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3.11③片づけと食料・水の調達・従兄の行方不明~【東日本大震災・仙台】

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2011年3月11日、東日本大震災の体験談シリーズ3回目です。

片づけで役に立った意外な物って何だと思います?

ご覧の状況の家の中を必死で片づけたこと、水や食料を求めてさまよったこと、従兄が行方不明であると知ったこと、4月の余震で再び打ちのめされたことなどを書いています。

 

 目次

 

   

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 前回の話

地震の後、仕事を終えて家に帰ると、マンションの壁は崩れ、建物自体もあちこち壊れかけていました。(のちの判定では半壊でした)

そして、家の中は家具が倒れガラスが散乱して、悲惨な状態になっていました。

あたりは真っ暗。その中で片づけを始めます。

 

yuccow.hatenablog.com

 

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真っ暗な中の片づけと夕食

片づけ

当時の我が家は、中央にダイニングがある造りでした。

なので、そのダイニングが割れた食器やグラスのカケラだらけだと、どこに移動するにも大変なのです。

懐中電灯をテーブルの上に横にして置き、その光を頼りに片づけを始めることにしました。

 

ベランダ用のほうきとちり取りを使って、大きいのから小さいのまで、とにかく割れた食器を集めました。

 

この集めたカケラはどうしよう。

普通のゴミ袋に入れても袋だって破けちゃうし……。

 

あちこち尖った危険物です。うっかりした捨て方はできません。

で、思いついたのが、紙袋です。

洋服やらお土産品やら買うと必ずもらうあの取っ手付きの紙袋。

捨てても捨てても、いつの間にか家に溜まってしまっていませんか?

 

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この時も数十枚の紙袋のストックがありました。

そこに、ちり取りで集めたカケラをざざーっと入れてみました。

どれも厚手の紙でできているので、大丈夫!

カケラの尖ったところで破ける様子もありません。

 

よしっっ

 

我ながらナイスアイディアです!

こうして、玄関に続く通路からリビングと寝室までの通り道(幅40㎝・長さは10畳の部屋を斜めに横切るくらいでしょうか)を確保することができました。

この時の紙袋は何枚使ったかなあ。5~6枚くらいだったかなあ。

(最終的に、片付けが終わるころには、数十枚あった袋は全部使い切りました。)

 

この間もずっと余震は来ていました。

でも、もう慣れてしまって震度3くらいでは手を止めることなく片づけていたのを思い出します。

というか、この辺になると地震酔いで、揺れているんだか揺れていないんだか分からない状態でもありました。

 

夕食

ある程度片づいた時に、ピンポーン♪と誰かが訪ねてきました。

出てみると、お隣の奥さんでした。

息子が一人でいたのを気にかけてくださって、カップラーメンを作って持ってきてくれたのです。

 

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お隣の方とは、引っ越し時のご挨拶くらいしかしたことはなく、顔もほとんど知りませんでした。

お礼を言うと、カップラーメンが一人分しかないことをお詫びされて、何か足りないものはないかと聞いてくださいました。

主人が出張中でおらず、若干心細かった私は涙が出そうになりました。

 

ひとの情けが身に染みるってこういうことを言うんですね!!!

 

ありがたく甘えることに。

 

ラジオがありません。

 

そう言いました。

我が家には、その時使えるラジオがなかったんです。

 

いえ、あることはありました。

コンセントで刺して電源を取るCDラジカセタイプのものと、手回しで充電する懐中電灯と一緒になった災害用のと。

 

でもね。真っ暗な中、余震をやりすごしながらガラスのかけらを掃除してるのに、手回しで充電する暇なんてないんですよ!!!

 

コンセントは言うに及ばず。。。

 

ありがたくもお隣さんは、ミニサイズのFMラジオと乾電池までセットで貸してくださいました。(感涙)

このラジオのおかげで、それからの3日間、どれだけ助かったか分かりません。

 

さらに、私の夕食の足しにしてくれと、クラッカーも持ってきてくださいました。

本当にありがたかったです。

この日の夕食は、息子カップラーメン、私は冷蔵庫の中のヨーグルト(早く食べないとだめになりそうだったから)と、クラッカーでした。

 

 

   

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一晩中鳴り響く緊急地震速報

ラジオからのニュースに愕然

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その晩は、ラジオをつけたまま横になりました。

世の中の状況がどうなってるのかなんて、全く分かりませんでした。

ラジオからは、信じられないことばかり流れてきました。

 

仙台市の荒浜の海岸に死体が約200体とか。

気仙沼一帯が火の海で壊滅状態、とか。

 

息子と二人で言葉を失いました。

その間も、ひっきりなしに緊急地震速報がなります。

緊急地震速報は、一晩中、1時間に数回はなっていたと思います。

その都度、布団をかぶっていたので、ほとんど眠れませんでした。

 

アナウンサーの言葉に力づけられる

夜中の3時頃でしょうか。

繰り返す余震と衝撃のニュースに打ちのめされそうになっていた時です。

 

みなさん、大変でしょうけど、一緒に頑張りましょう。

もう少しで夜が明けます。

 

そんなような内容のことを、アナウンサーが繰り返し語り始めたのです。

その言葉に、どれほど力づけられたか!!!

 

みんな、あちこちで、それぞれの大変な夜を迎えてる。

みんな一緒に朝を待ってるんだ!

 

それと同時に、このアナウンサーをはじめ、真夜中でも家族と離れて仕事をしている方々がいることに非常に力づけられました。

 

実は、私も結婚前はTVやラジオでアナウンス関連の仕事をしていました。

なので、余計にかつての仕事仲間の方々を思い出して、心にしみたのかもしれません。

 

 

水と食料を求めて

水は1時間半

翌日も、朝からせっせと紙袋を埋める作業を繰り返しました。

明るいうちにできることは、やってしまわないとないので。

でも、10時ごろでしょうか。水を探しに行かないと、と気がついたのです。

マンションの階段のところで、他の階の方とすれ違った時に、近所の公民館で水がもらえることを教えてもらいました。

さっそく容器をもって行こうとしましたが、容器になるものがない……。

 

公民館までは、それなりに距離があるので、鍋なんかでは水がこぼれてしまいそうです。

電気ポットには、水が入ってるし。

捨てる予定で取ってあった2Lの空きペットボトルを2本見つけて、それを持って息子と二人で出かけていきました。

 

行ってみると、水を待つ長い行列が。

並ぶこと1時間半。ようやくペットボトル2本分の水をゲット。

でも、これでは足りません。

容器を見つけてもう一度並ぼうか、別の場所に行ってみようか、悩みました。

 

息子は近所の中学校に行ってみよう、と言ったのですが、坂道がキツクて30年ぶりに自転車に乗った私には、とても行けそうになくて断念。

でも、断念して良かったのです。

後で聞いた話では、その中学校は水をもらうのに6時間!並んだそうですから。

 

食料も大行列

水の入ったペットボトルを家に置き、今度は食料を求めて出かけました。

どこもすごい行列です。

でも、行列ができているなら、まだ良いのです。

食料があるっていうことだから。空いてないお店もたくさんありました。

スーパーやホームセンターは、ものすごい大行列。

3時間待ちのところもありました。

しかも3時間待っても食料が手に入る保証はありません、それでも良かったら並んでください、とのこと。

 

私と息子は悩みながら、近所をさ迷い歩きました。

すると、短めの行列の場所を発見!

列の先をたどってみると、そこはケーキ屋さんでした。

 

ケーキだって十分、今日のご飯になる!

パウンドケーキやマドレーヌなんかの焼き菓子なら、さらにOK!

 

そう考えて並ぶことに。

40分ほどで順番が来ました。

店内に入ると、売られていたのは、ホワイトデー用のお菓子だったのです。

 

そういえば、ホワイトデーがもうすぐだったんだ。。。

 

そう思うと、ちょっと悲しくなりました。

 

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焼き菓子のケーキには落とし穴が

店内には焼き菓子もけっこうあったため、日持ちがしそうな焼き菓子を中心に買って帰りました。

今日のお昼は、これです。

 

なかなか良いご飯をゲットできた♪

 

そう言いあいながら、食べ始めてすぐ、息子がうわっと声をあげました。

 

「これ、クルミが入ってる!」

 

息子はクルミアレルギーなのです。。。

息子には、前の晩いただいたクラッカーの残りを食べてもらいました。

 

街中の電気を見ながらすごす夜

ろうそくを安全に灯す方法

また、夜が来ました。

余震は、相変わらず頻繁に来ていました。

ろうそくを見つけて灯しましたが、揺れる度に消さなくてはならず、大変でした。

その内に、息子が良いことを思いつきました。

ろうそくを立てた小皿を、そのまま平たい鍋の中に入れるのです。

なるほど!

これなら、揺れて倒れても鍋の中なので安心です。

 

停電はいつまで?

私は子どものころに体験した宮城県沖地震から、電気は3日、水道は1週間かかるとみていました。

(実際その通りでした。すごい!あたった!)

窓から街の方を見ると、電気がついている場所があります!

中心部から、停電が復旧しているようです

 

 

楽天イーグルスの応援で使う双眼鏡を持ち出して、電気がついているあたりを見てみました。

 

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1時間ごとに、電気のついているエリアが広がっていきます

 

あの電気の下で、必死に仕事をしてくれている方たちがいるんだ!

 

そう思うと、ありがたいやら、心強いやら。

人の役に立つ仕事って素晴らしいなとしみじみ思いました。

 

ショックな電話が

電気がついたのは、3日後でした。

家の電話もつながるようになりました。

すると、実家の母から電話がかかってきました。

「T君が、帰ってこないって」

「え!?」

 

T君とは、私の9歳年上の従兄です。

私は幼いころに祖母の家で育ったので、従兄とは兄妹のように一緒に育ちました。

「お兄ちゃん」と呼んで、後をついて回り、また、従兄も私のことを年の離れた小さい妹として非常に可愛がってくれました。

そんな従兄に何かあったとは思いたくありませんでした。

 

そのころ、まだ津波が引かずに孤立している建物もあったので、それのどこかに避難していて連絡がつかないんだ、きっとそうだ!と思い込みたかったのですが……。

 

3.11からちょうど49日後に、従兄の体が見つかりました。

沿岸部に住んでいる人の避難を手伝っていて、津波に巻き込まれたのでした。

 

当時、従兄が乗っていた車は、ギアがトップに入っており、窓(手動のものでした)は、開けられていたそうです。

トップギアで走っていて間に合わず、水に囲まれてドアが開かずに、窓から逃げたのでしょうか。

車とは全然、別の場所から発見されました。

 

従兄は、スポーツ万能な人で、スキー、スケート、水泳、野球に卓球と、何をやらせてもスゴイ人でした。水泳も、です。

それでも、津波には勝てなかったんですね。

 

 

一旦まとめ

うーん、しんみりしたところで終わらせたく無かったんですが、4000字を超えてしまいましたので、ここまでで。

次回は、今日行きつかなかった4月の余震に行きたいと思います。

今回もお付き合いくださいましてありがとうございました。

良かったら、また見てやってください。

 

 

   

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