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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

トビ。君の心に寄り添ってあげたい

アメリカで、LGBTQ (lesbian, gay, bisexual, transgender, and queer) は日本より受け入れられているのだろうか。

日本人の方が寛容な感じに見受けられる。

アメリカではLGBTQ の青少年や大学生に自殺が多い。家からの追放も家出も多い。

特に道徳的で宗教を実践している保守的な家庭に多い。

リベラルで自由な家風のところの若者には見られない。

よくよく教育されている家庭の若者が危険なのだ。

「このように生きるべき」と教えられた若者が苦しみやすい。

その苦しみと、家族からの拒絶と不理解が彼らを崖っぷちに追いやるのだ。

 

わたしは息子が自殺でもしたら永遠に自分を赦すことができないだろう。

なぜ息子がゲイなのかその原因は知らない。いろいろ説はある。医学界では、遺伝子の異常とかホルモンが足らないとか、環境にある化学性物質の影響とか、脳に何かの化学物質が足らないとかいう理由が説として上がっている。

 でもそんなことはどうでもいい。

原因はどうでもいいのだ。

なぜなら解決策が今の所ないのだから。

 

子供がカミングアウトして親が最も心配することは、

「我が子が社会で受け入れられるようになるのであろうか」だ。

誰でも我が子に辛い人生を歩んでほしくはないものだ。

 

いじめや迫害に耐えられる強い精神の持ち主でないと難しい。

でもそういう精神が強固なタイプは一般的にLGBTQ にいない。

実際、アメリカでLGBTQ の青少年が襲われたり殺されたりするケースも出ている。

彼らは何もしていない。ただアイデンテテが異なるだけなのだ。

そういうニュースを目にした時には自分の子供とイメージが重なって恐怖で震え上がったものだ。

幸いにして彼らを保護する法律も制定されたが、個人的に虐め迫害する人が後をたったわけではない。それを親は心配しているのだ。だからできることなら普通になってもらいたいと望んでいる。そして自分の子供はいつか正常に戻るだろうと期待している親が多い。

 

ここの学区では、同性愛の青少年を持つ親と異性愛の青少年を持つ親がトイレやシャワーの件で衝突している。性別を変えた(手術をしたかしないかにかかわらず)生徒はどのトイレやシャワーを使うか、というようなことだ。今のところ折り合いがつかず学校側が勝手に決定したらしく、再度、両者の親が乗り込んできている。それはそれぞれ自分の子供を守るためである。だが100%両者を満足させることは難しい。私は両者の気持ちがわかる。でもこんな風に社会で「問題を起こすグループ」として見られていくのが彼らの将来なのだ。

それは親にとっても本人たちにとっても辛い。

 

私は息子が女装をしていたので、女性になりたいのか?と聞いたことがある。

トビアスは「違う」と答えた。

「でも女性の服が着たいんだからそういうことでしょ」と私は突っ込んだ。

「女性になりたいなら、女性らしく行動したらどう。例えば部屋を綺麗にするとか。できる?できないでしょ。女性は一度にいろいろなことができるんだよ。男性は一つのことしかできない。だからトビはどこから見ても男性だよ。」

息子は「そういうことじゃない」と引かなかった。

「じゃあなんなの?」

「ぼくは男性だけど、女性を好きになれないんだ。でもママをがっかりさせると悪いから女性を好きになるように努力したけどダメだった。僕は自分を変えられない。」

その時息子の目が真っ赤になり涙が溢れ出てきた。

私は、ハッとした。

息子の苦しみをわかってあげれなかった。私は理解のない親だ。

親はともすると、外見や行動だけで子供を一方的に判断しやすい。そして自分の常識とそれで凝り固まった考えを押し付ける。

本当に一番大切なことは、それではなくて子供の心を読んであげることなんだ。

その心に寄り添うことなんだ。

 

一人で苦しんでいたんだよね。それを見る目と理解する心を持っていなかったのは自分である。言葉や行動の陰には壊れやすい心が潜んでいるのだ。

それを見過ごしていた。

 

これから差別を受けたりしながら人生を歩んでいくのは本人なんだ。もし親が味方になってあげなかったら誰がなるのか。

 

私の周りにも子供がLGBTQである親がいる。皆黙って何か恥さらしのように捉えていて誰も口を割ることはない。おそらく知り合いの中では我が家だけが例外のはずだ。

私も夫も息子がゲイであることを恥じてはいない。堂々と人に伝えている。息子はゲイかもしれないが、それは彼の特質の中の本の一部分であり、残りは他の人と同じなのだ。息子には素晴らしいものがたくさんあるのだ。たまたまゲイというだけだ。

私はゲイの息子を持ってみて、自分が条件付きの愛情しかない最低の親であると気がついた。それなら親の愛とはなんなのだろうか?

考えされらることばかりだ。

 

きっと神様なら、ゲイだろうがなんだろうか分け隔てなく受け入れ愛を示してあげるのだろうと思う。そういう無条件の愛なのだと思う。そして地上でそれを最初にしてあげられるのは親ではないだろうか。それを求められているように感じている。

 

息子のこの件を通してたくさんのことを学ばせてもらった。

それでもわたしの心配は一生消えない。

毎日毎時間我が子の現実を受け入れ、ゲイでとても喜んでいるかなどと聞かれ

「もちろん」というような回答を下すこともできない。

 

ただ自分ができることは、

世の中がどんなに息子に冷たくしようとも彼の心に寄り添って味方でいてあげることだ。一緒に泣いてあげることだ。

 

それだけがママがしてあげれることだよ。