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皆さん、こんにちは。
 
今回は趣向を変えて、農業から少し離れました。
 
海外から見える日本!!!
 
そんなテーマで、少し書いてみようと思います。
 
上の写真は、僕が20代(大学4年生)の頃、
初めての海外旅行で、ニュージーランドへ
行ったときの1枚です。
*若くてかわいいですねウインク
 
隣は仲良くなったドイツ人のマルコス。
ニュージーランドの首都・オークランドの
安いゲストハウスで友達に。
 
翌日には、イギリス人とアメリカ人が合流。
夜になり、みんなでパブで飲み、盛り上がってから、
ビリヤードをやりました。
 
チーム分けは、日米 vs 欧州。
欧州の勝!!!
なぜ?  僕が初めてだったから口笛
 
ニュージーランドを一人旅して思ったこと。
「自立心がつくな!」
「本物の英会話が学べるな!」
 
そういったことを感じましたね。
 
日本人は、とにかく若いうちに海外を経験するのが
いいと思います。
「井戸の中の蛙、大会を知らず」と
ならないためにも。
 
一人旅は面白かったですが、その中でも特に
ヒッチハイク!
ワクワクドキドキでしたね。
合計3回だけでしたが、それでも楽しめましたよ。
 
 
 
次は一気に時間を飛んで、30歳!
ブラジル。
アマゾン中央部のマナウス。
そこからベネズエラに抜ける
ジャングルの1本道。
 
雨でぬかるみ、トラックもバスも立ち往生!
結局7時間動きませんでしたね。
 
こんな時、馬鹿な日本人、
運転手に聞きました。
「あとどのくらいで出発できるの?」
 
運転手は怪訝な顔して、
「さぁね、神のみぞ知る」
 
それを聞いた馬鹿な日本人、
「大体の予測時間は?」
 
運転手。
「道が乾いたら行くよ」
 
 
さてさて、皆さんはこの会話どう思います?
 
ここの馬鹿な日本人とは僕のことです。
ホントにこの写真の状況では
予定は完全に未定です。
 
大自然とは、そんなものです。
僕たち、近代的な?日本人は
時間と規則で囲まれていますが、
海外では全く通じないところがありますね。
 
そんな時こそ、「臨機応変」!
日本人に、それができるのが何割いるでしょうね?
 
さて、このあと、7時間経過してから、
僕の乗ったバスは、ベネズエラ国境の街、
ボアビスタに向かいました。
しかし、この7時間が影響して、
ボアビスタからベネズエラに向かうバスは
出発していて乗れませんでした。
 
結局、マナウスに引き返しましたが、
タイトな時間をくんでいた僕が、
現地を理解していないことが
大きな失敗の要因でしたね。
 
現地を知る!!!
日本の感覚だけでは、世界は通用しない!
大きな「本物の学び」でしたね。
 
 
                  ↑ この黒い奴…僕です。
 
 
さてさて、次は僕が住んでいたヴィトリア近郊の
リゾート地、グァラパリ。
ラジウムビーチとして、海水浴でも人気でした。
 
日本からの同期(JICA海外開発青年8回生)の福田君と。
 
そしてもう一人は、日本で知り合い、
彼の誘いもあってブラジル行きを決意した仲間の
サンパウロ在住、エジソン。
 
ビーチで知り合った女性を囲んでの1枚。
 
日本と違い、ブラジルではいつでもどこでも、
気軽に、男、女、関係なく、仲良くなれます。
 
ほんと自然体ですね。
世間体を気にしません。
良いことか?悪いことか?
 
とにかく、海外から日本を見ると
日本が不思議な国に見えることが多々あります。
 
 
またまた、話が戻って、アマゾン。
河口の大都会ベレン。
その近郊の小さな町に僕の友人が。
熱帯魚の養殖・販売をしていました。
 
そこに遊びがてら仕事のお手伝い。
川に潜っていたら
いきなり鴨ちゃんが、
「奥さん、これがピラニアだよ!」
と教えてくれました。
 
「え~、そうなん?」
そう思いきや、
一瞬で頭が凍りました。
マズい!やられる!血だらけ???
 
必死に泳いで、カヌーに飛び乗りました。
鴨ちゃん、不思議そうに、
「奥さん、どうしたん?」あきれ顔。
 
 
僕は???
「お前、先に言わんか!」
「危ないとこやったじゃないか!!!」
 
また、鴨ちゃん、キョトン。
 
「あ~、奥さんは、ピラニアにビビったんだ」
「ここのピラニア、噛まないよ」
 
 
 
と、いうわけで、とんだひと騒動でした。
 
ピラニア=獰猛でかみつく!
 
 ↑ これ、メディアにマインドコントロールされた
   日本人の反応!
   僕もそうでしたけど。
 
要するに、自分の目で見て、頭で判断して、
現場を感じてじゃないと、わからないことが
ありますね。
 
落ち着いてから、ピラニアをつかんで、
食べてやる!ポーズで
写真を撮りましたキラキラ
 
 
 
 
 
 
今度は時間を遡って、ブラジル1年目の28歳。
JICA日本語モデル校での記念写真。
JICAの資金援助で日本語モデル校が開校。
 
僕も心機一転、頑張ろうと思ったところでした。
 
 
ただ、ここでも面白いのは、日本とブラジルの
感覚の差。
日本では有り得ないこと。
 
 
この時の落成式典での開校式。
数年前から始まったプロジェクトで、
ほとんどすべて日本側(JICA)の資金援助。
 
ところが当日、学校自体が未完成!
そんななか、日本側からリオデジャネイロ
総領事が出席。
 
そして、ブラジル側も州知事が出席。
みんな仲良くニコニコ。
全く問題なし!
 
何故?
 
 
ブラジルでは、普通、予定通りに
進まないのが当たり前。
だから落成式当日に、校舎が未完成でも平気。
でも、現地についたばかりの僕には意味不明。
日系協会の会長に
「問題ですよ!大丈夫ですか?」と聞いても
「先生、心配ない。気にしないで」
 
そう返されるだけ。
 
あまり細かく時間ばかり気にする日本人は
やっていけないよ、とばかり。
あぜんとしましたね。
 
でも、それがブラジル晴れニコニコ
 
2年目、3年目となり、
帰国する頃になると、
僕もかなりブラジル化していましたウインク
 
 
 
 
さて、お次 ↓  アルゼンチン!
これもJICA同期の仲間。
首都ブエノスアイレスの近くのマルデルプラタ。
 
海がきれいでした。
平日の昼間からビールで乾杯!
そして、のどかな毎日。
 
 
今、思えば別世界です。
 
隣の塩冶くん、
この地で南米の空手チャンピオンになりました。
 
アルコール入れたら、かなりの酔っぱらいに変身。
そこは日本の時と同じでした。
 
 
さて、チリ国境に近い南米のスイス。
バリローチェ。
高級な町でした。
 
ここは先ほどの空手の塩冶君が案内してくれました。
 
そして、南米アンデス山脈のふもとには、
ドイツ村、スペイン村、イタリア村、ポーランド村、
といった移住した民族の街が点在していました。
 
特にドイツ人の住んでいる移住地は独特の気配を
感じました。
 
 
何故か?
 
 
それは、ナチス残党が身を隠しているという噂が
絶えないからですね。
そんな空気をビンビン感じましたね。
 
面白いことに、幕末維新の残党?
坂本龍馬の写真を掲げた日本人若夫婦も
山奥深いこの町に、農業移住していました。
 
 
そして、その時、まさか僕自身、
その後農業移住をするなんて、
夢にも思わなかったですね。
 
 
 
 
さて、最後の写真です!
遠くに転がっている生き物は???
 
近いようで遠いです。
写真撮った場所から、この崖下の「生き物」がいるあたりの
高低差は約30m。
あの「生き物」、実はかなりデカいです!
 
なんと、
 
像アザラシです。
 
安心してのどかに、日向ぼっこ。
 
日本では中々見られない光景ですね。
 
 
自然も時間の流れも、海外はゆったりのんびり。
あくせくしてないですね。
 
 
日本と海外と、どちらがいいという訳でなく、
ただ、違いがあるんだ!
という事を知っておきたいですね。
 
日本が絶対!
ではなく、
海外が絶対!でもない。
 
 
いろんな角度で物事を見ることが出来る
自分自身の物差しを養えたら素敵なことだな!
 
そう感じますね。
 
 
皆さん、いかがですか???
 
 
 
 
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