今回は全国の住吉神社総本社、そして摂津国の一之宮でもある官幣大社、住吉大社です
御祭神は海の神である筒男三神と、そのお告げで三韓征伐を成した神功皇后です
昔の大阪は現在の主要の場所はほぼ海で、そしてその位置から海上交通の要衝でした
そこから住吉津や難波津を守る神としてこの地に御鎮座され、遣唐使など国家的な外交の際にもその船に祀られる航海の守護神として崇められた大阪の代表的な神社です
こちらの本殿は四つの宮から成っており、それぞれに一柱ずつ御鎮座されています
造りは古代の建築様式「住吉造」で建造され、今も多くの社殿がある住吉大社は豊臣秀頼が造営させているように時の権力者にも厚く信仰されたことが窺えます
それ以前にも鎌倉時代には源頼朝から寵愛を受けた丹後局との子がここで生まれ、本妻の北条政子から守るため薩摩の地で育ったのがあの薩摩藩の藩祖・島津忠久だと言われています
島津忠久が生まれる時に丹後局が抱いていた誕生石が境内にあります
この話からも鎌倉時代にもこの住吉大社は特別な場所とされていたと思われます
住吉大社の創建は三韓征伐後の神功皇后に神託として和魂を大阪の住吉に、荒魂を山口の下関に祀るようにとされ、筑前国の那の津から勧請した神霊を宮司となっていた津守氏が筑紫の地より神功皇后とともに大阪へお連れしたそうです
この筑紫と筑前国は現在の福岡県、那の津は博多湾の事で、今でも那の津の地名があります
つまり以前ブログで上げた博多の筑前国一宮住吉神社から住吉大社と下関住吉神社が同時期に祀られ、今でもこの三社は三大住吉として知られているという事ですね
住吉大社は海神としてだけでなく禊祓と和歌の神としても信仰され、源氏物語や伊勢物語など多くの古典物語に登場し、平安貴族も和歌を献じたりとたびたび参詣していたようです
住吉社神主の津守氏からも歌人が輩出しています
⚫︎社号標
それでは御朱印です
御朱印帳です
⚫︎表紙
神社の名称を現在の大社になったのは戦後からだそうです
住吉大社の神宝「住吉大社神代記」から改めたようですよ
《三大住吉》
筑前一之宮 住吉神社第一住吉、最古の住吉神社
下関住吉神社住吉三神の荒魂を祀る