翌朝は7時に起床する。テレビをつけるとイギリスの選挙の結果を放送している。どうやらイギリスはとうとう逆戻りできないところまで行ってしまったようだ。人間というものはあまりに結論が付くのが遅れすぎると考えること自体に疲れてしまって、それが最悪の選択であったとしてもさっさと決着がつくことを望むようになるという。これを利用したものの一つがオレオレ詐欺でもあるわけだが、どうやらイギリス人もその状態になってしまったようだ。それとさらに言えることは、残念ながら多くの人間にとっては最悪の事態というのはいくら綿密な想定を上げても理解することが出来ず、実際にそれを体験して初めて理解できるが、その時にはすべてが手遅れであるという原理もある。それこそ地球温暖化による大惨事なども、トランプのような馬鹿には実際に体験しないと分からない。体験して初めて「誰のせいでこんなことになったんだ!!・・・もしかして俺か?」となるのだが、悲しいことに本当の破局が来る前にトランプはこの世にいないだろう。
とりあえず起きはしたものの、体はズシッと重いし、あちこちに痛みもある。特に靴擦れ状態になっている足の小指の痛みがひどい。一昨日の歩数1万7千歩+上がった階数41階に加えて、昨日の歩数1万歩+上がった階数9階がトドメとなって体がガタガタである。とは言ってもゴロゴロしていても仕方ない。とりあえず部屋を出ると、まずは海の見えるレストランで朝食バイキング。可もなく不可もなしのオーソドックスなバイキングである。
今日は島原鉄道で諫早に戻ると、そこからレンタカーで長距離移動する予定。ただし実は詳細な予定を組んでおらず、出たとこ勝負というのが本音。朝食を終えると荷物をまとめてさっさとチェックアウト。外に出た途端に空気がかなりひんやりしている。ここのところ暖かめの日が続いていたが、今日は寒くなりそうだ。空気は非常に澄んでおり、雲仙普賢岳の険しい山容が間近に見える。こうしてみると、島原は雲仙と運命共同体であることを感じる。
島原港駅に到着したら既に列車が待っていた。どうやら乗るつもりだった車両よりも1本早い便のようである。諫早までの急行便。どうせだからこれで戻ることにする。しばし列車に揺られながらこの原稿を執筆。
諫早には1時間ちょっとで到着。昨日よりはかなり早い印象。急行と普通でこれだけの差があるということか。島原観光を考えるのなら、もっと急行を増やしたいところだが、単線路線のためにキャパが限られるのがツラいところ。
諫早に到着するとここでオリックスレンタカーでフィットを借りる。今日はこれで移動の予定。まずは最初の目的地である須古城に向かう。
須古城 龍造寺隆信が居城にした城
須古城は有馬氏配下の平井氏の城であったが、龍造寺隆信が4度に渡ってこの城を攻めてついに落城させ、隠居後は自らの居城としたという。彼が討ち死にした後には弟の龍造寺信周の居城となり、それが須古鍋島藩の祖となったとのこと。
須古城は須古小学校の裏手の山上にある。一面まっ平らの土地の中の独立丘陵なので非常によく目立つ。これは平井氏や龍造寺氏でなくとここに城を構えるのは理の当然である。
見学路は小学校の裏手から登るようになっている。城の構造は山頂の本丸とそれを取り巻く環状の曲輪からなる。現地は地元の方によると思われる整備がされており、竹林などが伐採された跡があり、手製の案内看板もいくつか立っている。
裏手には虎口の跡が見られ、その両側には横矢掛けができるように出っ張りがある。またこの曲輪内には3箇所に井戸跡もある。
さらには飛び出した櫓跡もあり、これは防御の拠点となりそうである。
周囲はかなり切り立っており、本丸周囲も切岸でかなり切り立っており、自然崖の上にさらに石垣を積んでいる箇所もある。本丸の広さもそれなりにあり、そこそこの兵を収容できるようになっているので、幾度にも渡って龍造寺氏の攻撃をはねつけたのも納得できる。
小規模とはいえ、なかなかに見どころのある城郭だった。また恐らくは一面の竹林と化していたであろう城跡を手を加えて整備された努力には敬服するところ。余裕で私選100名城Bクラスに該当の城郭である。
姉川城 低湿地の水路で守られた城
須古城の見学後は次の目的地に移動。次は前回の佐賀訪問時に事前調査不足のためにまともに見学できなかった低湿地の城のリターンマッチとする。最初に立ち寄ったのは史跡にも指定されている姉川城
以前は車を置く場所が見つからなくて通過するだけとなったのだが、今回は案内看板の手前のスペースに車を置くことにする。通行の邪魔にはならないと思うが、もしもの場合も想定してなるべく手早く見学を済ませることにする。
と言っても実際のところ意外に見どころはない。城の中心と思われる曲輪は今では単なる畑で何もなく、予備知識がなければただの水路に囲まれた畑で終わり。となりの曲輪は住宅が建っているので入っていくわけにもいかないし、もし入ったところで状況は同じだろう。とにかく確かに低湿地の地形を活かした万全の防御の城郭であるということは感じるが、いわゆる城跡のイメージは薄い。
直鳥城 かつての城跡は今はクリーク公園に
姉川城の見学を終えると近くにある直鳥城に向かう。こちらはクリーク公園として整備されて駐車場まで完備している(前回にはこれを知らなくて周辺をウロウロと回っていた)。とりあえずここに車を置いて徒歩で見学。
こちらは姉川城と違って城内を自由に散策することができるが、かといって印象は同じである。やはり単に水路に囲まれた小島の群れというところ。山城と違って虎口や石垣などの防御の施設があるわけでないし、全体的に見どころが少ないのは否定できない。
まあいろいろと難点はあるが、とりあえずこれで佐賀に残した宿題を解決することができたので良しとする。
嬉野温泉で宿泊
直鳥城の見学を終えた時には14時頃。まだまだ時間はあるが、行くべき場所とそれを回るのに必要な体力がもうない。そこで今日はもう宿泊予定地である嬉野温泉に移動してしまうことにする。昨日辺りから体がヘロヘロなので、さっさと宿に入ってしまって温泉でゆったりとしたいという考え。
嬉野温泉までは長崎道を経由して1時間弱程度のドライブだが、これが正直かなりキツかった。体に相当の疲労が来ており、気を相当引き締めない意識が飛びかねない状況。朦朧運転にならないように気をつけながらの慎重な運転。何とか無事に嬉野温泉まで運転したが、もう体力的な余裕はほとんどない。
嬉野温泉に到着したのはチェックイン可能時間の15時直後。今回宿泊するのはホテル桜。今まで嬉野温泉では大抵和多屋別荘を利用していたが、残念ながら今回はお一人利用可能な貧民コースがなかったのでこちらにした。そもそも和多屋別荘のような高級ホテルにまともに宿泊する軍資金はないし、ああいうホテルは基本はお二人様からが原則である。このホテルにしても平日だからこそ予約をとれたというところはある。
ホテルの駐車場に車を置くと、早速チェックイン。部屋は4階で普通の旅館の部屋であり広くて豪華。
荷物を置いて一息つくと、何はともかく最上階の展望大浴場へ。ここは建物の中央が吹き抜けになっている独特の構造。解放感はあるが高所恐怖症には少々つらい構造でもある。
ここの大浴場は嬉野温泉の源泉に加水して温度調節しているようなので、その点では和多屋別荘よりは劣る。とはいうものの元々の嬉野温泉の湯のポテンシャルが非常に高いので十二分に良い湯。肌がぬるぬるとして溶けそうな印象である。展望浴場で見晴らしはよいが、そもそも嬉野温泉は都会の温泉なので風景はそう面白くはない(笑)。なおここの風呂は温度を低い目にしてあるのでゆったりと長時間入浴するタイプになる。とにかく体のあちこちに負担が来ており、特に両足などはだるくて仕方ない状態なので、それをゆったりと癒す。思わず「ああ、生き返る」という言葉が出てくる。
入浴を済ませて部屋に戻ってくると夕食までしばし原稿入力になる。ようやくそういう作業に取り組む時間を取れる状況になった。いくつか原稿を仕上げると夕食へ。
夕食はレストランでいわゆる懐石。なかなかに美味い。特に牛の陶板焼きがかなり美味かった。量的にはやや少なめの気もしないでもないが、私の健康にはその方が良いのだろう。何か買い出しに行くことも頭をちらついたが、わざわざ着替えて出かけるのが面倒なのと、コンビニまで結構距離があることから諦めて原稿執筆の続き。この日はいくつかの原稿をアップしてから寝る前にもう一度入浴して、23時頃に就寝する。