神様の声をお届けする役目、審神者として
日々暮らしております。
ミズノサヨリと申します。
私について下さっております神様は
市杵島姫命様でございます。
日々、神様から頂くありがたいお言葉を、
多くの方へお届けできたらと考え、
“神つづりブログ”を、時間の許す限り
配信したいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回は『煩悩」のひとつ
『真理が分からず愚痴を言うこと』について
お話したいと思います。
ここから先は、神つづりと致します。
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神つづり⛩️…
≪真理が分からず愚痴を言うことについて≫
愚痴は・・・、
言いたくなくても、つい出てしまうものです。
そして、一度言葉にすれば、
益々気持ちは煽られ
更なる愚痴を追加する事もあるかもしれません。
それなのに…、
どれ程愚痴を吐いても
なぜか、スッキリすることはありません。
神様は“愚痴を言うこと”について、
『愚痴とは自分がいる世界を確定させること。
自ら稚拙さを表現している事である。』
と申しました。
愚痴とは、
「自分が正しいのに、この人を超えられません」
と、神様へ宣言している事となるからであり、
”己が相手より格下である”
と認めた証なのです。
故に愚痴とは、
己の未成熟な部分、即ち
己の中に必要な真理(=物事の筋道)
を得ていない者の表現となるのです。
真理がわかならければ、
相手を責める事が正義となり、
終始イライラは収まらず、
果てには、自らも加害者と化し
所かまわず愚痴を言いふらす事でしょう。
愚痴を言ってしまいたくなるのは、
己の方が勝っているという事を
多くの人に承認されんとする欲求です。
これが”稚拙さ”から成る事を
理解することが必要でしょう。
真理を弁えている人は、物事の本筋を踏まえ、
自分の意識のブレが生じて執着しないよう、
気を逸らし、さらりと受け流す事が出来るのです。
努力し積み上げた己の人生が、
自分から吐き出した愚痴により
道を閉ざす事の無いよう、
愚痴を言うより己の意識を真理へ向けましょう。
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次回は、「おごり・たかぶり」についてです。
お楽しみに。