こんにちは!けうです。
「善意という暴力」
(堀内進之介 2019)
を読みました
今、世間ではコロナウイルス現象によって特定の品不足に陥っています。
そうした中、私はスーパーの店員なので、その情報が入ってきます。
マスクは入荷未定です。
トイレットペーパーやティッシュは入荷制限がないので、朝にはあります。
これらは必要な情報なのでいいかな、と思いました。(現象を扱った記事)
けれど、お米やパスタが売れていることを言おうかと思ったとき、違和感を覚えました。
善意という暴力
この本の第5章
人はなぜ陰謀論にはまるのか?
「私たちは、いったん見抜いた嘘でも、繰り返しそれに触れれば慣れが生じ、信じる人が現れる」と述べられています。
本ではある実験を取り扱っていました。
高齢の参加者と若者に、明らかに嘘だとわかる情報を与えました。
話を聞いた直後は、誰もがみんな、この話は眉唾だと見抜きます。
ところが、数日後に、もう一度、この話をすると高齢の参加者の中には、本当のことだと思う人の割合が増えるそうです。
筆者は、繰り返しによって、言説そのものに慣れてしまうことが原因だと述べています。
今の社会現象で言えば、マスクが品薄というのは本当になってしまいました。
そして、入荷が続くトイレットペーパーやティッシュも、一時的には品薄状態になっています。
この情報の元はデマだとニュースで放送されています。
「メディアが間違った情報を正そうとしても、情報が拡散されれば、一部の人たちは、かえって、それを事実として受け止める可能性が高くなるということだ。」
と筆者は言います。
「対象に注がれる意識を、特定の情報を選択して買うための予算と考えると分かりやすい」
という私にはわかりにくい一文が書かれていました
この言葉を例で考えてみます。
情報の処理しやすさでいうと、私たちは否定の否定は理解し難くなります。
ティッシュがない、というのは嘘
↓
ティッシュはある
ティッシュはあると言われた方がわかりやすい一文ですが、それだと今の現実を表すことができません。
ティッシュはどんな問題になってるの?
という疑問が浮かんでしまいます。
現実を表すために、否定の否定を言うことになるのですが、ティッシュがないという情報だけが慣れ親しんだ情報として入ってきます。
その部分に関して、知るためのコストが低くなります。
心理学で言えば、お天気キャスターが雨といえば、そのお天気キャスターが悪い人だと思うように、私たちは単純を好みます。
繰り返し情報を聞くことによって、否定の前の部分だけが受け入れられてしまいます。
ティッシュがない、というのは嘘
↓
ティッシュがない。・・・(続き?)
という感じです。
「善意から、この情報はデマだと言って広めることが、逆に嘘を本当だと思わせることになってしまう」
と述べられていました。
私は発信しながら、気をつけようと思いました
読んでいただいて
ありがとうございました