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2019年12月07日
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カテゴリ:家族
​毎日、私が夕食を1階のキッチンで作っていると
部屋からやって来てさえりんの事を話して、
一緒に泣いてくれる、お母さん(姑)


姑と私は18歳違い。
普通の嫁姑より年が近い(うちは主人が6歳年下なので)
私が嫁に来た20数年前、お母さんは40代後半だった。
(今の私より若い・・・(;'∀'))

さえりんが初孫として生まれてきたときも、姑は40代後半
前にも書いたが、姑の子供は主人と弟の男2人
女の子が欲しかったが家庭の事情で泣く泣く諦めた
なので、初孫に女の子が生まれたときは
まるで自分の娘が生まれたかのような喜びよう。

母はまだ若かったから、お祖母ちゃんって
呼ばれるのを嫌がり
孫たちに「あーちゃん」って呼ばせていた。

その頃、我が家は昔ながらの家だったので
2世帯ではなく、まるっきりの同居生活。

姑は毎日毎日さえりんをものすごく可愛がってくれた。
次女が生まれたときも、
「ママは2人の子育ては大変だから、次女は私が育てるから」と
連れていかれそうになって
「2人とも私が育てます!」と慌てて取り換えした・・・(;^ω^)

そのくらい2人とも大事にしてもらった。

両親はさえりんと次女をよく遊びに連れて行ってくれた。
洋服やおもちゃ、一輪車やスケートボードや自転車など
その時々で子供たちが喜びそうな物を2個ずつ買ってくれた。



実は私は独身時代、実家があまり好きではなかった。
父母はいい人だけど、私とは相性が合わなかったように感じていた。
妹弟とも私が勝手に疎外感を感じていたように思う。

だから、主人と結婚し、両親と同居が決まった時
嬉しかった。
私は嫁ぎ先の両親の方が好きだった。
(最初の頃、父は怖かったけど・・・)



それでも、長年一緒に暮らしていると
当然ながら、嫌になるときもあった。

世に言う嫁姑ほどだったかどうかはわからないけど、
私は2、3度家出しようとしたこともある。
(出て行くところもなく一人ドライブしただけで帰ってきたが(-_-;))

今思えば原因も何だったのか思い出せないぐらい
他愛もないことだったと思う・・・
ただ窮屈だとか、自由にならないとか、
何か注意されたとか、私が我がままだったと思うよ。

本当にあの頃は、何の悩みもなく幸せだったから
その幸せが永遠に続くと思っていたから・・・
こんなに恵まれてるのに、贅沢で愚かな嫁だったと思う。



さえりんは家族全員、大好きだから
極たまに私とお母さんが言い合いをしたり、
仲が良くない雰囲気を出していると、
ものすごく敏感に感じて、おろおろと動揺していた。
そして、二人の仲を取り持とうと小さいながら
一生懸命に考えて、行動に移した。

その姿が健気で可愛くって、大抵の嫁姑のケンカは
それで笑いに変わっていった。


さえりんは家族を繋ぐ大事なキーパーソンだった。




さえりんが亡くなった今、母は毎日泣いてくれる。
「どうして、さえちゃんが病気の私より早く逝ってしまったの?」と。
母は心臓に不治の難病を抱えていて、他にも病気がある。

だから、さえりんが突然亡くなった時、
あまりのショックで母の心臓が止まるんじゃないかと
家族みんなで心配した。



母は一緒に泣いてくれるが、この頃少しだけ変わってきた。

「ママ、大丈夫? ハグしょう」って
私に抱き着いて泣く。

そして、母は言う。
「本当は今でも信じられなくて、
悲しくて、悲しくて仕方ないけど、
でも頑張ろうね。
みんなで支えあって生きて行こうね。
いつか、さえちゃんが迎えに来てくれるまで・・・」と。


傍から見たら、変な嫁姑だけど、
今ではこの母が愛おしくてたまらない。


私は、ようやく言葉に出して、
素直に感謝を伝えられるようになった。

「お母さん、本当にありがとう!!」って。




さえりん、今のママとあーちゃんはどうかな??

きっと、親指を立てて「グー」って笑って、
安心して見ていてくれるよね!!





(親戚の叔父さんが見えたとき、13歳のさえりんと妹と父母)








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最終更新日  2019年12月07日 07時24分48秒
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