教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/16 NHK 歴史秘話ヒストリア「怪異に立ち向かえ!陰陽師と妖怪博士」

 最近はとかく過去放送界の総集編が増えていこの番組だが、今回もそうである。過去に放送した安倍晴明の回と井上円了の回をオカルトで括ってまとめている。

 

スーパー陰陽師安倍晴明

 まずは安倍晴明だが平安時代に活躍した陰陽師であり、京を悪霊から守るというのが仕事であった。また陰陽師の仕事は一つは天文観測で、陰陽五行説に基づいて星の観測で災いの予兆を察することができるという。

 そして平安中期に現れたスーパー陰陽師が安倍晴明。数々の術を極めて邪気を払う能力を持っていたとされる。一条天皇が病気になった時は地獄の泰山府君に寿命の帳簿を書き換えてもらうという術(泰山府君祭)を使ったとか。

 晴明が平安を保ったのは貴族たちだけでなく、庶民に対してもだったという。年末に魔を払う行事である追儺を行っていたのが、朝廷が天皇の母が亡くなったことで喪に服することになったのが原因で中止された。しかしこの年は飢饉などがあった年で、民衆の不安が高まる。そこで民衆を鎮めるのに晴明は独自に追儺を行ったという。こうして安倍晴明の名声も上がることになる。

 ちなみに陰陽師は戦国時代には軍師に進化したとのこと。

 

迷信を科学的に解明した井上円了

 さて一方の井上円了は明治の文明開化の中でも未だに超自然的なものに翻弄される民衆に対して、オカルト現象を科学の面から解明した人物だという。

 明治に流行したオカルト行事にこっくりさんがある。しかしこれが社会問題にまで結びついた。こっくりさんのお告げを信じて離婚してしまったり、詐欺被害にあったりなんていう例が続出したのだという。

 これに対して井上円了は学術面からこっくりさんの謎に挑む。井上の調査の結果、こっりさんは下田から広がったことが判明したという。そして元々は西洋人が行っていた占いだという(実際に西洋にこの手の占いがあることは知られている)。つまりは日本では狐狗狸などと言われるが日本のこの手の魍魎とは無関係なわけである。一見怪しい現象も正体が分かれば何でもないというのが井上の考えだという。

 東京大学で哲学を学んだ井上が設立したのが哲学館という学校(東洋大学の前身)で、ここでの教えは「若者に必要なのは未知なるものに向き合い真実を見極めること」というものだという。

 さらにこっくりさんの謎を追究する彼は実験を実施したという。その結果、感受性が強くて物事を信じやすい人が参加した時に動きやすいということが判明し、予期意向と不覚筋動の結果だと断じた。つまり精神的な思い込みに基づいて無意識に筋肉が動いてしまうと結論付けたわけである(非常に合理的である)。この結果、彼は妖怪博士と呼ばれるようになり、妖怪学なるものを確立して妖怪を合理的に説明していったのだという。この妖怪学は哲学館でも講義された。

 その内容は、火の玉については地中から噴き出す天然ガスだとし、このような自然現象に根差したものを仮怪とした。また正夢などについては、全国に夢を見る者が多数いることを考えると偶然夢が現実と合致することも確率的にあるだろうとして、これらを人の捉え方による誤怪とした。さらにはこれ以外にも人が意図的に仕組んだ偽怪もある。このような分類で真実を見極めろというのである。

 しかし富国強兵が進む中で哲学館事件が発生する。哲学における試験で「動機が善であるなら主君や親を殺すことも悪とは限らない」と答えた学生がいた。これは近代哲学では広く知られた学説に基づいているのだが、これを文部省が問題視して、哲学館の教育方針が国を危うくすると批判されたのだ。井上は47歳で哲学館の運営から手を引く

 この後の井上は全国行脚して哲学の講演を行った。そこで必ずしたのが妖怪学の話だという。迷信に騙されない合理的な考え方の重要性を訴えたのだ。14年に及ぶ講演旅行の中で140万人の人が彼の話を聞いたという。彼の講演は多くの人々を不安から解放したのである。

 

 以上、オカルト絡みの二題だが、安倍晴明は彼自身がオカルトそのものなのに対し、井上円了はオカルトを否定した立場なのでスタンスは正反対である。どうも括り方が大雑把に過ぎるような気もする。ちなみに井上円了の姿勢は私も共感するところである。彼は哲学者だったようだが、このスタンスは明らかに科学者のもの。

 ちなみにこっくりさんは私が小学生ぐらいの時にも流行しており、これが原因のいじめなどまで発生して問題になりました。確か私の小学校では禁止になったはず。この流行に対して私は「なんだ?その馬鹿げたのは」というスタンスでした。あの当時はオカルトブームだったが、私は常に「もし幽霊が存在するのなら、物理方程式と化学反応式を引き連れて現れろ!」と言ってましたね(笑)。つまり科学的に合理的説明がつかない限りは納得しないという。まあひねくれたガキだったわけです(笑)。

 

忙しい方のための今回の要点

・安倍晴明は数々の術を極めていたが、一条天皇が病気になった時には地獄の泰山府君に寿命の名簿を書き換えてもらうという泰山府君祭という術を行っている。
・さらには朝廷が喪中で厄払いの追儺が中止されたことで民衆が不安になった時、晴明は個人で独自の追儺を行って民衆の不安を払うことで名声を高めた。
・井上円了は明治になってもまだ民衆に残っていた迷信と戦った人物。
・明治時代にはこっくりさんが流行、これで騙される人が出るなど社会問題化した。彼はこっくりさんは予期意向と不覚筋動の結果と合理的に説明。これで彼は妖怪博士と呼ばれるようになる。
・彼は妖怪学という妖怪の正体を合理的に説明する学問を確立。彼が設立した哲学院でそれを指導した。
・しかし後に哲学院の教育方針が文部省に問題視され、井上は哲学院の運営から手を引く。その後の彼は全国を行脚して妖怪学の講演を行った。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・安倍晴明と言えば最近は創作の世界で大人気です。晴明神社なんかもパワースポット扱いになっているようですね。まあ陰陽道はあれはあれで理論的体系は一応あるものですが。
・当時は陰陽師も僧侶も実は最先端の技術に通じた科学者みたいなところがあるんですよね。だから今のイメージとは少し違う。

次回のヒストリア

tv.ksagi.work

前回のヒストリア

tv.ksagi.work