おさかなご飯。~高校生イタリアに留学わず~

イタリアに留学していた高校生「おさかなご飯。」です!留学に興味のある人やイタリア語を学びたい人のために…(*'ω'*)

【人生最大級濃い半年】イタリアへの年間(半年)留学を終えて【留学のまとめ】

こんにちは、ななです。

前回の記事ごらんいただけましたでしょうか?

nana-misarin.hatenablog.com

あの後無事日本に帰国できました。

残念なことにこれからイタリアだけでなく様々な国の留学プログラムが終了してしまうとのことで、とても悲しいです。。

 

まぁ、今日はコロナウイルスであーだこーだいうというよりは、半年間だけになってしまったけれど、留学で考えたこと、変わったな自分と思ったこと、留学で学べたこと、、など留学生活のまとめを話したいと思います。

まとめ

先にまとめを書いておきます。

・何事も最初は大変ということを身をもって実感した、うまくいかない自分を認められたことで、他人のミスや完璧じゃないことに対しても寛容になれた。

・沢山の人と出会えた、一つ一つの思い出が何かしらの考えに生きていると思う。

・言語が話せる楽しさを知れた。辛い時の対処法。

・泣けるほどの経験がいくつもある。

・日本、日常への価値観が全く変わった。無意識の偏見について。

ではさっそく、、最初に留学前に何を考えていたか、書きたいと思います。

留学を決めた理由

留学を決めた決意は本当に「やんわりとした海外への憧れ」でした。派遣先を選ぶ際も、

・英語以外の現地語を学びたい

・デザイン、アート系の学校に行ってみたい

・ヨーロッパへの憧れ

 

これくらいの動機でした。一番こだわっていたのが「英語以外」。母には英語圏を強く勧められましたが、第三言語への憧れが強かったですね。あとから留学仲間と「どうしてイタリアを選んだの?」という話を何回もしましたが、たいていの人が「どうしてもイタリアがよかったんだ!!イタリアに来たかった!!」という人ばかりで、気後れしていたのを覚えています。

留学中

1か月目

留学中、これもいろんな人の話を聞いたのですが、最初の1か月はとにかく慣れるのに忙しい。それで2~3ヶ月の間に何かしらの問題が起こる。それを乗り越えてようやく留学として何かつかめた。そんな感じです。

時差ボケと日本人特有の言語の壁

私の経験話をすると、最初の一週間は時差ボケがひどく常に眠っていました。他の留学生は比較的ヨーロッパ付近だったり、半数がスペイン語圏からの留学生、または学校で習っていたということでイタリア語が最初から使えたり、英語圏で周りの言っていることが理解できる。。そんな中私は生半可の英語で何とかみんなに後れを取らないよう必死でした。運よくホストシスターが英語をとても上手に話せたので、(それが留学一番の壁となることをまだ知らない)英語でなんとかコミュニケーションがとれて楽しかったです。

友達の経験話も書いておきます。私の利用した留学団体は国は選べてもホストファミリーは留学団体が決めていたので、必ずしもホストファミリー全員が英語を話せるというわけではありません。その友達のホストは誰一人英語がわからなかったそうで、最初はグーグル翻訳を使ったりしてコミュニケーションをとっていたそうです。

留学始まって最初の学校生活

イタリア他ほとんどの国では9月から新学期が始まる(日本で言う4月)ので、ついた当時は夏休みでした。留学1か月が過ぎようとしたごろに学校が始まりました。

学校のみんなは英語がちょっとだけ話せるし、とてもとてもいい人ばかりでした。最初は留学生に対してどう思っているのかとても心配だったのですが、最初から本当のクラスメイトのように留学生関係なく輪にいれてくれました。ただ、イタリア語が全く分からなかった私は英語で会話をしていたのでうまくお互いの言いたいことが言えず友達はいたけれど。。みたいな状況でした。

留学前のイタリア語・英語の勉強について

私は夏休み後も学校に数日行くことを決めて(というか留学前日まで行った)、夏休みの宿題をすべて終わらせる必要がありました。ってのは完璧な言い訳なのですが、イタリア派遣の人は「ロゼッタストーン」というオンライン講習を何時間か終わらせる必要がありました。が、一個前にイタリアに行っていた先輩より、ロゼッタストーンは初期の言語学習には効率が悪いという意見があったので、つけっぱなしにしてイタリア語の本で学んでいました。あと、ECCオンラインを週2くらいでやっていました。

実際現地に行ってみないと言語は身につかない。。現地に行ったら嫌でもきっと勝手に学べるだろうと思っていた私は、まぁイタリア語の勉強は一応していたのですが、右から左に流していただけでした。

今からその時の私に言えることがあるならこう言いたいです。「日常で使う言葉、それだけでも言えるようにしておいて。」

挨拶(おはよう、こんばんは)、want,eat,sleep、私の名前は…、数字。これだけあれば最初の一か月は乗り切れます。確かに使ってない言語をすぐに覚えるのはすごく大変なのですが、語彙力はやはり行ってからのほうが伸びは早いと思いますが、やる気がある子は日本にいた時点である程度本当に話せていて、留学中、差がとても大きくて留学前の自分が情けないと思いました。

留学前の準備

あと個人的に用意しておきたいのは、日本についての知識。自分の住んだ町は日本人が誰もいませんでした。ということは私が「日本代表」の看板を背負って生きていたのです。私の言動全てで、「日本人はこういう人なのか?」とイメージもついていたことでしょう。またイタリア人は本当に日本に興味がある人が多いです。アニメや柔道などの文化はもちろん、日本の人口や気候、家の周りに何があった、部屋はどんな感じだったか、友達は?放課後、制服。。いろんなことを質問されます。写真があるととても説明しやすかったです。

2、3ヶ月目

問題が出てくる

 二か月目は留学生活にも慣れてき始めいろんな人と交流をし始めます。私は3ヶ月の終わりごろまで外でも中でも英語を使っていました。留学団体が主催のイタリア語のレッスンに週3回行っていたので、同じ町に住んでいる留学生一緒にうけ仲良くなりました。そのころから英語を使うことに違和感をなくし、イタリア語を勉強するのがおっくうになってました。留学中にしかできないこと。。を探していました。ブログもその時期に始めました。イタリア語が話せないことに焦りを覚えて連日日本の同じイタリアに来ている留学生の友達に電話をかけていました。何をすればいいのか迷い、暇を持て余して、ゲームをやったり電話をしたり現実から毎日逃げていました。ホストマザーだけ英語が話せなかったのでイタリア語で話していましたが、私が全くイタリア語を話せないので会話が続くわけもなく、ただただ気まずく、ホストはとても素敵でしたが、自分はこの状況、自分、全体的にもがいても沈んでいくようななんとなく辛い日々が続きました。

 友達の話だと、友達は学校に行っても中々友達ができなくて毎日悩んでいたり、むしろクラスメイトを避けてしまったり、やはり日本が恋しくて毎日泣いていた人も。。

初めて気づけた問題点

そして、留学2か月目の終わりごろに州ごとに集まって留学生のキャンプが行われました、そこで日本人と久しぶりに会って現状報告をしたり、今の自分の問題点を見つけたり、、、「あと何週かぁ、、」のとらえ方がすでに違うことに衝撃を覚えました。「あとxx週しかない。少ない、もう何週もたってしまった。」みんなそのように言っていたのが印象的。自分は低次元の泥沼を這っていて、なんとなく虚ろに現実逃避を繰り返している中、仲間はこんなにも高次元の経験と努力をしているのか、と気づかされました。その時までに自分が留学をして変わったなとは特に思いませんでした。なので個人的には留学は3ヶ月以上から勝負だと、言えますね。

さらに気づいてはいたけれど、支部のボランティアや家族からもうっすらと自分の言語力について「努力が足りない」とのお言葉をもらいました。そして一番私の中で私は言語をやらなければ、という気持ちにさせてくれたのが、彼です。

nana-misarin.hatenablog.com

この時にお話しした、友達のホストファザーからの「ななはイタリア語を話さない。」という話で、そもそも言語だけが留学ではないなんて言っていたけれど、留学を楽しむためには現地語を理解して話せなければただ、辛い時期が続くだけなんだ、そうようやく気づけました。

また、他の日本人と比較する時期と重なり、みんなは頑張っているんだと思い自分も頑張ろうと思えました。

問題は人それぞれ(友達の悩みを紹介)

なんて低次元の問題なんだと思うでしょうが、人によって問題は違ったと思います、運よく私は私にぴったりなホストファミリーだったし、学校もマッチしていたのでそこに問題は感じませんでしたが、


人によっては人間関係だったり、他に色々と問題がでてくるのがこの時期です。その問題に気づき、乗り越えたころちょうど楽しい時期がやってきます。

4,5か月目

 言語が話せる、わかる!

周りからおくれて3ヶ月。今更ながら言語を真面目に勉強しようと決意した私は毎日必死に勉強をしました。最初はものすごく勉強したのに何一つわからず効率が悪くイライラしてばかりでした。でも最初はどの物事もそうなるのです。「勉強の二次曲線」というものを私は知っていたので、そこはめげずに頑張りました。

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https://diamond.jp/articles/-/56167より

停滞状態(=それほど成績が上がらない時期)が続き、ある時期を経てから、急激に上昇するカーブである「勉強の2次曲線(=2次曲線のように、急に成績がよくなる時期)」を描きます

 つまり、成績がよくなる前には、ほぼ必ずと言っていいほど、「勉強をしているのに、なかなか結果が出ない時期」があるのです。

 この「勉強の2次曲線」を、あらかじめ知っておけば、それほど焦ることもないでしょう。

 たとえば、「語学学校」に通う人の中には、「最初の2〜3ヵ月は、ほとんど上達を感じない」という人が多いそうです。
「結果は後から、しり上がりに出る」ことを、あらかじめわかっている人は、上達を感じられなくても、勉強を継続することができます。「続けること」の大切さがわかっているからです。

 でも、そうでない人は、この時期にあきらめて、やめてしまいます。「いつまでも停滞が続くかもしれない…」「勉強するだけ無駄なのかもしれない…」と思い込んでしまうからです。

「勉強しても結果が出ない時期」を乗り越える「勉強の2次曲線」を理解! | 本物の勉強法 | ダイヤモンド・オンライン

 

 これは本当です。最初は頑張ってすべてをやっても効率がわるいのです。これは新生活にも言えました。最初はすべてに全力をかけなければどこがポイントかわからなかったので、毎日へとへとでした。

留学にきて、あらためて何事も最初は1番成果が見えずに大変だということをきちんと心にとめておこうと思いました。

nana-misarin.hatenablog.com

 

 自分を認めることで相手に寛容になれた

これは本当に何か新しい環境やことを始めるときに思い出そうと思いました。また、今までは、他人が新しい状況で一つのことをやるのにすごく手間取っていることにイライラしていましたが(例えるならドラマでよくある新入社員がお茶を入れたりコピーをするのだけでもうまくいかず怒られているシーンをみて、こんな簡単なこともできないの?と思っていた)、やはり最初はできる人でも力がでない時期があるんです。そんな自分をようやく認め、他人に寛容になれたような気がしました。

一番の思い出

言語が話せると今まで一番会話が続かなかったホストマザーと過ごす時間が増え一番近い存在となりました。これは留学終わりまでずっと続きました。最後に手紙をもらい、その中に、「私(ホストマザー)は英語が話せない。ななはイタリア語が話せない。こんな不可能な状況で、なながイタリア語を学びたくさん会話できるようになって、本当にたくさんお話して、たくさんの思い出が作れたのが本当にうれしかった。」と書いてありました。 。。。今打ってるこの瞬間でも涙があふれてとまりません。それほど私は努力して話せるようになり、本当にうれしかったんです。、あと、こんな泣かせるようなこと書いてくれて、本当に嬉しい。。これが一番の思い出です。お母さんとイタリア語でたくさんお話しできたこと。一番大変だった。でも留学最初と最後じゃ全然距離が違って。。最初は自分から避けてしまったのが、本当に申し訳なかった。でも今はとっても仲が良くて嬉しい。。ちょっとしか生きてないけど、人生で一番の壁だったかもしれない。一番悩んで苦しんだけど、本当にうれしかったなぁ。

日本人が誰もいない日常、いろんな子と遊べた

もちろん町には誰も日本人がいないので、母国語を使う機会はなく、友達はほとんどイタリア人か、他の留学生でした。留学団体を使って本当に良かったと思っている理由の一つに、「ほかの国から来た派遣生とも友達になれる」ということ。

同じ支部の留学生とは何かあるたびにみんなで集まって遊んだ。公園に行ってみたり、アイスクリーム屋さんに行ってみたり、夕飯を一緒に食べたり、お互い母国語は違うけれど、本当に優しくて面白くて頼りになる仲間でした。他にもキャンプとかでいろんな留学生と友達になれました。特にアジア系の子とは話も合うしずっとキャンプ中は一緒にいました。もちろん日本人とも仲良くなれましたよ!

日本のありがたみを知れた

日本にいたときはこの生活しか知らなかったので日本のありがたみを何一つ実感できていなかったということが、日本を離れて思いました。私は留学前よりもはるかに日本のことが大好きです!!早くいろんなところに行ってみたいし、日本の友達にも会いたい!!!日本みたいにトイレが綺麗で、食が豊かで安全な国は中々ありません。日本最高!

世界が緩いわけじゃない、賢く生きている。日本は世間体ばかりでイライラする。

その分日本のあんまり好きじゃないところも知りました。他の国は緩すぎる、イタリアも緩いし、ハグやキスが日常だし、違和感しか感じていませんでした。が、思えば、日本も少し厳しすぎる、それに気づいていない、気づいていてもそれが日本の縛りということをわかっていない人が多いと思いました。特にコロナウイルスの話が上がり始めたころから、一人感染したら、その人の感染経路、今までの行動、外国への批判、「これだから若者は、老害は」。メディアの情報にいちいち踊らされ、怒って過剰な反応を見せるネット。。これを「逆に洗脳されるほどの硬さに縛られている」と思った時、今までの自分の反応を振り返り、ぞぞっとしました。誰かが少しミスをしたら、みんなで強くバッシングをする。人のあら捜しをする、完璧な行動をする。。。これは今でも難しいことなのですが、、確かに緩すぎるのは私も好きではありません。でも、硬さや表面の完璧さに惑わされ事実が見えてない発言、思考をすることが多いとわかったのです。

これは個人の感覚なので、実際日本を出てみないとわからないと思います。海外は緩くてイライラする。それは私もすごくわかる。でも逆に日本は馬鹿みたいに硬くてイライラする。そういうことです。例えば、いじめもねっちりしているし、その割には動くべき人も世間体を保つために動かない。何か問題が起きたときの対処法が馬鹿げているときがある。。。なんていうんだろう。そういうこと。世界は緩いところとしっかりするところで緩急をつけてうまく生きている。日本はなんか不器用。

無意識の色眼鏡

あと、国で差別するのもあんまりよくないなと思う。こんな話のあとだけど。日本は~イタリアは~、確かに国民性はあるけれど、国のイメージがそれぞれにあるけれど、私も含めみんな意識せず、色眼鏡で見ていることを自覚すべきだと思う。一つの情報だけで、決めつけるのはもったいないし、おかしい。

6か月目

学校が休みになってしまった。最後の方に学校で私が大泣きする大事件があった。

 私が理解できることとできないことがあるから、わかってもらいたいという気持ちがみんなに伝わり最後は毎日が充実していた。自分のできることは率先して行えたし、たくんさんプレゼンテーションができた。クラスメイトともイタリア語で話して、質問もたくさんできた。

学校が休みになってからはコロナウイルスの話題がほとんどすべてだった。徐々にアジア人差別の話も聞こえ、あっという間にイタリアにコロナが広がり全部がレットゾーンになった次の日、突然週末に帰国になるという知らせを聞かされた。

あとは、もう。できる限りのことを2,3日でして帰国って感じ。

 

まとめは最初にかきました。

・何事も最初は大変ということを身をもって実感した、うまくいかない自分を認められたことで、他人のミスや完璧じゃないことに対しても寛容になれた。

・沢山の人と出会えた、一つ一つの思い出が何かしらの考えに生きていると思う。

・言語が話せる楽しさを知れた。辛い時の対処法。

・泣けるほどの経験がいくつもある。

・日本、日常への価値観が全く変わった。無意識の偏見について。

 

人生最大級の濃い半年でした。今までで一番いろんなことが学べました。確かに言語だけでなく本当にいろんなことがわかりましたが、やっぱり言語が学べたのは本当によかったです。こんな私でも最後には日常をイタリア語で過ごすことができるほど成長できました。本当にかかわってくださった皆さん全員に感謝をしています。特にホストファミリーとイタリア派遣のみんな。家族。ありがとうございました。。。というかこれからも沢山思い出を作っていきましょう!よろしくお願いします!