私のパラダイムシフト【加筆修正あり】 | Trijana ~shanti life~

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ヨーガのこと、読んだ本の感想、日常、いろいろつぶやいてみたりして。


先日、初めてジョリーパスタなるパスタ専門のファミレスへ行きました。
そして↑こちらをオーダー。
パスタ専門店でパスタを頼まない私。
邪道中の邪道、笑。
奥に見えますチーズケーキが特にめちゃウマでしたちゅー

私は毎朝【バカヴァットギータ】という、インドの聖典を勉強するクラスに参加しております。
今日のクラスでちょっと面白いお話があったので、自身の健忘録としてブログ記事にしました。

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人は大抵目的があって、その為に生きています。

第一段階として、例えば日曜日のお休みを楽しみに平日はお仕事を頑張る。

気に入ったバッグを買うためにお金を貯める。

大好きなバンドのライブに行くために、素敵なあの子に会うために、幸せな結婚をするために、家族が安心して暮らせるために、一戸建てを買うために、子供に良い教育を受けさせるために、自分の老後を豊かにするために・・・。

私達は今、辛くても苦しくても面倒くさくても、頑張って踏ん張って生きている。

で、時々、第二段階に気づいちゃう人がいます。

例えばある時、それらの欲求にゴールがないと感じてしまったら。

贅沢出来るくらいのお金を手に入れても、大好きなあの子と結婚出来ても、素敵なバッグを買うことができても、その後は?

ひとつ手に入れたら次が欲しくなる。

もっともっと欲しくなる。

一番を得るために、それを追いかけるだけで人生終わっちゃう。

どこまでいってもイタチゴッコで、どこまでいってもゴールがない。

私は、あとどれだけ何があれば満足するの?

私が本当に欲しいモノは何?

何かに頼らないと私は幸せにはなれないの?

もしくは、欲しいものが全て手に入り、満たされた幸せ気分に浸っていたのに。

ふと恐怖が襲ってくる。

今、手に入れたこれらの大事なものが全て奪われたらどうしよう。

一生をかけて手に入れた宝物、お金や地位や名誉や資格、家族、恋人、大切な大切なもの。

それが突然無くなったら、何を糧に私は生きていけばいい?

はああああ、虚しい

↑こんな第二段階に気づいちゃった人が年々増えてきてるんだって。

で、そこで悩むんだけれど答えを得られず虚しさのみが増幅して、それが鬱発症の原因になる人もいるらしい

生きることに、意味を見いだせない

寿命を全うするまで、ただ淡々と生きる。

でもこれって思考転換したら、めちゃめちゃスゴいことなんですよね

大多数は前述の第一段階の世界で『得てはもっと欲しがる』を繰り返し、完全には満たされないまま一生が終わっているのに

この第二段階に気づいた人は、パラダイムシフト(価値構造の変革)の兆しが来てます。

思い起こせば私の場合。

十代からずっと演劇をしてて、そりゃもう情熱的にギラギラと熱い闘志をみなぎらせ、時にジャックナイフのように鋭い刃をむき出しに、触るモノみな傷つけてたあの頃

私の目標も未来ビジョンも生活も、生きる全てが演劇一色でした。

ある時、とっても素敵な台本ととっても素敵な才能を持つ演出家に出会って、私の理想を遥かに上回る舞台に立てました。

こんな素敵なお話を書いて、こんな素敵な演出をするこの人とずっと芝居をやっていけるなら、もう恋愛も結婚も出産も、何にもいらないと思ったんです。

恐ろしいほどの盲目さ。

あ。ちなみに演出家さんは私よりも若い女の子ですヨ

恋愛とか友情とか、そういうキラキラした感情は微塵もなく、ただただ彼女の才能に惚れ込んだのです。

でも、ほどなくしてちょっとしたハプニングが彼女の身にふりかかり、彼女はいとも簡単に心を病んでみんなの前から姿を消しました。

残ったのは、生き甲斐をなくし、生きる意味を何も見いだせなくなった、抜け殻みたいな私。

まるで狂信していた教祖を失った信者その1

それから私は、何の目的も持てないままの単なるバイト生活を何年も続け、挙げ句の果てに体調を崩して緊急入院、死にかけました

で、ヨーガに出会って、すったもんだがありまして今に至るわけであります。

思い起こせば私のパラダイムシフトは、演劇を続ける意味を見失った瞬間から始まっていたのだなーと。

演劇の次に出会ったヨーガは、私に明確に教えてくれます。

本当の安心・安全・幸せ・完璧、つまり永遠に私が満たされる方法を。

パラダイムシフトは、誰の元にでも突然起きます。

価値構造の大変革!

それが起きると、見える世界が変わってきますよ

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OM





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