があったのでした。
え?…そんな理由…?と思うことがたくさん書かれていました。
まずは① ごみの分別化。
いつのころからか、自治体のごみの出し方、分別の仕方が細分化された。
(私は、ビニール袋が半透明になったり、袋に名前を書くようになった時に愕然としたけど、分け方の細分化にはそれほど閉口しなかった記憶がある。)
これについていけない中高年が増えたそうな。
地域のごみ係が袋をチェックし、ルールに違反しているごみを出した家庭に、ご丁寧に返品にいく場合もあるんですって。
まぁ、それもわかります。ごみの日以外に出されても嫌だし。
今日はペットボトルの回収の日だよっていうのに、生ごみとか捨てられてたら嫌だもんね。
こうして、コミュニティのルールに乗り切れなかった高齢者はこわくなり、次第にごみを出せずに
家の中がゴミ屋敷となっているのだとか。
この本の中にも、写真こそないけれど、どんだけごみが積まれていたのかな、って家のルポもありました。
こうして家がゴミ屋敷と化すると、人を呼べなくなる、自分も出られなくなる、っていう場合が
あるらしいです!
② 電気代を節約するために、エアコンを使わない老人、生活保護受給者。
確かに、裕福ではない家庭にとって、エアコンの電気代はバカにならないと思う。
けど、命には代えられないと思うな。
③ 人生がうまくいかないツマヅキ。
離婚やリストラ、配置転換。
なんらかの想定外の出来事に見舞われたとき、絶望して引きこもりになる。
二度と外に出られなくなる。
④ セルフネグレクト。
持病があっても病院に行かない、部屋が散らかっても掃除しない・できない。
お風呂に入れない、自炊をしない・できない。
高齢者であれば包括センターやケアマネ・民生委員など地域や公のセーフティネットにひっかかるが、40代や50代の現役世代はそんなものにひっかからない。
単身生活者は地域との結びつきが希薄。
確かに、賃貸生活者は回覧板も何も回ってこないものね。
でも、現役世代の孤独死も増えるらしいっすよ。こわいこわい。
⑤ 何も天涯孤独の人だけが陥る穴ではない。
連絡を密にしている家族がいたり、どこに住んでいるか親戚もみんなその人の居所を知っていて、昨日まで職場にきてましたよ、というアラフィフ女性が今日から忽然と姿をなくしたというルポがありました。
どの人の場合も、のこされた家族はその後で≪きづいてあげられなくてごめんね≫と言って泣いています。
せいぜい各個人ができることと言えば、少しの変化にも気づいてあげること。
それぐらいですかね。
でもね。私はいつも思うんです。
じゃあ、たとえば一人で死にたくない。好きな人と一緒に死にたいと、誰かと一緒に薬を飲んで手をつないで自殺するとします。
よくドラマにありますが。
確かに、同じ時間に死ねるけど、死出の旅路は結局一人っきりだと思うんですよね。
死んだことないけど。
ってことは、孤独死する人だけが悲しい、つらいのではなく、ある意味人はみんな最後は一人なんじゃないかなってこと。
そういう意味ではみんな孤独死だよね。
まぁ、遺体に追いすがって死んじゃやだー。なんで死ぬのー。死なないでーって泣き叫ぶ人に見守られて死んだ方が多少マシだとは思うけどね。
それにしても、この著者の菅野さん。
私はすっかりファンになってしまいました。
とても読みやすく、きれいな文章なの。
その場にいるような、情景が目に浮かぶような表現力の豊かさです。
なんと、過去の著書を見たら、大島てる物件の本があるじゃないですか!
私大好きなんですよ、大島てる物件!
速攻予約しましたよ!
あぁ、楽しみ。