物価上昇
昨日、食材を買いに行って驚いた。
数ヶ月前は$2.19 (219円)だったものが今はなんと$3.65(365円)
ロックダウン時に、世間では「物価が上昇するぞ〜」と警告されていたが、
食材に関しては本当だった。
国は市民に助成金を出したが、そもそもアメリカは借金ですでに首が回らないのにどこにそんな余裕があるのか。結局国の借金が増えることになる。その借金は一体全体誰が払うのか?市民に決まっている。それはドルの価値が下がりインフレにつながる。
政治家は経済学者ではない(トランプ大統領の強みは経済だが目の前に迫った選挙と党派争いのため言いたいことが言えない)。
そんな足らなきゃ印刷すればいいんでしょ!と思っている。
でも、そんなふうにすればこれもドルの価値を下げることに繋がり結局インフレになる。
つまり物価が上昇するのだ。
だから結局市民の生活が圧迫する。
ということで賢い市民はますます節約に情熱を燃やすようになってきた。
つまり不必要な買い物は避け、自給自足を目指す人も増加した。
でも、こんなことをみんながすれば、
「企業が倒産する!国の経済が破綻する!」と叫ぶ人もいる。
買い物客の足が途絶えれば自分の仕事も危ないかもしれない。食べていけない!
と心配する人もたくさんいる。
それは理解できる。
消えていく産業
でも!
考えていただきたい!
消えていく産業や企業というのはいつの時代でもあったのだ。
明治時代に突入すれば刀屋は仕事が無くなった。
自動車が大量生産できるようになれば馬車(日本では人力車?)なんていうものは道路から消えた。
馬を育てる産業も自動車産業に取って代わって廃業する人が沢山出たではないか。
よって馬車産業全体が破綻した。
救ってあげたくてもどうにもならない。
過去に頑固に執着していても生き延びることは無理なのだ。
人が求めていない産業は淘汰されて当然なのだ。
問題産業
個人的な意見で悪いのだが、
例えば特定の音楽業界。
つまり娘の業界。
これなんか淘汰の対象になってもおかしくない。
音楽には人の心を揺さぶるパワーがある。
それと同時に人間を堕落させるパワーもある。
前者は是非生き延びて欲しいと思う。
でも後者は消えて行ってくれても全く悲しくもなんともないし困る人はその業界の人だけでマジョリティには関係ないことなのだ。
大体が限られた地球の資源を人を堕落させるものに使ってなど欲しくない。
音楽業界に限られたことではない。
特定の書籍と特定の美術なども。
女性のファッションなんかこれにものすごく該当するではないか。
これからも売り上げをどんどん増やして!と意気込んでいたが、絶対今までのようにはいかないはずだ。はっきりいってコロナ以前にすでに飽和状態だったのだ。登り詰められるだけ登り詰めていた状態なのだ。だから今後は発想を変えなければ生き伸びることは不可能に見える。
そもそも、そんなに沢山の服というものが必要なのだろうか。女性は自分を魅力的にするためにファッションを追いかける。でもファッションのために環境を犠牲にしていることを知っているのだろうか?化繊の化学染料が詰まった服が健康に及ぼす影響をわかっているのだろうか?その服を作るために後進国の人が安い賃金で奴隷のように働いているのを知っているのだろうか。
女性ももっと頭を使って生活してほしい。(自分も女性だから言っても許されるはず)
クルーズシップはアメリカではリタイアリーに人気だ。でもコロナのお蔭で倒産寸前状態だ。すでに倒産に追い込まれた会社もある。
船に乗ってボーとして老後生活を楽しむ?確かにそうやって死がやってくる前の短い期間に「最後の青春」とやらを謳歌したいのはわかる。アメリカにはこの世代(ベビーブーマー)にこういう類の人が多く、かっこいいスポーツカーを乗り回し、最後の自己中な人生を満喫している。
確かにお金をばらまいてくれているので業界にはありがたいことだ。でも他の面ではどうだろうか。一般社会の役に立たずこうやって意味なく生き続けることに疑問を感じないのか。本当はリタイアした人は、もしまだ健康なら、その豊富な経験を活かしてボランテイアとかしたらいいように思える。長年の間に培ったその知恵と経験は非常に価値あるもので無駄にしてはいけない。またそういう風に老後を生きることが人生に意味合いをもたらしてくれるのではないだろうか。
人や動物や自然界の同胞の役に立つことを実践し、惜しまれて亡くなることこそ偉大な生き方のように思える。クルーズシップで羽を伸ばし有り余る退職金で好きなことをするというのも個人の勝手であるが、その意味はなんなのかとどうしても思ってしまう。きわめつけは、そのクルーズシップでコロナに感染して亡くなっても悲しんでくれる人は家族だけしかいない、という真実だ。
クルーズシップ産業が消えても一般市民は何も困ることはない。そこで働いていた人たちが困るだけだ。それは確かにかわいそうだ。でも道楽が環境汚染につながることを考えれば何が正しいか簡単にわかるような気がする。当然そこで働いていた人々は職替えをしないといけない。でも前述のように、こういうことは歴史を通して起きていたことなのだ。全ての産業を救ってはあげれないのだ。
マジョリティと個人の自由のどちらが大切かと聞かれてその答えはもうわかっているようなものだ。自由にやって金儲けできても資源を破壊し市民の精神を破壊してそれでいいってわけない。
実はいうと自分も今50代で、このリタイアリーの世代に手が届く日もそう遠くはない。だからちょっと失礼と思うことでも言わせていただいても許されると思う。
自分はこんな風に人生のを生きたくない。お金が捨てるほど余っているなら、困っている人を助けるための基金団体にでも寄付したい。たとえお金がなくとも人助けはできる。動物助けもできる。エコ活動もできる。それが本来の人間としての生き方でないか。死が間近なのに楽しむだけの人生に良心の呵責を憶えないなんて絶対おかしい。
全ては浅はかな現代文化がもたらした恩恵なのだ。
だからある産業は消えてしまっても仕方がない。
(例外:とてもいい企業の倒産は時代の憂き目に遭ってしまったわけだからこれは正真正銘の不幸で心からその悲しい気持ちを共有したい。わたしが言わんとしている類は別物。)
これからの時代に生き残れるのは地球の市民と全ての生存物の幸福を本当に考えることのできるそんな道徳心の高い産業と企業であると感じている。
無駄遣いは人助けか
人によっては無駄遣いをすることは実は無駄ではなく他の人(産業/企業)を助けているのだからいいのだ、と言うかもしれない。
でもその産業と企業を救うための理由で自分の財布の紐を緩める気にはならない。
産業と企業を守るか自分の家計を守るかと聞かれたら、当然答えは決まっている。
わたしはどうもそこまで気前よくなれないのだ。
それに特定の産業と企業を救うために散財を続け、その結果自己破産してもその産業と企業は自分を破産から救ってはくれない。
これが怖い現実なのだ。
だから節約。
クルーズシップも勘弁願いたい。
ファッションもさようなら。
どうでもいい音楽は最初から聞かない。
自分の頭と体と心を真実健康にしてくれないものは散財するに意義なし。
思うに、
市民はコロナのロックダウンで、人生に本当に必要なものはそんなに多くないということに気がついたのだ。
別にお金を使わなくとも楽しめる娯楽が存在することに気づいたのだ。
だから
特定の産業には悪いけど、
コロナ事件はウェークアップコールだったのだと確信してやまない。