2020年8月27日木曜日

米海軍第38任務部隊の台風による遭難その2(1)

台風「コニー」との遭遇

 1945年5月18日に、ハルゼーは旗艦である戦艦ミズーリに乗って、第5艦隊のスプールアンスと交代するために沖縄沖に向かった。そこにはマクケーン率いる第38任務部隊がいた。第38任務部隊は、クラーク隊、シャーマン隊、ラドフォード隊の3つの隊からなっていた。ハルゼーはシャーマン隊をレイテで休養させ、ラドフォード隊に6月2日から南九州の飛行場への空襲を命じた。ハルゼーとマクケーンが乗ったクラーク隊は沖縄沖に残った。3日午後に南九州を空襲したラドフォード隊が帰途につくと、ハルゼーはラドフォード隊とクラーク隊に南東に向かってドナルド・ベアリー率いる補給艦隊と合同するように命令した。 [1]。

 その頃、気象観測船と航空機による観測によって、南にある熱帯低気圧が沖縄に向けて北上し始めていることが報告されていた。6月4日にラドフォード隊とクラーク隊は補給艦隊と合同し、ハルゼーは熱帯低気圧から発達した台風の予想進路から外れるように、艦隊が東南東へ向うように命令した。しかしこの台風「コニー」は急に向きを東寄りに変えて、沖縄へではなく第38任務部隊と遭遇する進路を進んでいた。



空母「ホーネット」で作成された19456月の台風「コニー」の進路(黒線)と第38任務部隊の針路(赤線)
https://ww2db.com/image.php?image_id=31111
を元に作成

 ハルゼーの艦隊は、最新式のレーダーと電子機器を装備した通信指揮艦アンコン(Ancon)を伴っていた。アンコンは、艦隊の針路交差するように台風が急速に北東に向かっていることに気づき、台風の新しい場所と進路を無線で連絡した。しかし、通信は規定により暗号化されていたため、その解読のために時間を費やし、ハルゼーがこれを知ったのは翌日の0100時だった[2]。

陸海共同作戦のための通信指揮艦アンコン。アンコンはノルマンディ上陸作戦に参加し、激戦だったオマハビーチの上陸部隊の旗艦として作戦成功に貢献した。しかし、太平洋では第38任務部隊の遭難を止めることは出来なかった。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:USS_Ancon_(AGC-4)_at_anchor,_circa_in_1945_(NH_99150).jpg

Reference (このシリーズ共通)

[1]Michael D. Hull, Two Typhoons Crippled Bull Halsey's Task Force 38, https://warfarehistorynetwork.com/2019/01/21/two-typhoons-crippled-bull-halseys-task-force-38/

[2]Kenneth et al.-1946-Typhoons of the Southwest Pacific-1945, Bulletin of American Meteorological Society, 27, 288-305.



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