我が家は備蓄に余念がない。
巷では片付けやミニマリズムが人気でも、今後もこれが継続する確率はどうかと思う。
備えあれば憂いなし。
実際、ミニマリズムはすでに人気が下火。
社会は選挙後の混乱状態にありでそれどころではない。
今年は例年にないほどの投票率で市民の政治に対する興味が急増した。
さらにこの社会情勢のため選挙後の革命暴動が予知されているし、すでに起こっている。
そのためさらに備蓄を心がけ、自己防衛のために武器を買い求める人がかなり増えた。
そして子供たちにもレッスンを取らせこの”もしも”の時のために準備をさせている。
自己防衛
我が家の子供達も皆ピストルが操れる。
その中でたった一人、娘だけがアリゾナに行く寸前に射撃資格を取った。
一日中かかる試験にはペーパー試験と実地試験がある。合格すれば晴れて銃を所持し監視抜きで扱える資格を得たことになる。
自分のことは自分で守るという姿勢はいかにもアメリカらしい。
でも日本人の母にははっきり言って自分の娘が銃を使えるということが気に食わなかった。
夫は、犯罪の国で生きていくためにはそんな甘っちょろいことは言っていられないのだ、と妻の反対など無視して自分の子供たちをトレーニングしたのだ。
ついでに君も習ったらどう?などと言われたことがある。
もちろん断った。
断りの理由はこれ。
「あなたね、わたしが銃を扱える人間になったらどんなことが起こるか想像できる?
あなたや子供たちに対してものすごく怒ったりして拳銃を扱えるならどうなると思う?それに落ち込んでいるときに自分に引き金を引くことだってあり得るのよ。」
そんな返事が返ってくるとは思っていなかった夫は、怖くなってそこで勧めるのをやめた。
ちょっと前まで夫は布団の隣にその拳銃を置いて寝ていた。
夜中に誰かが家に侵入してきたときの為だそうだ。
(こんなど田舎に誰が来るってわけ???)
それを見て本物のピストルなど見たことのない私は恐怖で震え上がった。
それは凶器で人殺しに使うもの。
平和な国から来たわたしには見るに耐えられない代物なのだ。
ずっと我慢していたけど、
どんなに武器が嫌かを説明し、こんなに生き方の姿勢の異なる人間が一緒に暮らしていくことはできないと自分の本心を明かした。
夫は離婚されることを恐れてそれからはピストルをどこかに隠した。
今、家のどこかにあることは知っているけどどこにあるのかはわからない。
置いてあること自体が嫌だが、見えなければまだましというもの。
そんな感じだったが
問題も多い年となってこの武器を持つことにも意味があるように思うようになってきた。
誰かに守ってもらおうなんて甘い考えだったのだ。
アメリカ的といえばそうかもしれない。
けれどもこの多文化多民族多人種の国で誰を信用できるというのか。
自由とは血を流さずに得られるものでないという概念は建国からずっとこの国に根付いており、わたしもいつの間にか洗脳されてしまったようだ。
娘の自立準備
社会はいつどうなるかわからない。そんなことがあったときに様々なサービスに頼らずに自力で生きていける技術や知識は大切であると思う。
それで
娘は同世代の男性がビデオゲームに夢中になっている間、学業と並行して自立及び自給自足の技術を身につけた。
具体的には
この拳銃の扱い(機関銃も扱える)。
自動車の基本的修理。
家屋の建築および土木建築。
料理と栄養学。
食糧貯蔵法(瓶詰めを含む)。
金銭管理、投資、経済。
薪割り。
芝刈り。
家庭菜園。
山草の見分け方。
発酵食品の作り方。
その他もろもろ。
できないのは洋裁。でもつくろい物はできる。
おそらく習おうと思えば娘は洋裁も編み物もできるようになるはずだ。
苦手は数学だけ(母親の血筋😅)
それはいいこと。
でもこんな女性と誰が結婚してくれるのか??
ふと不安になる。
なんでもできるし、自分を自分で守れるなら守ってくれる人はいらない。
本人も男性など必要ない!と自負している。😅
こんなことになるとは・・。
でも
本当に社会が一層荒れる恐れがあるので、銃の訓練も今となっては良かったかもしれない。
経済もどうなるかわからない。
国や社会に頼らずに生きていく術を身につけることは無駄になるどころか、大変価値があることではないだろうか。(そうそう。難解な方程式が解けるよりずっと大事!😅)