21歳の娘の遅い反抗期とだらしなさに対して真剣に対応することにした。
難しい歳
大人として認めて欲しいなら大人として行動するのが当然。
それなのに大人としての特権、つまり自由と決断権は要求するが、子供としての特権、つまり「甘え」と「甲斐甲斐しく面倒を見てもらうこと」も当然だと思っている。
これは思春期から20代前半の子供によくある傾向だ。
娘もこれに然りで、3人の息子も全員この兆候がかなりあった。
けれどもこんな子供に都合のいい生き方はない。
ただ、家にいる間は何歳になっても親の監視下にあり眼に余る態度とわがままは許されるべきではないと思うのだ。それは社会でも同じである(何歳になっても国の法律は守らないといけない)。家庭は小さな社会であり最低限の秩序がないとカオス(Chaos) につながり精神衛生上良くない。
確かに子供の時は未熟さからある程度は仕方がないというのもある。でもそれが大人になっても続くことは果たして親子両者にとって何か利点でもあるのだろうか。
我が家は、
協力体制ゼロの息子の場合は全員、結局家を出て行ってもらうことにした。この方法でしか男の子は学べない。そしてこの方法でしか親に感謝をすることもないし、自分の非を認めることもない。つまりいつまでたっても大人になれないのだ(と、その道を歩んだ男性先輩も皆この意見に同意している)。
娘には現在の社会情勢と経済的な理由により、地下に引っ越ししてもらうことにした。地下にはバスルームも台所も備えられており二世帯住宅化している。だから下にいるが別生活にはなる。結果的に、本人は自分の勝手気ままに生きることができ親はそれが目に入らないので精神的に楽になる。
とは言っても別生活でもだらしなく汚くされると困る(家の劣化が進み後に修復代がかかさみ、本人も不健康になり結局親に医療費の負担というお釣りが回ってくるから)。
果たしてできるのだろうか?
過去の本人の生活態度を考慮するならとても地下を綺麗に保つことなどできそうもない。地下の各部屋には窓が備え付けられているがやはり地下であることには変わりない。汚くしていると虫や蜘蛛やネズミだけでなく、コウモリだってやってくる。カビだって生える。
大変危険な場所(牢屋と同じ)なのだ。
娘に限ってはどうあがいても無理としか思えない。つまり信頼していないのだ。
誓約書
それで誓約書を作成しサインさせた。
そこには下記のように約束させた。
「私は地下を清潔に保ちます。ゴミは毎日処分し寝る前に食べ物が外に出ていないように気をつけます。一種間に一回のクリーンネスチェックを承諾します。洗濯も毎週自分でします。家賃は自動車の支払いが終えるまで光熱費込みで1ヶ月$100(約1万円)払います。自動車の支払いが終わり次第$300(約3万円)払います。朝は早起き夜は早寝で自分の健康管理にも責任を持ちます。これらのことを怠った場合は1週間の執行猶予が与えられ、それでも改善しない場合は2週間以内に家を出ることを約束します。」
加えて、娘に「ママ」と呼ぶのをやめさせた。
代わりに「〜さん」にしてもらった。当然、私も娘に対して「さん」呼びに徹する。この際冷たい表情ではなく優しい笑顔に徹する。この娘との間の名前の呼び方は、子供が親離れと親の子離れプロセスを加速するためであった。
私はこれからは母親ではなく大家さん。
(娘は日本語が堪能なので「さん」付け呼称で問題がないが日本語ができないお子さんの場合は「ミセズ」などで呼ばせたら良いと思う。)
言葉は両者とも常に敬語に徹し親子間の甘えを消すことにした。
親子関係というのは境界線が全く引かれてないことが多く、互いのバウンドリーに無許可で侵入することによって問題を起こしやすい。だからこんなダラダラとした極めて感情的でバウンドリーのない親子関係は止めるしかない。そのためには言葉遣いから変える必要がある。
この後、娘は言われなくとも現在の自分の寝室を片付け始めていた。生活態度の改善も見られるようになってきた。日夜がひっくり返ることもなくなってきた。
最初はこんな事務的で突き放すようなことをされ、冷たい親と言われるかと思った。
嫌がられるかと思った。
ところが
何を期待されているかそれを淡々と提示されることによって本人も安心したようだ。
しかし誓約を破った場合は家を出ていかないといけない。誓約は誓約であり、罰則は罰則だ。例外を作らない。このようにしないと学習にならないからだ。
成長を望むなら
全面的に大人として認めて欲しいなら、本人が全ての面で大人として行動しないといけない。
でも親の方もそれを当然のように期待しないといけない。
「僕はもう子供じゃあない!(たかが13歳で?)」なんて言われたら、当然それなりの行動を期待しよう。
これで一生懸命やってくれればしめたもの。
やらなければ結果が待っている。それだけのことで誰も怒る人も叫ぶ人もいない。
これからは娘の部屋について何も言わなくともいい。週一のチェックアップの時に厳しい判決を下すだけでいいのだ。
合格か不合格。
それだけ。
簡単だしイライラしなくて済むからこれで行こう!
大人に脱皮しようとしている子供は日によって子供帰りしたり日によって大人ぶったりと、つかみどころがなく親にとってはやりづらいもの。
だから期待していること(Expectation)をはっきりさせ、それに伴う結果もはっきりさせるべき。それによって子供も宙ぶらりん状態から抜け出せる。
期待にそぐわなければ、結果が待っており罰の執行がある。それだけのこと。
本人がその結果と罰を飲んだなら絶対に執行しないといけない。約束を守らない親は甘く見られ、原因と結果の法則を理解できない人になりやすいからだ。
ちなみに我が家の息子たちは誓約書を無視するヤカラばかりで、その結果誓約書通り家を出てもらった。
小言をごねても効き目がない。
我が子に成長して欲しいなら「アメとムチ」を実践するしかない。
でも年齢が行くにしたがって、この「ムチ」が痛くなる。
母にとっても子供にとっても。
でもそれでいいのだ。
それが子育てというものだ。
ドクダミママ至言
お子さんのことで頭を抱えている場合は、誓約書を作るといい。
それは親と子供の間の正式な約束事になる。
そしてそれをよく見えるところに貼っておくべし。
子供が小さくともこれはできる。
字が書けない子供は絵でもいい。
約束は忘れてしまうこともあるので意図的に思い出すようにこれをする。
忘れているようなら、この誓約書の前に連れてきて指で指すだけでいい。
これなら切れることもない。
約束を破ったらそれは法律違反なのだから当然罰則が待っている。
そしてその罰則はなるべく本人が決めた罰則の方がいい。
罰則(家を出て行く罰則は一番最後で17歳以降)もその誓約書に入れること。
初めの頃は、忘れてしまうこともあるし、親を舐めてかかり意図的に約束に従わない子供も多い。
その時は哀れみなどかけなくともいい。
哀れみをかければ、子供は経験から学習することなく約束事を守らない大人になってしまう。
行動には結果が伴うということを教えないといけないのだ。
それは変えられない原則が世の中には存在するからだ。
「誰もが何でも自由に選ぶ権利があるが、
残念なことに、自由に結果を選ぶ権利はない。」
これを理解させないといけない。
もし、あなたが心の平和を望んでおり、子供に責任感のある人間になって欲しければ、甘やかしてはダメ。
約束事は守らせる。
親も守る。
例外は作らせない。
もっともあなたのお子さんが物分かりのいい素直なお子さんなら、こんな誓約書はいらない。優しく語りかけお願いするだけで充分だ。
でもニッチもサッチも行かないような頑固な子供の場合はこれしか残っていない気がする。