新型コロナの影響で職場以外の外出は避けていましたが、
ある日に東京国立博物館へ出かけてみました。
ただ、入館にはオンラインによる事前予約(日時指定券)が必要と
いうことでネットから日時指定券を購入してお出かけです。
空きを確認して(まだ319人は入れるみたいなので)
15:30から入館することにして日時指定券を購入!
久しぶりにJR上野駅で降りて時間があったので
近くのヨドバシカメラで買い物をした後、
人が戻りつつある上野公園の中を通って
東京国立博物館に到着。
私は学生時代から日本刀鑑賞も趣味の一つです。
東京国立博物館に所蔵されている
国宝の三日月宗近(みかづきむねちか)を
見に行ってきます。
「三日月宗近」は、平安時代の刀工「三条宗近」が打った太刀で、
「天下五剣」の1振に数えられています。
天下五剣とは、特に名刀と言われている日本刀で、
数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)、
童子切安綱(どうじぎりやすつな)、
鬼丸国綱(おにまるくにつな)、
大典太光世(おおでんたみつよ)、
そして三日月宗近のことです。
三日月宗近の号「三日月」は、雲の合間に浮かぶ
三日月のように見える刃文が由来だそうです。
室町時代の足利家、安土桃山時代の豊臣家、
そして江戸時代の徳川家と、時の権力者に寵愛されてきた三日月宗近は、
現在、この東京国立博物館に収蔵され、
昭和26年には国宝に指定されました。
他にもファンがいて結構写真を撮ったり
長い時間眺めている人も多かったです。
また、個人的に興味があった
(相州正宗)石田正宗も見てきました。
鎌倉時代末期(14世紀)の刀工・正宗によって作られた刀。
石田正宗の名前の由来は、石田三成の所持品であったことに由来。
秀吉の死後、三成は五奉行の筆頭として君臨していたが、
徳川家康に匹敵する勢力を持っていた前田利家が亡くなると
家康や他の奉行らと頻繁に対立。
その対立はやがて激化し、ついに加藤清正、福島正則、
黒田長政ら武断派の七将が三成の大坂屋敷を襲撃する事件が発生。
この後、三成は敵であるはずの家康に保護を申出て、
家康は仲裁条件として襲撃した武将らに対し、
三成の蟄居を提示したことで事態は沈静化。
三成が家康に保護を求めた日、
たまたま家康の次男である結城秀康が屋敷にいて、
秀康は秀吉の養子になっており、
秀吉のもとで三成とは面識があって仲が良かったようで、
翌朝、家康の指示で三成を居城の佐和山城へ送ることとなり、
秀康が護衛として城まで随行。
三成は随行の返礼として本作を秀康に贈ったといわれている。
秀康は喜んで「石田正宗」と名付け愛用したという。
秀康死後は子孫の津山松平家に代々伝えられ、
昭和28年に重要文化財となった。
指定名称は「刀無銘正宗(名物石田正宗)」。
日本刀を眺める人が最近は多くなりました。
アニメや物語等でも結構話題になっていますからね。