キズの処置から現代医療と自然医療の違いをヒモ解くナチュラル医療考 | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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健康と美容とを


“大切に思う”


私たちにとって、大敵となるのが

「活性酸素」

酸素を吸って生きる以上、誰の体内にも

活性酸素は等しく

「存在するもの」

私たちはこの物質に注意を払う必要があるのです。

活性酸素を語る際は、どうしても

 

“悪い面”

 

ばかりが強調されるのですが、

本来それは、体にとって不可欠な物質。

この物質が体内にあることで、菌やウイルスなどの異物を

「攻撃」

し、無害化してくれている。

こうした有難い面だってあるのです。

 

そうなると、問題は何かといえば、

 

“その過剰”

あまりに増え過ぎてしまうと、勢い余って

「正常な細胞」

までをも攻撃をしてしまう。

それにより、ガンやアレルギー、糖尿病などの原因になってしまう。

美容面においては、肌の

“老化”

を促進してしまう。

このことから

「万病のもと!」
「諸悪の根源!」


こんな風にいわれ、忌み嫌われているのです。

活性酸素には

“ジキルとハイド”

こうした二面性が指摘されるのです。




■ゼロインチで!
体内で、活性酸素が過剰になってしまう原因を

ズバリ!いえば、

「反自然」

な生活のあり方。

 

農薬や添加物まみれの食材を食べ続ければ、体内での活性酸素は

“過剰”
 

になっていきます。

日々の運動は健康にとって不可欠なものではありますが、

「やり過ぎも、やらな過ぎも」

どちらも活性酸素を過剰にしてしまいます。

睡眠不足も同じですが、

“イライラ、クヨクヨ、消極的な態度”

こうした精神面でのストレスも、活性酸素を

 

「増やしてしまう」

 

健康で若々しくあり続けるためには、心のあり方を含め、

 

生活環境をなるべく

“自然”

に整える必要がある。

このブログを見ているあなたのことですから、

何かしらの

「対策」

を採られているのではないでしょうか?

でも、

そんな健康と美容に感度の高い私たちであっても、

ちょっとしたことですべての努力を無に
 

“帰してしまう”

こうしたことだって少なくありません。

そのうちの1つが、

「バンソウコウ」

これを安易に

 

“ペッタリ”

 

と貼ってしまう。

 

こうした面があるのです。

バンソウコウのガーゼの部分は

活性酸素の

「カタマリ・・・」

になります。

ガーゼの部分は

“オキシドール”

にたっぷりと浸されている。

 

そのようなモノを傷口に

 

「密着」

 

させてしまうのです。

 

キズにオキシドールが密着すると、当然ながら

 

血液の中へと薬剤が

 

“侵入”

 

していきます。

 

侵入しただけならまだしも、それが血液に乗って、

 

全身を隈なく巡っていく。

 

活性酸素が全身を

 

「駆け巡る」

 

そんな事態を招いてしまうのです。

 

 

■凶暴につき・・・

オキシドールとは、

劇物である

「過酸化水素」

を薄めたもの。
 

血液に侵入したオキシドールは、体内のナトリウム、カリウム、鉄、銅などの

“金属イオン”

 

と結びつくことで、

「ヒドロキシラジカル」

へと変貌していく。

ヒドロキシラジカルは4つあるといわれる活性酸素の中で、

最もキケンで、最も

“凶暴”

そんな風にいわれる物質。

4つの活性酸素の中でも、最も活性が高いことから

生体内の

「タンパク質、脂質、DNA」

などをいとも簡単に酸化させてしまう。

 

ガンや老化、そして様々な

 

“生活習慣病”

 

の原因になると指摘されるのです。

キズ口を消毒する、私たちにとってごく当たり前の対処法には、

こうしたキケン性も併せて


「孕んでいる」

といえるのです。

私たちが野菜をサラダでたくさん食べようとする理由の1つに、
 
活性酸素の

 

“消去”

も狙いの中にあるはずです。

野菜に含まれる酵素の力で、体内のキケン物質を消し去ろうとしている。

ビタミンや繊維の補給もサラダを食べる理由なのでしょうが、

 

活性酸素の消去だって

「大きな理由」

 

のはずなのです。

にも関わらず、キズを負った際には、


あのコワい活性酸素を自らキズ口に

 

「塗り込んでしまう」

こうした不合理を行うことに、

 

“躊躇がない”

これは実におかしなことではないか?と思うのです。





■人体を巡る2つの定義

普段から健康への意識が高いはずの私たち。

 

そのはずの私たちが、どうしてこのような処置に

 

「及んでしまうのか?」

それには、人体についての考え方に理由があると思われます。

現代医療において人体は、

 

不完全で、脆くて

”弱いもの”

このように定義づけられているからです。
 
現代医療は体をスグに破損し、故障しやすいものと考える

 

1つの

 

「体系」

 

といえるでしょう。

 

人体をデキが良くない機械であるかのように考えている。

壊れたら壊れたまま、自分の力で

 

「修復」

 

させるだけの能力が

 

“備っていない” 

だから医者やクスリといった

「医療」

 

の力に頼らざるを得ない。

これは、

“肉体故障説”

“人体故障説”

といわれる考え方になります。

機械のように壊れやすいものだから、外からの補修やメンテナンス作業が

 

「欠かせない」


こうした思想が現代医療のバックボーンにあるのです。

これに対して自然医療において体は、
 

完全で、精緻極まりないもの。

 

それは寸分の

 

“狂いもない”

 

ものと考えるあり方です。

 

すでに完全なのだから、体のことは体に

 

「任せる」

 

人があれや、これやと頭を巡らせるのではなく、

すべての処置を体自身にお任せする。

現代医療と自然医療とでは人体への見方が

 

“真逆”

 

に位置している。

 

このようにいえるのではないかと思うのです。


■再生のために
キズ口を消毒薬を使って

 

“殺菌”

 

しなければ、細菌が繁殖して

 

「化膿してしまう」

 

私たちはこのように思っています。

でも、

 

ほとんどのケースで、化膿には

 

“至らない”

 

自然治癒力の発動により、免疫細胞が

 

活性化し、病原菌を

 

「排除する」

 

私たちの体にはこうしたシステムが備わっているのです。

 

でも、

 

オキシドールなどの薬剤を使って消毒をすると、

 

雑菌と一緒に、免疫細胞までをも

 

“破壊”

 

してしまいます。

 

それにより免疫機能が低下していき、治癒が逆に

 

「長引いてしまう」

 

このような悪循環を招いてしまうのです。

 

キズを受けた箇所は

 

“グジュグジュ”

 

として、一見すると化膿しているようにも見えるものです。

 

でも、

 

このグジュグジュの中にこそ、傷を治すためのさまざまな成分が

 

「含まれている」

 

のです。

 

傷口を再生させるための細胞の

 

“成長因子”
 

が現在分かっているだけでも、

 

「40種類以上」

 

も見つかっているのです。

 

皮膚の細胞分裂を

 

“促進”

 

する物質や細胞と細胞との間を繋ぐ

 

「コラーゲン」

 

の産生を促す物質。

 

破壊産物をキレイに処理するための物質や新たな毛細血管を作り出す物質・・・。

 

こうしたさまざまな再生因子が見つかっているのです。

 

でも、

 

そこに消毒薬などの薬剤を使ってしまうと、成長因子は

 

“変質”

 

してしまう。

 

『キズは絶対消毒するな』の著者である夏井睦医師は、


「ケガややけどをすると出血し、傷口で固まります。すると、浸出液と呼ばれる体液が出てきます。この浸出液には、細胞を増やし元気にする成分が入っている」


と述べ、


「消毒液は、ばい菌のたんぱく質を溶かして殺します。それと同時に、体のたんぱく質も傷つけてしまい、治りが遅くなるのです」

 

と指摘しています。

少々のケガなら、消毒薬などを使うのではなく、傷口をサッと水洗いしておけばよい。

消毒薬を使うと、キズ跡がどうしても

 

“深くなってしまう”

 

何も処置せず、そのままにしておくことで、跡を残さず

 

キレイに

 

「再生する」

 

と夏目医師は指摘するのです。

 

大ケガで出血多量に見舞われるような事態には、

 

医療による応急措置は必要になるのでしょう。

 

でも、そうでないのなら安易な消毒などは

 

“慎む”

 

必要がある。

 

バンソウコウをどうしても使うなら、ガーゼの部分を外してから

 

「使う」

これは最低限必要な措置ではないかと思うのです。

 

 

 

■完全か?不完全か?
これは農法においても同じです。

有機農法も一般の化学栽培も、土は単に、

根っこを支える
 

「土台」

 

に過ぎない。

 

このようにしか考えられていません。

土に作物を育てるだけの力はないので、人が有機や化学の

 

“肥料”

 

を与えなくてはならない。

こう考える農法のあり方といえるのです。

一方、肥料も農薬も一切使わない自然栽培は、

土は完全栄養で、土そのものが養分の

 

「カタマリ」

と考えるあり方です。

 

完全なのだから、人は余計な手出しを

 

“一切しない”

新たに異物を投入せず、過去に使った異物を土から

 

「排除する」

 

こうして土の力を最大限に引き出すための工夫を、自然界の法則に習って

 

“実行する”

それが肥料も農薬も使わない自然栽培というわけです。

私たちの生命は完全なのか?それとも不完全なものなのか?

現代医療が言うように、

 

「脆くて弱い」

 

ものなのか?

もし完全であるなら、その力を阻害し、妨げるものは何であるか?

どのような条件を整えれば、完全ある力を最大化できるのか。

 

私たちはこの点を突き詰めていく必要があるのです。

命は何でも知っている。

生命は生きるのに必要なすべてを熟知し、

 

「備えている」

問題はその力の発動を自ら低めてしまうのか?それともどこまでも高めていこうとするのか?

その選択ではないかと思う次第です。

今回は、「傷の処置」について考えてみました。


 

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