【ネタバレあり】美食探偵明智五郎・第5話は食物アレルギー×いじめがテーマ

アレルギー

2020年5月10日に放送された美食探偵明智五郎・第5話。前日に放送されたその予告を見て、Twitterのフォロワーさんたちがざわついていました。

「食物アレルギーの子供が、いじめで背中にチーズを入れられているシーンがあるらしい」

2018年にイギリスの13歳の少年が同様の手口で亡くなってしまった事件が実際に起こっており、アレルギー児の親や本人としては衝撃的で忘れられない事件です。

それを惹起させるシーンで、あの事件のことや食物アレルギーについてドラマの中でどのように扱われるのか、ということに注目が集まっていました。

というのも、食物アレルギーを取り巻く種々の問題は当事者以外には理解されづらいため、ドラマと言えどもし間違った知識や印象を世間に対し与えるものであったらどうしよう、と不安に思う方が多数おられました。

アレルギー児の親である私が見たら、どのように感じるのか?

少し興味が湧いたので見てみることにしました。この記事では、アレルギーに関する部分のあらすじをまとめつつ、私の感想をその都度つぶやいていくことにします。

以下、ドラマの中のセリフ等のネタバレが含まれますので、未視聴の方はご注意ください。

なお、Emilyは美食探偵の原作・ドラマ等を見たことがなく、これが初めてなので登場人物に対する思い入れ等はありません。このドラマを初めて見た人はどんな感想を抱くのか?の視点で読んで頂けると幸いです。

出されたミルクティーに手をつけず、サラダにチーズは入れないでと言う小春

上遠野(かとうの)警部と別居中の娘・小春(小学5年生)の月に一度の面会日。二人が歩いていると、探偵明智と助手の苺に出会う。警部が事件のため呼び出され、小春は明智に預けられることに。

明智の事務所に戻り3人はティータイムに。出されたミルクティーに手をつけない小春。苺がコブサラダを作ると言うと、

明智「僕のアレルギーのエビは入れないで」

小春「私、チーズは入れないで

それに対し苺は「わがままー!!」とふざけて笑う。そんなやりとりをしている最中にミルクティーをこぼしてしまい、小春の手にかかってしまう

慌てて手を洗う小春。明智と苺は気にも留めていない様子。

「待っている間、お茶をする」というのは、日常生活においてよくある場面ですね。乳アレルギーの小春は、出されたミルクティーに口をつけません。

のちに出てきますが、小春はエピペンを所持するほどの症状が出る人。一口すら飲めないことは想像に難くありません。

親の仕事の都合で急に他人に預けられた状況で、「乳アレルギーであれもこれも食べられない」とは言い出しにくかったかも知れません。

アレルギーのことが世に浸透してきているとはいえ、何か飲食物を出すときにまず初めにアレルギーの有無を問う人は、そう多くはないでしょう。

実際、私の娘のことを知っている人はアレルギーのことを聞いてくれますが、初対面でお茶をする、のような状況でアレルギーを気にかけてもらったことは過去にありません。

コブサラダにエビやチーズは入れないで、という明智と小春の要求に対し苺は「わがままー!!」と笑っていました。

このシーンは軽く描かれた感じでさらっと話は進んでいきますが、実際「食べられない」と聞いた時に「もしかしてアレルギー?」とピンとくる人はどれだけいるでしょうか?

こういったところが、アレルギー当事者と世間一般の認識の違いだなぁと感じるところです。何でも食べることが出来る人は、「あれもこれも食べられない人がいる」ということさえ知らないことはよくあることです。

背中にチーズを入れられ発作。エピペン投与、救急搬送される

学校の帰り道、男子数名に囲まれる小春。

男子1「お前、今日の給食もチーズ食べなかったな。自分だけ好き嫌い許されてむかつくんですけどー」

男子2「ほら、小春にもチーズやるよ」と言い、背中にチーズのかたまりを入れてしまう

「取って!!」と慌てる小春。周りで見ていた女子数名はニヤニヤ笑っている。

そうこうしているうちに呼吸が荒くなり倒れる小春。顔には発赤やじんましんも見えている。

小春は乳製品アレルギーだと気づいていて様子を見に来た明智が発作中の小春を発見、苺に救急要請するよう指示する。背中からチーズを除去し、ランドセルの中身をぶちまけエピペンを発見、大腿部に注射する。

ランドセルを台にして足を高くし静かに寝かせ、上着をかけ保温してやる明智。救急車で病院に搬送し、事なきを得る。

このシーンを見て率直に思ったのは、「5年生にもなってアレルギーで食べられないことをからかう子がこんなにもいるだろうか?」ということ。

私の娘は現在小学2年生ですが、こんなこと今まで一度だって言われたことはありません。お友達はみんな優しく、「これ食べられる?」「一緒に食べられるもの食べよう」「給食の時守ってあげる」と気にかけてくれる子ばかりです。

クラスのみんながこんな態度になったのは担任のせいだという描写がのちにあります。私はまだ5年生の年齢の子を育てたことがないので分かりませんが、大人が率先していじめるような態度をとったら、純粋な子どもはそれに倣ってしまうのでしょうか。

Emilyの娘も乳アレルギーがありエピペンを所持しています。小学校入学時には、1年生のみんなに私からお話させていただきましたが、子どもたちはアレルギーの怖さをよく分かっていると感じました。

クラスのほとんどが、5年生にもなってやっていいことと悪いことの区別もつけられない子どもばかり。

いじめられている小春がかわいそうなのはもちろんですが、役どころとは言えクラスの子たちについても将来が心配な気持ちになりました。これが集団心理ってやつなの?

明智のアレルギー発作への対応は正しかったと思います。

エピペンを打った部位が大腿前面ぎみだったのと、ふくらはぎに軽く触れながら注射したのが気になりましたが。私が娘にエピペンを打つ時はもう少し側面に、膝を押えて脚が動かないようにしっかり固定して注射します。

ともあれ明智は、原因物質(背中のチーズ)を取り除き、救急要請を助手に指示し自分はエピペンを探して注射、ショック体位を取らせ保温し、嘔吐にそなえ顔は横向きのまま救急車到着まで注意深く観察をしていました。

私は、道行く人がみんなこんなに完璧に対応できたら娘も安心なのになぁと思いながら、ぼんやり眺めていました。

小春のいる5年1組に乱入する父親、あざ笑う担任

アレルギー発作はいじめによって意図的に起こされたものだと憤慨し、5年1組の教室に乗り込む上遠野。

それに対し担任は「注意しておきました、悪ふざけの延長です」と認めない。

上遠野が退室後、クラスの児童たちに「あなたたち、余計なことは言わないように」と釘を刺す担任。

美食探偵第5話の中でも、いちばん”胸糞悪い”のはこのシーンでしょう。子どもたちを守り、導くはずの存在である担任が、率先して小春のいじめに加担しているのです。

もちろん、どんな内容であってもいじめは許されないことです。それは前提として、アレルギーの発作で死にかけた子供とその親を目の前にして、かたくなに「悪ふざけの延長です」と言い切れる自信はいったいどこから湧いてくるのでしょうか。

でも、子どもたちに「余計なこと言うな」と釘をさすということは、自分は良くない態度をしていていじめに加担しているという自覚があるということ?

SNSでもいじめ「どうせアレルギーじゃ来てもつまらないよ」

SNSの中でもいじめは続く。

パーティーの写真がアップされ、「小春も来ればよかったのに」「どうせアレルギーじゃ来ても楽しくないよ」と笑う女子たち。

小春はスマホを眺めながら、死にたい、とつぶやく。

SNSという親や学校の先生の目の届かない場所でのいじめは、よく聞く話ですね。これは本当に陰湿極まりなく、親としてもSNSの使い方をきっちり教えていきたいと思いました。

しかし「アレルギーだから来てもつまらない」と本人に言うかどうかは別として、これは思われても仕方ない部分もあるのかなぁと考えさせられました。

アレルギー当事者としては、食べられるものを自分で用意したり、取り分ける時に注意する、など工夫すれば同じ空間でその場を共有し一緒に楽しむことが出来るのになぁ、と思います。

でも外食だったら、そのお店に行きたいという目的がある場合、こちらが遠慮せざるを得ない状況もあります。

Emilyの娘も、いじめは別としても(分からないけど)、これからこのようなシーンはたくさん経験していくことと思います。

その時に、もし娘のことを大事に思ってくれるお友達がいたら、「出来るか、出来ないか」「したいか、したくないか」をたくさん話し合ってもらえたらいいなと思っています。

だけど本当は、それってアレルギーに関係なく「相手の気持ちを思いやる」という行動なだけで、人付き合いをする上では最も大切なことです。だから娘たちにはいつも、相手の話をよく聞くように教えているつもりです。

双方とも「アレルギーだから思いやるべき」という考え方になってしまうと、コミュニケーションにひずみが生まれる原因になると私は思っています。

でも、「アレルギーのために出来ないことがある、それで辛い思いをすることがある」という状況を認めて、「そうなんだね、辛いこともあるんだね」と寄り添ってもらえたら有難いなと、親として切に願います。

このシーンで言えば、パーティーに実際行くかどうかは、そのあとの話ではないでしょうか。

いじめの発端は担任のアレルギーを認めない態度

自身もいじめられるからと保身しつつも、小春のことを気にかける女子が明智の事務所を来訪。

2学期になって新たに来た担任が「あなたのはアレルギーじゃなくてただの好き嫌い」と言ってから、クラスのみんなが小春をいじってもいい雰囲気になってきた、1学期までは小春とみんなは仲良くしていたと告白。

明智を正義の味方とするならば、悪役のこの担任は最高に胸糞悪い奴に仕上がっていますね。クラスのいじめの発端が子供ではなく担任だったというのは、小学生の子供がいる私にとっては恐怖でしかありません。

しかも現実では、アレルギーに関しては緊急時の対応などガイドラインがあり、どの学校も子どもの命を守るために必死になっているのがほとんどでしょう。

娘の学校もそれはそれは厳重で、むしろ守りすぎているがために弊害が出ているくらいなのに、今時こんな先生がいるとは信じたくはありませんね。

ですが、役者さんの年齢的に「アレルギーは好き嫌いでわがままだ」とされていた時代の先生、という設定なのでしょうか。担任役の阿南敦子さんは現在50歳です。役の見た目はベテラン先生風でした。

たしかに、アレルギーに関して無理解だった時代があったことは否めません。役者さんの年齢を担任役の年齢とすると、先生になった頃の30年前から知識をアップデートできていない先生、と考えるともしかしたら今でもそういう先生はいるのかも知れません。

こういう人はドラマの中だけで、現実には滅びた存在だと願うばかりです。こわい。子どもが殺されちゃう。でも、蛇足ですが、帰省時に親がアレルギーを理解してくれないからこわくて連れて帰れない、という話は今でもよく耳にします……

アレルギーに関する知識は世間に浸透しだしたばかり、という現実。でも子どもに関わる職種くらいは、アレルギーに関する知識を深めて欲しいと思います。命に関わりますから。

給食に毒を盛る事件勃発。その物質は「ヒスタミン」

ストーリーは本すじの明智とマリアの対立の話に。その展開で、小春のいる5年1組の給食には”毒”が盛られることに。

給食の時間、小春が「食べないで!」と止めても誰も話を聞かず給食を食べてしまう。そこで明智が登場し、給食に盛られた毒は”ヒスタミン”だと言う。

明智「ヒスタミンによって、小春が起こしたアレルギーと似たような症状が現れるだろう」

あわてる担任とクラスメイトたち。

男子「からかっただけじゃねーか。ふざけんなよ!」

明智「食物アレルギーのある人がふだんどれほど苦しい思いをしているのか。また、それを無理やり食べさせることがどれほど危険なことなのか。身をもって知るいい機会だ。これぞまさに体験学習。ねえ?先生?」

事務所を訪れた女子「小春。ごめんね」と抱き合って泣く。

“毒”にヒスタミンが選ばれたのは、話としてはよく出来ているなと思いました。ヒスタミン食中毒というと、食物アレルギーとそっくりな症状が現れる食中毒です。

毒を盛られたクラスメイトは、ふざけるな!と憤慨し明智に食ってかかります。でもその気持ちこそ、小春が普段みんなからアレルギーのことでいじめられて感じていた思いそのものなんですね。

そのことを明智が理解している。「食物アレルギーのある人がふだんどれほど苦しい思いをしているのか」と言ったあと、わずかに小春の表情がゆるんだようにも見えました。

憤る担任、諫める明智

“毒”を盛られたことに対し担任は、「あなたたち、こんなことして許されないわよ!?」

明智「しかし先生。そもそもは先生の給食ハラスメントから始まったことだと聞いている。アレルギーがある児童に症状が出るものを食べさせたらそれは虐待だ。あなたがしていることは毒物を食べさせようとしていることとなんら変わりない

結局、毒を盛られた給食は直前で助手の苺がすり替えたため、クラスのみんなが食べた給食には毒は入っていなかった、というオチで話は終わる。

給食ハラスメント」これは割と新しい言葉なのではないでしょうか。

「給食ハラスメント」で少し検索してみましたが、それをきちんと定義している組織は2020年5月現在のところ見当たりませんね。

「ハラスメント」の言葉の定義としては、「人を困らせること、嫌がらせ」とのことです。では給食ハラスメントは、給食のことで嫌がらせをすること、というところでしょうか。

たしかにこの担任の行動は、体質的に食べられないのに嫌味を言う、という「ハラスメント」にとどまります。もしこの担任を問い詰めたら、「私は牛乳を食べるように強要はしていない」とでも言いそうですね。

しかし、明智が担任の間違った認識をズバリと指摘したところは非常に良かったと思います。

でも、この担任の態度のせいでクラスの子どもたちはいわば”殺人行為”を犯してしまった。もしこれが現実だったら、担任の責任は重いと私は考えます。

そもそもこのストーリーの本すじには明智とマリアの対立があり、そこで起こる事件の一つとして今回のアレルギー×いじめがテーマに取り上げられたという話の構造があります。

結局、第5話のラストは明智とマリアの関係はどうなっていくのかに戻り、アレルギーについてもいじめについても、それがきちんと解決するところまでは描かれていませんでした。

TwitterなどのSNSやメディアでは「クラスメイトや担任も謝れ」「胸糞悪い」と言った視聴者の意見が多く見られ、「アレルギーなのに給食を食べる方が悪い」といった意見はあまりなかったことに、私はほっとしました。

アレルギーの病態や患者の生活の描かれ方に間違いはなかった

総合して、この第5話での食物アレルギーの扱われ方は、それほど悪くなかったかなと私は思いました。

まず第一に、アレルギーはどのような病気であるか(=病態)が正しく描かれていたこと。

2018年のイギリスの事件をもとにしていることは分かるけれど、それを単なるネタとして話に入れるのではなく、アナフィラキシーが起こった状況や緊急時の対応が正しく扱われていたので、その点に関しては良かったと思いました。

そして、正義の味方ポジションの明智に正しい知識とアレルギー患者への理解があったこと。終始一貫して明智の態度が小春に寄り添うものであったところに、私は救いを感じました。

担任やクラスメイトの無理解、意地悪っぷり、謝りもしないところに胸糞悪い思いが残るのは残念ですが、ドラマの1時間でそこまで描ききれなかっただろうことや、そこを解決まで描くことは話の本すじではないことを考えると、仕方ないのかなとも思います。

そして、悪者はより悪く描くのが物語を盛り上げる要素でもあるかな、と。現実と重ねて見るには、ちょっと今の時代には合わないかなと思います。

でも、たしかにそういう時代はあったということは否定できないし、もしかしたら今でもそういう人はいるかも知れない

願わくば、あの話の続きがあったとしたら、担任はアレルギーについて勉強し理解を深め、クラスメイトはみんなと同じことができない小春の思いに寄り添って理解してくれたらいいなと思いました。もちろん心からの謝罪を求めたいところではありますが。

アレルギー患者が幸せになるところを見て自分も幸せな気持ちになりたい、という思いでこの美食探偵第5話を見ることはおすすめしません。あくまでも、「美食探偵」のストーリーにアレルギーが出てきた、くらいのスタンスで見るのが良いかと思います。

まとめ・現実にあったらたまったものじゃないね

私はというと、この話を見てもそれほどショックは受けませんでした。現在娘は友達関係に恵まれていて、このドラマのようないじめは他のアレルギーの子も含めて聞いたことがないからかもしれません。

ですが、学校の先生にアレルギーについて正しく理解してもらう、という難題は現在進行形で頭を悩ませている問題ではあるので、どちらかというと友達関係より学校との関係に目が行きました。

娘にふと「アレルギーのことでお友達に嫌なこと言われたことある?」と聞いてみましたが、娘は「嫌なことって…?(本気で何を言っているか分からない)」という態度だったので少し安心しました。

私が「いやね、ドラマにアレルギーの子が出てきて、みんなにいじめられてたの。『あなただけ給食当番やらなくていいなぁ』とか言われたことない?」と聞くと、娘は「あるわけないじゃんそんなこと!」とげらげら笑い飛ばしていました。

そんな会話をしてふと思ったのは、小春ももしからかわれてしまって嫌な思いをしても、「そうじゃないんだよ」と自分の思いを伝えられる環境があったらいいなぁということでした。

結局、自分の環境は自分で整えていくしかない。初めから素晴らしい環境が用意されているわけでもない。

もしかしたら、小春もそうやって努力してきたのかも。そう考えると、やっぱりそれを強い力で崩してきた担任は死ぬほど反省して更生して欲しいと思いました。

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