15年も前の話である。その人は その道の第一人者と呼ばれる腕のよい技術者で、僕にとって業界の大先輩でもあった。

その人のことを ここでは Aさん と呼ぶことにする。

ひとつプロジェクトが終わるとAさんはいつも若手のスタッフを率いて夜の街に繰り出した。つまりAさんが主催する 打ち上げだ。

陽気で話も面白く、新顔が話の輪に入れるよう 共通の話題でつないだり、少しでも話の合う人の近くに座れるよう取り計らい、飲めない人に無理に酒を勧めることもなく、みんなに気を遣う一方で、座の誰にも気を遣わせなかった。だから僕も含めてみんなAさんとの一席を心から楽しんでいた。

そしていつも会計はAさんの奢りだった。

初めのうち、僕はそうして奢ってもらうことにあまり疑問を感じなかった。Aさんは高名なプロフェッショナルで僕らよりは高額な報酬を得ているに違いなかったし、一方、僕ら若手のほうはみんな金が無かった。目上の人が奢ってくれるというときには、ある程度甘えるのも礼儀だという意識もあったし、第一、せっかくの好意を断ってAさんをがっかりさせてはいけないとも思った。

けれどもやがてその大盤振る舞いが尋常ではないと気づいた。連れ歩く人数といい、連れて行く店のランクといい、料理や酒のレベルといい、一度二度ならず、仕事を終えるたびに繰り返すのは常軌を逸している。

Aさんに中学生と小学生の子どもがいると知ってからは、Aさんから奢ってもらうことに罪悪感、そしてそれ以上に違和感を感じるようになった。Aさんに誘われることがだんだん苦痛になってきた。

あるとき仕事の報酬がその場で現金で渡されたことがあった。いつものようにAさん主催の打ち上げがあり、それがお開きになるタイミングで僕はトイレに行った。そのときAさんがレジで会計をしているのを見た。Aさんはさきほどもらったばかりの報酬の入った封筒から札束を全て出し、それとは別にポケットから財布を出してその中からも金を出した。つまり、その席の会計はAさんがその仕事でもらった報酬を上回っていたのだ。

それを見るに及んで僕は 「Aさんは病んでいる」と思うようになった。もはや楽しくご馳走になることなど出来ない。やがて僕はAさんに誘われることが苦痛になってしまい、仕事が終わった後なるべくAさんと顔を合わせないよう、そそくさとホテルへ戻って、部屋の電話が鳴っても居留守をつかった。

いったんネガティブな意識が生じると、Aさんと一緒に仕事をすること自体が億劫になりはじめ、それだけでなく「その道の第一人者」「業界の先輩」としてのAさんに対する敬意さえも萎えてしまった。

さらには、相変わらずAさんの奢りで飲食を繰り返している他の仕事仲間たちと僕との間にも心理的な距離を感じてしまうようになった。

僕はその後、所属していた会社が倒産してその業界を離れた。好きな仕事だったので寂しくはあったけれど、もうAさんと顔を合わせずにすむ、と思うとどこかホッとするところもあった。そんな自分の気持ちがとても空しかった。

 

さて、15年たった今、もし ふたたび僕がAさんのような人に巡り会ったら、僕はどう向き合えばよいのだろう。あの頃より 幾分でも 大人な、あるいは人間的な、あるいはスマートな、接し方や関わり方ができるのだろうか。それとも もっと姑息な、ずるいやり方で、逃げるのだろうか。

 

 

写真・文: きのぴお・ぴーぱーたん

 

 

 

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