感謝のきもち
夫さまは亡くなったけれど、わたしはそれなりに元気なつもりでいました。でもなんとなく辛くて。遠くの友達が、心配してホメオパシーのレメディー(治療薬)を送ってくれました。
ホメオパシーレメディ
レメディーは、小さな砂糖玉。就寝前に口に含むだけです。さっそく試してみました。
なんと、次の日の朝、目覚ましが鳴るまで寝ていたのです。
気のせいかと思いました。でも、次の日も口に含んでから寝ると、やはり眠りが深くなったかんじで、さらに、前日より家事がはかどるように。
次の日も、さらに動くのが楽になりました。これは効いていると!
歳のせいで、朝、目が覚めるようになったと思い、気にしておらず、動きがいまいちなのも自覚がありませんでした。
落ち着いて考えると、夫さまが亡くなる少し前から、眠りが浅かったのですね。意外とダメージ受けていました。
後になって感じたこと
慣れ親しんだ酸素の機械音がもう聞こえません。日にちが過ぎるにしたがって、いろんな思いが出てきます・・・。
これで本当によかったのかとか。
あのときもっと優しくしておけばとか。
特に、休日、一人で車に乗っていると、思い出して「ごめんね」って涙を流しています。
そして、亡くなる直前まで、まだ生きると思っていたけれど、私の職場に急に欠勤になる可能性伝えていました。年金事務所でも、手続きするとき、来年までもつかなって呟いていました。
心の奥で分かっていたのに、認めることができなかったのかなと今は思います。
夫さまが亡くなり感じたのは、
子どもたちがしっかり成長していたということ。
夫さまの願いは、ただ私に喜んでほしかっただけということ。
なんてわがままな夫だ! と思っていたけれど、わたしもなかなかのわがままということ。
そして、亡くなったあとも悲しさはつづくのだろうなということ。
どうしてかって、お悔やみにきてくれた方々、ご自分が大切にしていた方が亡くなったときの悲しさを訴えていく方がとても多くて。何年たっても悲しさは消えていないのねって。
ただ、突然悲しい気持ちが溢れるとか、表現できない辛さは、少しずづ減っていくのかなって。「人は全員遺族」ってだれかが言っていました。
この世は、永遠の中の一部分ってわたしは思っています。立派になった子どもたちですが、もう少し見守る役目を果たしたいと思っています。
お花
今月、30回目の結婚記念日でした。毎回ずっとお花を買ってきてくれました。昨年も。
今年からはありません。今は、わたしがいつも写真のそばに花を添えるようにしています。
わたしが手入れをめんどうに思っていたお花は、強烈に夫さまを思い出させます。
言葉も記憶に残りますが、行動の記憶はなかなか強烈です。
感謝の気持ち
もう少し一緒に過ごしたかったけれど、ここまで一緒に生きてこられたことを感謝したいと思います。
ところで、このブログ、家族から書く許可はもらっていますが、実際に見せてはいません。あちこち追加、修正してから、みせようかと思っています。
さて、これからどうしましょう。夫さまの病気にまつわることはもう書いてしまったし。病気ブログも終わりかな・・・。なんて言って、また追加していたときは笑ってください。
いま、肺の病気を患っておられる方へ。
生きる=息を吸う苦しさ。
本人にしか辛さ、苦しみはわからないかもしれません。
でも、助けたい、力になりたいと思っているどなたかがおられるのでは? その方と、今このときを楽しめますように。心から応援しています。皆さんにとっての奇跡が訪れますように。
皆さま、今まで読んでいただきありがとうございました。いただいたコメントありがとうございました。