今回は地元では「下宮さん」や「下浅間」と呼ばれる下吉田の浅間信仰の一社、小室浅間神社(こむろせんげんじんじゃ)です
社殿によれば坂上田村麻呂の東征の際に吉田の地にて富士山を遥拝し戦勝祈願を行っていき、無事に勝利できたことに感謝して社殿を造営したことが始まりとされます
富士吉田一円の産土神として地域民から崇敬されるだけでなく、中世には武田家も祈願所として尊崇していました
この小室浅間神社は旧称・“冨士山下宮浅間神社”であるため地元で冒頭のように呼ばれますが、さらに遡れば御室浅間神社と北口本宮浅間神社も関係する名称のやりとりがあります
元々御室浅間神社から勧請されて浅間神社となった北口本宮浅間神社こそが“下浅間”と呼ばれており、御室浅間神社は“上浅間”と呼ばれました
しかし世間では富士山に登る富士講の流行で富士吉田の地域にて身支度をするために訪れる人が増え、それに伴い上吉田の北口本宮浅間神社が栄えると次第にそちらが“上浅間”と呼ばれるようになり、同じ吉田の下吉田に鎮座し農耕信仰で地元民を中心に崇敬されたこの小室浅間神社が“下浅間”と呼ばれるようになった、という流れです
元は上浅間である御室浅間神社は少し離れた地域の氏神で、吉田地区との交流が少なかったことからこの形に落ち着いたようですね
この事情を知らないとこの辺りの浅間神社はどこが何なのか分からなくなってしまいます
実際、自分も整理がつくまで結構かかりました
さらに笛吹の甲斐一宮や河口の浅間神社の読みは“あさまじんじゃ”なので余計分からなくなっちゃいますね!
この神社は流鏑馬神事として珍しい馬の足跡によって吉凶を占うというものがあり、農耕信仰から来ていると思われます
⚫︎社号標と鳥居と参道
御朱印をお願いするときに御朱印帳を渡した後、オリジナル御朱印帳がある事に気づく事が多いですね(^^;)
あとは経済的な問題🤔
またいずれ伺う楽しみの一つとして考えています
『繋がりがある浅間神社』
冨士御室浅間神社浅間信仰最初の社
北口本宮浅間神社富士山の北口本宮