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3.11②小学校から家へ。マンション8階の我が家の悲惨な状況【東日本大震災・仙台】

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2011年3月11日の私の行動記録です。

当時、仙台に住んでいた私が被災した時のことを書いています。

今回はシリーズ?2回目、勤務先の小学校から家に戻る様子と家の中の悲惨な状況をお伝えします。

 

 目次

 

   

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前回の話

震災当時、私は仙台市内の小学校で補助の学習指導をしていました。

3月11日、「さようなら」をした子どもたちを見送った直後に大きな揺れが襲いました。

前回は、当日の学校での行動を書きました。

yuccow.hatenablog.com

小学生をお持ちのご家族や、教育関係の方の参考になれば幸いです。

本日は、子どもたちとともに体育館に移動した後の所からお伝えします。

 

小学校から家へ

第一陣で帰ることに

外が薄暗くなり始めたころ、ようやくほとんどの子どもたちにお迎えが来ました。

入れ替わりに、近所の方々が体育館に避難してきました。

(この後、この体育館は避難所になります。)

私たち補助の指導員と何人かの先生は、第一陣で家に帰れることになりました。

子どもを迎えに行かなくてはならない母親の先生方などが中心だったと思います。

(妊娠中の担任の先生もこの中に含まれていました。男性陣はこの後、何日間も泊まり込みを続けながら、避難所の運営に携わっておられました。)

 

校庭を通して道路を見ると、東へ向かう道路が異常に渋滞しています。

停電で信号が消えているからだろうか……そう思いました。

が、後で、東へ向かう道路は途中から津波で水没して通れなくなっていたためだったと知りました。

この時は、そんなことは全く知りません。

 

家への道路もものすごい渋滞だろうな。

いざとなったら歩いて帰ろうか。

体育用のスニーカーがあるし、確か学校から家までは6㎞くらい。

歩けない距離じゃない。

息子のことが心配だから、なるべく早く帰りたいけど、家に着くのは真夜中になっちゃうかも。。。

 

そんなことを考えながら、とりあえず車を動かし、学校の外に出たところで衝撃を受けました。

 

巨大な地割れが

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学校の目の前の道路に巨大な地割れができていたのです。

これは、素材屋さんの写真をお借りしたものです。

ちょうどこのくらいのサイズ、隙間の幅15㎝強・地割れの左右の段差20㎝強の地割れが、500m以上続いていました。

 

タイヤがハマらないように、気をつけながら車を走らせ、最初の交差点へ。

T字路で、Iの部分からーの部分に合流しての右折です。

手前は左(東方面)へ向かう大渋滞中。

 

これは、いつ道路に出られるか分からないなあ。

 

と、思ったものの、すぐに入れてもらえました。

その後も、交差点に差しかかるたびに皆さん譲ってくれるんです。

我が家への方向は、渋滞していませんでした。

交差点では、どこでも本当にすぐに譲ってもらえたし、停電で信号が消えていて、信号待ちがなかった分、普段よりも早く家に着くことができました

これには、びっくりとともに大感激しました。

 

仙台の人って優しい!

仙台に生まれ育って本当に良かった!!!

 

そう改めて感じた瞬間でした。

 

 

   

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マンションのシルエットが

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(こちらは素材屋さんの写真です)

 

借りている駐車場は、マンションから徒歩2分ほどの所でした。

車を止めてエンジンを消すと、辺りはほぼ真っ暗闇。

街灯はおろか、どの家にも電気がついてないんだから当たりまえです。

空を見上げるとかろうじて、まだうっすらと青い部分が見られるくらいの暗さでした。

駐車場から家へと急ぐ途中、建物の隙間からうちのマンションのシルエットを見て、ものすごくホッとしました。

 

建物が倒壊してない!!!

良かった!!!

 

マンションに着いて、外階段を駆け上りました。

薄暗くてよく見えないものの、階段脇の壁が崩れ落ちていて、階段はコンクリートのがれきだらけでした。

それを時々足で横によけながら上ります。

接合部が壊れ、階段がマンションの建物部分から離れてしまっているところもありました。

とにかく、上ります。

がれきを踏みつけて、転ばないようにだけ気をつけて。

 

8階に着くと、うちのドアの前に黒い塊がありました。

 

なに……?

 

一瞬、ギョッとしたものの、すぐに息子のシルエットだと分かりました。

名前を呼ぶと返事がありました。

 

無事だ!!!!!

生きてた!!!!

 

ホッとして、思わずぎゅっと抱きしめました。

それからハッと気がついて

「ケガはない?」

と尋ねると

「大丈夫」

とのこと。

これで、本当に本当に安心できました。

この瞬間のことは、一生忘れません

 

家の中の状況

ダイニングキッチン

息子に聞くと、家の中があまりにぐちゃぐちゃで居場所がなく、外にいたとのこと。

だろうなーと思いながら、家に入りました。

玄関から廊下を通り、ダイニングキッチンに入りました。

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倒れているのは食器棚

もう何が何だか分からないような状態です。

とっさに写真を撮ったのは、今まで大きい地震を経験した後で、写真に撮っておけばよかったと後悔したことが多かったから。

iPhoneの充電を気にしながらも、とにかく写真をたくさん撮りました。

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冷蔵庫が壁から1mくらい離れてしまっています

コードで止まってますが、コードが無かったらもっと動いてたんでしょうね。

冷蔵庫の手前に落ちている銀色のものはオーブンレンジです。

ひっくり返っています。

このレンジは、その後の余震でもふっとんで落ちたのですが、壊れず、今も普通に活躍してくれています

HITACHIってすごい!

オーブンレンジを買おうと迷っている方には、熱くHITACHIをお勧めします!

 

 

 

 

 

そして、こちらは食器棚の脇にあったパソコン周り。

 

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地震の瞬間、息子はこのパソコンでゲームをしていたようです。

揺れた瞬間に、自室に走り込み、ベッドに飛び込み、布団に潜ったようです。

 

※我が家では、地震の時には玄関周辺の倒れてくるものがない場所か、ベッドの上に避難すること、と決めています。

※寝ている時に地震が来ても大丈夫なように、ベッドの上は安全地帯になるように家具の配置を決めているからです。

 

息子もとっさに行動することができたようです。

おかげでケガもせずにすみました。

家の中に安全な場所を確保しておくこと、慌てずにそこへ逃げ込めるようにしておくことがものすごく重要だと改めて感じました。

 

リビング

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こちらはリビングです。

左側はコタツ。右側でひっくり返っているのは、ローチェストの上に乗せていたミニ食器棚。

そして奥にひっくり返っているのが、テレビです。

息子の部屋のテレビは、画面が割れて修理に出しましたが、こちらのテレビはカーペットやコタツ布団がクッションになってくれて、傷がついただけですみました。

今もそのまま使っています。

 

本棚のある部屋

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本棚が倒れて中の本が全部出ています。

でも、この時はまだガラス扉は壊れていません。

この後、4月の余震でこの扉も全部割れて、吹っ飛ぶことになりますが……。

 

洗面所

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洗濯機の脇の壁に穴が開いていました。

洗濯機の脇に、プラスチックのかごをつけてあったのですが、揺れが大きくてそのかごの部分が壁にあたったものと思われます。

この時はまだ知りませんでしたが、この穴も、4月の余震でさらに大きくなる予定です(苦笑)。

 

お風呂

我が家は地震で断水になった時のために、お風呂のお湯は翌日まで捨てずにとって置く習慣でした。

なので、この時も断水していましたが、トイレで使う水は大丈夫!と安心していました。

が。

お風呂場に行ってみて愕然。

 

バスタブの水が半分になってる!!!

なんで!?

 

「そういえば、揺れてる最中に水の音がした」

と、息子。

その時に、私の脳裏にパッと浮かんだのが、

校庭で見たプールの水の様子です。

 

あれだ!!!

 

プールの水でさえ、ざぶんざぶんとあふれ出たのです。

マンション8階のお風呂の水なんて全部あふれてたって不思議はありません。

 

とは言え……トイレの水、困った。

 

仕方がないので、トイレを使う時は小の場合は3回まで流さない、というルールを決めました。。。

 

とりあえず、寝室とトイレや玄関への動線だけ片づけることにしました。

真っ暗な中、懐中電灯で、ひっきりなしに余震が来る中での片づけでした。

隣が小学校だったので、マンションの住人の中には避難する人もいました。

でも、あの体育館の床の冷たさと寒さを思い出すと、ようやくそこから家に帰ってきたのに、また体育館に行くなんて、私には考えられませんでした。

 

一旦まとめ

ようやく家に帰りつきました。

この後、片付けや、食料や水を求めてさ迷い歩いたことへと続きます。

そして3.11の地震よりも精神的に辛かった4月の余震のことなど。

まだ、もう少し続きますが、良かったらまたお付き合いくださいませ。

 

 

   

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 シリーズ3話目 ↓

yuccow.hatenablog.com

 

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