今回は日光の二荒山神社は日光東照宮と共に参拝された事がある方は多いと思いますが、こちらの方に訪れた事がない方も結構いるのではないでしょうか?
御神体の男体山麓で中禅寺湖の畔に鎮座する日光二荒山神社中宮祠(にっこうふたらさんちゅうぐうし)です
この中宮祠は二荒山神社と男体山山頂の奥宮の中間という意味がある神社で、御神体の男体山の登山道入口でもあります
その創建は西暦784年に神宮寺である中禅寺と共に建立されたとされる古社で、元は神仏習合として中禅寺と同じ境内にありましたが、明治の神仏分離令によって分かれています
中禅寺の御本尊は元々こちらに安置されていましたが、神仏分離と明治35年の大山津波によって壊滅的な被害を受けた際、この御本尊が現在中禅寺が建つ歌ヶ浜に辿り着いた事からここに寺を再建したそうです
二荒山の名は諸説ありますが、観音様が住むという“補陀落山”(ふだらくさん)が訛ったものと言われており、ここから「ふたらさん」と呼ばれるようになりました
そして漢字を当てて“二荒”となったものを、この地を訪れた弘法大師空海が「にこう」と読んで、この地を縁起の良い“日光”の漢字を当てて名付けたとされます
空海は伝承の域を出ていませんが、訛ったり縁起の良い漢字を当てたりはよくある事なので信憑性も高そうですね
こちらの御祭神は日光連山の神様で二荒山大神と呼ばれており、それぞれ男体山の大己貴命、女峰山の田心姫命、太郎山の味耜高彦根命の親子三神の総称で、それぞれ親子の山と考えられてきました
人格神が当てられたのは12世紀頃とされているので、本来から山こそが神様として崇められていたと思われます
この日光を霊場として開いたのは勝道という僧で、霊場を求めてこの地に祠を建てた事が二荒修験の基礎となり神仏習合の霊場として栄えたそうです
しかし前述の通りこの日光連山は古代から聖地として信仰されていたようで、古代祭祀場の遺跡も見つかっています
古代から信仰された霊峰・男体山の麓として山の力をものすごく感じるパワースポットで、中禅寺湖の景色も素晴らしい場所です
⚫︎社号標と鳥居
⚫︎中宮祠のイチイ
⚫︎扇の的弓道の碑
⚫︎鳥居前から見た中禅寺湖
それでは御朱印です
⚫︎中宮祠