こんにちは😊

 

先日某チャリティ-番組が

放送されました。

 

今年は、コロナ禍の

真っ只中にあって、

放送の是非も問われたとか…。

 

この様な中で制作に当たっては、

これまで以上の、様々な気遣いや、

配慮があったのではないかと

想像します。

 

それでもやはり、

番組や企画について『偽善』だ!

とする投稿があるようです。

 

『偽善?

なにを持って

そう言い切るのでしょうか。

 

神様に「偽善とは」

をお伺い致しました。

 

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まこと(真)か偽りか。

 

 いつの時代であれ、

陰口が消える事はないが、

今の世は、心を患う者が多くなった。

 

素直に人を称え感謝出来れば、

苦しまずに済むが、

 

それを負けたと思うが故に、

偽りでなくてはいけなくなる。

 

たとえ神が真を話をしたとして、

それは偽りの話しだと

言う者もおるということだ。

 

『真』とは、

信じることが出来るかどうか。

己をどれほど信じられるか。

相手をどれほど信じられるか。

これが『真』である。

 

信じるとは、

たやすく見えるが、

血縁ですら難しいときもある。

 

何より、己を信じられない

者が多くいる。

それは、対象となる人の

経緯を知っているから。

 

あなた(自分も含め)の事を

見ている・聞いている・

体験している等で、

思うところがあればこそ。

 

それでも、もし、

〝あなたに何があっても

信じよう”と思えば、

強い心を養うことが必要となる。

 

その時必要なのは、

愛・慈しみ・正義・判断・知恵・身なり。

 これを持って「信」となる。

 

「偽」とは、欠けに対しての

あがきと思えばよいではないか。

 

この世で、信のある者・信のある事は、

無くなることない。

 

言わずとも、皆が求めていて、

目指しているからだ。

 

しかし、完全な「信」を持つ人など

おらんであろう。

 

そこに、挑むことを恐れない姿こそ、

「信」を見るのではないか。

 

今のように、多数の者たちが、

悪あがきにエールを送ったとしても、

 

挑み続ける者たちを

超える事は到底無い。

 

己がもし、

偽善者と言われる事があれば、

『己の信』をただ信ずるが良い。

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