徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

魔王学院の不適合者~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~第13話

慈愛の魔王様による強引な大団円

 いやいやいや、予想通りというか、予想を超越するレベルで慈愛の魔王様がすべてまとめて強引に大団円に持っていきました。

     
まだまだ続くよ原作は

 一つ予想外だったのは、最初から存在の意味が今ひとつ不明だったあのヘッポコ聖歌隊が、ここに来て一応重要っぽい活躍をしたと言うこと。とは言っても何かオールスターキャスト総出演になっていたから、わざわざ慈愛の魔王様が無理矢理に見せ場を作ったという気もしないではない(笑)。

 それにしても勇者カノンと魔王アノスの関係って、そっち関係の同人誌がもろに盛り上がりそうな関係だな。「君を救うために」「お前を救うため」ってやりとりなんて、腐女子が失神しそうな展開だ。正直なところ私は見ていて背筋がモゾモゾしましたが(笑)。いやー、本当に強烈に愛し合っているなって感じで、最後なんて愛のダブルアタックで2000年の怨霊を浄化しちゃいましたからね。

 そして慈愛の魔王様はここでも配慮を怠らない。怨霊を単に力で消滅させるのでなく、明らかに妄執から解放して成仏させてしまってますから。ジェルカは恨みに囚われて人間としての情を完全に失ってしまっていたが、その怨念を消滅させることで、彼に人間としての情を取り戻させて成仏させた。これこそまさに救済そのもの。カノンはそういう結末を望んでいたんだろうが、力不足でそれが出来なかったのを、アノスがあっさりと解決してしまった。

 さらにその慈愛に満ちた魔王様の姿を見せつけることで、魔族も人間も正気に戻って助け合う関係に。お約束のまさに大団円ってところです。

 

だけどよくよく考えると2000年って・・・長すぎる

 ところで2000年の怨念ってあっさり言うけど、実際の歴史で考えてみたら弥生時代人の怨念ってことなんですよね。そう考えるとこの作品の世界って恐ろしいほど社会の進歩が遅いんです。現実の社会だったら2000年前の統治者が甦っても「はっ?」って感じになるのがオチですから。卑弥呼どころか、日本神話の時代になってきますから。無理矢理に現代に持ってきたら、日本武尊あたりが転生して登場して「我こそ日本の王なり」って言い出したような状態か。少々の超能力持っていたとしても、普通に近代兵器に負けそうだ(日本神話見ても、例えば彼らは敵都市丸ごと吹き飛ばすような能力は持ってなくて、普通に剣や弓で戦争してますからね。)。一応末裔らしき連中は残ってはいますが(ただし本当に直系かどうかは議論があるようですが)、彼らも既に「普通の人宣言」してますし。

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要はアノスの嫁が増えましたってだけの話か(笑)

 で、どさくさに紛れてミーシャとサーシャが「二人で一人バロローム」をしてましたが(昭和生まれにしか分からんネタです。平成生まれの若者にはごめんなさい。)、彼女たちこんな隠し技もあったのか。まあ最近はサーシャがデレ過ぎて初期のツンデレキャラ印象が大分弱まってきていたので、ミーシャとの個体識別が弱ってましたが(笑)。しかもここに来て二人の関係も明らかにミーシャがリードする形になってきてたし。

 最後はついででエレオノールの問題もあっさりと解決。所有者を書き換えしてしまったようです。Windowsレベルでいろいろ細工していても、魔王様はBIOSレベルでいじってしまいますので何でもありです。Windowsを汚染させても、BIOSを無理矢理いじってWindowsドライブを丸ごと無効化して、Linuxで再ブートするぐらいの大技を魔王様は簡単に駆使してくれますから。と、一応は20年ぐらい前にDOS/Vパソコン自作のHPも運営していた人間らしい表現を使ってみました(笑)。最近は完全にジジイ化してしまって、今のPCのことはさっぱり分からなくなってますが。

 だけどよくよく考えるとどさくさ紛れにエレオノールも自分の所有物にしてしまったんだな。確かに親父が言う通りに3人目の嫁を迎えたということになる。しかも孫が1万人付き。この大量の孫はどうするんだ? 魔王様は「みんなが幸福になるようにする」とエレオノールに約束してますが、この孫達は全員幸福になれるのかね。元々感情面に問題があるようだし、コピーが1万人ってそれだけで異常な状態だから。私は全部統合してエレオノールに吸収させると思ってたんだが、まさかそのまま残すとは思わなかった。

 まあ主人公が豪快に無双ですから、ご都合主義とかそういうのを超越してしまっている。まあ「安心して見ていられる」というところはありますが、世界の法則さえ超越する主人公ってのは、物語の原則さえ超越している存在ですから、本来は創作の世界では完全に禁忌なんですけどね。まあ別に深い話を書こうとしているわけでないなら、それもなしではないか。

 

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