私は考えることによって、
自分の考えを得ます💡

例えば、迷惑について
考えてみる。
たくさん考察して、
考察を一つ一つネットでも
調べてみますキョロキョロ

と、たくさんのもっと
いい考えを発見する。
もっといい表現を
発見するびっくり

このとき、嬉しい!という
反面、
自分ってなんなんだ、
とも思ってしまう真顔

考えたかったのは、
その答えを得たかったからなのに。
たくさんのいいものに会えば、
嬉しい照れ

でも、反対に残るこのもやもやは
なんなのかもやもや

ふと、自分っていらなかった、
という思いも浮かんでしまう。
自分で表現しなくても、
もうこのことについて
すごい人がいるじゃん!ってなる。


哲学者ショウペンハウエルは
言う。(読書について 1985)
思想家には2つのタイプがある。
①自分のために思索する者。
②他人のために思索する者。





①のタイプは、
真剣に自分に打ちこんで
事柄を知ろうと努めていて、
この思索にこそ
自分の存在の楽しみも幸福もある。

②のタイプは、
世間から思想家であると
思われることを念願し、
名声の中に幸福を求める。
事柄を知ろうとする努力は
他人本位になる。



私の感じてきた虚無感は、
私が②のタイプだからこそ
感じるものなのか、と納得真顔
確かに、良い記事を書こうとか、
良い論文を書こうという意思
が発端になって追い求める思想には、
この虚無感がつきまとって
しまっていた。


他人に発信することを思っていない
思考で、同じ考えを見つけたときは、
嬉しさだけが残る照れ


その嬉しさを伝えようとして、
伝えるために他の文献も参考にする。
と、さらに良いものに出くわす。
また、自分っていらなかった?と
思ってしまう。
伝える必要なくなるんじゃないか?
って考えてしまう。
いや、それは①タイプから、
②のタイプに移ってしまったから
かな、と私は思う。


ではこの①タイプが②タイプに
なってしまう原因って?


承認欲求、自己肯定感の欠如、
他人からの承認で自分の
存在意義を確認してしまっている。
などが自己分析すると原因として
でてくるうずまき


いいね!を目指す私は、
しばらく②タイプから抜け出せ
なさそうです笑い泣き
この虚無感とは、
暫く仲良くいよう照れ


読んでいただいて
ありがとうございましたニコニコ