すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

急ぎ足

師走も10日です。クリスマスやおせちは何を食べましょうかね。今日この午前中を止まることなく活動していました。まだ時間が余っているのでブログに文字をガタガタ打ち込んでいます。2回洗濯物を回したりとか常備菜作ったりとかポケモン本編が出来ないのでGOをやってみたりとかゴミ捨てたりまぁいろいろやっていました。なぜなら無価値感に襲われたくないから!ただ午後になるとどうなるかわかりません。これ以上作るのも多すぎてしまうのか、いまいち自分たちの食事量をわかっていないのです。本当は掃除があるんですけど、ゴミでないものたちの処遇を自分で決めることが非常に苦手なんですよ。食器はキッチン、服は押入れ以外のことがよくわかっていないんですね。その結果定位置のないスマホは高確率で見失います。

 

NHKあさイチで視聴者が母に言われた「あんたは幸せになれない」との呪いの言葉を博多大吉さんが解いた - Togetter

私も似たようなものが多々多々あるんですけど、どれくらいかと言うと発達障害コーチング本として有名な育児の本を開いてみたら、悪い発言の見本がことごとく母から聞いた言葉で気持ち悪くて読むのをやめたということがあるほどでした。本当にどうしたらいいんですかね。幸せってなんですか?どうしたら許されますか?ある程度の能力がないと楽しむことは罪ですか?

もう足の出し方も忘れてしまったような気がして、逆に常に逃げ回って走り続けているような感覚の方が近いような気がして、私ってどうしたら大丈夫になるのって疑問になるんですよ。作った料理も片付けた食器も労働者のお給料を前にしたら外食しただけで消える価値のない存在である気がしてしまうんです。みんながスイスイと泳いでいくなか、私だけ溺れそうで必死で足をバタバタしているのに、周囲からみたら1mも動いていない駄目なやつで終わりなんだなという無力感が常にあります。働かなきゃ駄目という今一番出来ないことを要求され続けています。だけどそれ以外にも明るくなってとか、友達たくさん作って、とか私に出来ない要求ばかりを突きつけられて、出来ないから幸せになれないという呪いがずっとつきまとっています。だけど外に出るのを想像すると就労移行支援のネチネチ攻撃とか医者の怒鳴り声とか、母の不安煽りとか、架空の社会の説教が再生されたりして、鼻から肺までがギュッと押しつぶされて頭がふらふらしてしまいます。

こんな状態なので呪いが解けるなんて私には想像がつきません。もうどこかで自分が受け入れられるイメージが全くつかないからです。そういう事実だけが残ってしまいました。何度もそれだけじゃないようにしましたが、全部そういう事実が残ってしまいました。した後悔なんて言葉が世にはありますが、嘘です。そうでなければ私が今苦しんでいるわけがないんです。学校にも福祉にも、行かなければよかったです。