古代中国の伝説として、三皇五帝と1セットに述べられるが、
三皇と五帝には明確な区別があり、三皇は姿形や行いから神であるのに対し、
五帝は伝説の域ではあるものの、人間としての描かれ方である。
五帝からの記載となっている。
五帝 ~神から天子へ~
五帝というものの、書物によって、誰を五帝に選ぶかは、
諸説あるが、ここでは、知名度やエピソードから五人を選んでいる。
古代中国では、天に意志があり、国を治める君主のことを天子と言い、
後に皇帝という称号が定着するまでは、天子がよく使われていた。
〇黄帝(ホァンディ、こうてい):
三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝。
後の四人の帝やその後の夏、殷、周の王朝の祖先とされることから、
炎黄子孫(エンホァンズゥスン)と呼ぶ表現もある。
医者であり、現存する中国最古の医学書は、
ちなみに、栄養ドリンクの「ユンケル」の「ユンケル黄帝液」の
黄帝の由来となっている。また「ユンケルファンティ」の
「ファンティ」は、黄帝の中国語発音(ファンディ)が由来となっている。
天と地を祭る封禅という祭祀を行ったとされる。
この封禅は、秦の始皇帝など、後の時代の
中華皇帝が行う儀式のひとつとなる。
〇顓頊(ジュェンシュウ、せんぎょく):
黄帝の孫とされ、後を継いで、帝位についた。
鬼神を信奉しており、物忌みして祭祀を執り行った帝として記される。
顓頊は、人々が神と関わる事を厭い、
重(ちょう)という神に命令して天を上に押し上げ、
黎(れい)という神に命じて地面を下げさせ、
天と地を現在あるような遠く離れたものにし、
神と人との別を設けさせたという。
〇堯(ギョウ):
『史記』では、「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」とされ、
儒教では最も理想的な天子とされている。
羲氏の羲仲と羲叔、和氏の和仲と和叔に命じ、
天文を観察して暦を作らせ、
一年を366日とし、3年に1度閏月をおいた。
堯は、息子がいたが、臣下から次の帝を推挙させたところ、
皆が舜を推挙したため、自分の2人の娘を舜に嫁がせ、
官吏を3年間勤めさせたところ、功績が優れていたため、
舜に天子の座を譲った。
このように、天子の座を譲ることを禅譲といい、
後の時代で皇帝の座を譲ることに使われるようになる。
〇舜(シュン):
堯と並んで、儒教では理想的な君主とされ、
合わせて、堯舜(ギョウシュン)、
その治世を堯舜の治、または堯舜時代という。
堯から禅譲された舜は、善政を行い、
さらに、洪水を治めるために、禹を登用し、
治水工事を行い成果を上げたとされる。
39年間在位し、舜は禹に禅譲した。
〇禹(ユゥ、ウ):
古代中国の歴史は、殷から始まるとされているが、
伝説によると殷の前に夏がある。
禹は、治水工事で成果を上げたため、
治水工事の神と崇められることも多い。
古代中国において、大きな河川を有するがために、
治水ができることが為政者に求められた
ことがうかがえるエピソードである。
禹が、河川を図る時に用いたものとされる。
禹は、即位後、各種の税を免除し、様々な下線を整備し、
農業政策を進める一方、自らは倹約し、
宮殿の増築は先送りしたという。
禹の死後、子の啓が帝位に就き、